樋口一葉「たけくらべ」3

 きょうから第二章に入ります。

八月廿十日《はつか》は千束《せんぞく》神社のまつりとて、山車屋台《だしやたい》に町々の見得をはりて、土手をのぼりて廓内《なか》までも入込《いりこ》まんづ勢ひ、若者が気組み思ひやるべし。聞《きき》かぢりに子供とて由断のなりがたきこのあたりのなれば、そろひの裕衣《ゆかた》は言はでものこと、銘々《めいめい》に申合せて生意気のありたけ、聞かば胆《きも》もつぶれぬべし。
横町《よこてう》組と自らゆるしたる乱暴の子供大将に、頭《かしら》の長《ちよう》(1)とて歳も十六、仁和賀《にわか》の金棒《かなぼう》に親父の代理をつとめしより気位ゑらく成りて、帯は腰の先に、返事は鼻の先(2)にていふ物と定め、にくらしき風俗(3)、「あれが頭《かしら》の子でなくば」と鳶人足《とびにんそく》が女房の蔭口《かげぐち》に聞えぬ。心一ぱいに我がままを徹《とほ》して、身に合はぬ幅をも広げしが、表町《おもてまち》に田中屋の正太郎《しようたらう》とて、歳は我れに三つ劣れど、家に金あり、身に愛敬《あいけう》あれば人も憎くまぬ当の敵《かたき》あり。「我れは私立の学校へ通ひし(4)を、先方《さき》は公立なりとて、同じ唱歌も本家のやうな顔をしおる。去年《こぞ》も一昨年《おととし》も先方《さき》には大人の末社《まつしや》(5)がつきて、まつりの趣向も我れよりは花を咲かせ、喧嘩《けんくわ》に手出しのなりがたき仕組みも有りき。今年又もや負けにならば、『誰れだと思ふ横町の長吉《ちようきち》だぞ』と、平常《つね》の力だて(6)は空《から》いばりとけなされて、弁天ぼりに水およぎの折も、我が組になる人は多かるまじ。力を言はば我が方がつよけれど、田中屋が柔和《おとなし》ぶりにごまかされて、一つは学問が出来おるを恐れ、我が横町組の太郎吉《たろきち》、三五郎など、内々は彼方《あちら》がたになりたるも口惜《くちを》し。まつりは明後日《あさつて》、いよいよ我が方《かた》が負け色(7)と見えたらば、破れかぶれに暴れて暴れて、正太郎が面《つら》に疵《きず》一つ、我れも片眼片足なきものと思へばしやすし。加担人《かたうど》は車屋の丑《うし》(8)元結《もとゆひ》より(9)の文《ぶん》、手遊屋《おもちやや》の弥助《やすけ》などあらば引けは取るまじ。おおそれよりは、あの人の事あの人の事、藤本のならばよき智恵も貸してくれん」と、十八日の暮れちかく、物いへば眼口《めくち》にうるさき蚊を払ひて(10)竹村《たけむら》(11)しげき龍華寺《りうげじ》の庭先から信如《しんによ》が部屋へのそりのそりと(12)、「信《のぶ》さんゐるか」と顔を出しぬ。


(1)鳶の親方の子である長吉のこと。
(2)返事はとおり一遍に、いいかげんにあしらう。「帯は腰の先」と対句。
(3)みなり、よそおい、身のこなし。
(4)当時は主に下層階級の家の子どもたちが通っていた。
(5)遊里で大金を使う客、大尽を大神にかけて本社にたとえ、それを取り巻くものの意。客の取り持ちをする者、たいこもち。
(6)自分の腕力の強いのを自慢すること。力自慢。小学校も上級生となると、腕力だけでは人を従えることはできないと見ている。
(7)戦いに負けそうなようす。敗色。
(8)人力車屋の子、丑松。
(9)髪のもとどりを結び束ねるひもの材料のこよりを加工する内職をしている家の子。文次。
(10)芭蕉の句「物言えば唇寒し秋の風」(人の短所を言ったあとは、後味が悪く、寂しい気持ちがする)をもじっている。
(11)竹やぶ。竹林。
(12)大柄な長吉の特徴的な動作。以後、信如に対する長吉の説得がはじまる。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から

八月二十日は千束神社の祭ということで、 山車屋台(だしやたい)に町々が見栄をはって土手をのぼり廓内(なか)までも入り込まんばかりの勢い、 ここに若者の意気込みが察せられるはず、聞きかじることが多くて世間ずれしているせいで子供といっても油断のならないこのあたりのことだから、揃いの浴衣は言うまでもなく、めいめいに申し合わせて生意気の限りを尽くし、その様子を聞けば肝(きも)もつぶれるに違いない、横町組と自ら定める乱暴者のがき大将に頭(かしら)の長(ちょう)といって年も十六、仁和賀の鉄棒(かなぼう)役を親父の代理でつとめてから気位が高くなって、帯は腰の先に巻くもの、返事は鼻の先でするものと決め、憎らしい風体、あれが頭の子でなければと鳶人足の女房の陰口にのぼる者があり、思う存分にわがままを通して分不相応に幅をきかせるようになっていたが、表町に田中屋の正太郎という年は自分より三つ下だけれども、家に金があり本人に愛敬があるので人に贈まれないまさしく敵(かたき)がいる、自分は私立の学校に通っているのだが、あちらは公立だからといって同じようにうたっている唱歌もあちらの方が本家だというふうな顔をしやがるし、去年も一昨年(おととし)もあちらには大人の取り巻きがついて、祭の趣向もこちらよりはなやかに仕立て、喧嘩をふっかけにくいよ うになっていたもの、今年の祭でもまた負けになったら、誰だと思う横町の長吉だぞと言っている普段の力自慢は空(から)いばりとけなされて、弁天堀で水泳する時にも自分の組になる人は多くあるまい、腕力を言えば自分の方がつよいけれど、田中屋の人あたりのよさにごまかされたり、また一つには勉強ができるのを恐れたりして、こちらの横町組の太郎吉、三五郎などが、事実上はあちら側についたのも口惜しい、祭は明後日(あさつて)、いよいよこちら側が負けそうだと思ったら、破れかぶれに暴れて暴れて正太郎の面(つら)に疵(きず)の一つもつけてやる、自分も片眼片足くらいなくす覚悟ならわけはない、加勢するのは車屋の丑(うし)に元結(もとゆい)よりの文(ぶん)、玩具屋(おもちやや)の弥助(やすけ)などがいれば引けは取るまい、おおそれよりはあの人のことあの人のこと、藤本ならばいい知恵も貸してくれようというわけで、十八日の暮れちかく、ものを言おうとすれば眼口にうるさく飛んで来る蚊を払いながら竹藪しげる龍華寺の庭先から信如の部屋へのそりのそりと向かい、信(のぶ)さんいるかと顔を出したのだった。

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