樋口一葉「たけくらべ」1
きょうから、一葉の代表作「たけくらべ」に入ります。第1章から第3章は、明治28年1月30日刊行の『文学界』25号に掲載されました。
一
廻れば大門《おほもん》の見返り柳いと長けれど(1)、お歯ぐろ溝《どぶ》(2)に燈火《ともしび》うつる三階の騒ぎ(3)も手に取る如く、明けくれなしの車の行来《ゆきき》に、はかり知られぬ全盛をうらなひて(4)、「大音寺前《だいおんじまへ》と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町」と住みたる人の申き、
三嶋神社《みしまさま》の角をまがりてより、これぞと見ゆる大厦《いゑ》もなく、かたぶく軒端《のきば》の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利《き》かぬ(5)処《ところ》とて、半《なかば》さしたる雨戸の外に、あやしき形《なり》に紙を切りなして、胡粉《ごふん》ぬりくり、彩色《さいしき》のある田楽《でんがく》(6)みるやう、裏にはりたる串《くし》のさまもをかし。一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日にしまふ手当ことごとしく、一家内《いつかない》これにかかりて、「それは何ぞ」と問ふに、「知らずや、霜月《しもつき》酉《とり》の日、例の神社(7)に欲深様《よくふかさま》のかつぎ給《たま》ふ、これぞ熊手《くまで》の下ごしらへ」といふ。正月門松《かどまつ》とりすつるよりかかりて、一年うち通しのそれは誠の商買人《しようばひにん》、片手わざにも夏より手足を色どりて、新年着《はるぎ》の支度《したく》もこれ(8)をば当てぞかし、「南無《なむ》や大鳥大明神《おほとりだいめうじん》(9)、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば、製造もとの我等《われら》万倍の利益を」と人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、このあたりに大長者《だいちようじや》のうわさも聞かざりき。
(1)ここから表のほうへ回ると、吉原遊郭の出入口、大門の見返り柳までの道のりはたいそう長いけれど。朝帰りの客が、あとを振り返るあたりにあったところから見返り柳といった。
(2)遊女の逃亡を防ぐために設けられた、江戸新吉原遊郭を囲むみぞ。遊女たちが使ったお歯黒の汁を捨てたところからこう呼ばれた。
(3)妓楼の三階での、三味線、太鼓などによる吉原ならではの演奏。
(4)繁盛ぶりを思わせて。
(5)まるでできない。「かつふく」は、あとに打消しの語を伴い、まったく、まるでの意。
(6)田楽焼き。豆腐、なす、ゆでたさといも、こんにゃく、魚などに練りみそをつけて焼いた料理。多くは串に刺して作る。
(7)大鳥(鷲)神社。
(8)熊手の売り上げ。
(9)「大鳥」に「大取」をかけて祈願している。神仏混淆。
住む人の多くは廓者《くるわもの》(10)にて、良人《おつと》は小格子《こがうし》(11)の何とやら、下足札《げそくふだ》(12)そろへて、がらんがらんの音もいそがしや、夕暮より羽織引かけて立出《たちいづ》れば、うしろに切火《きりび》打かくる(13)女房の顔も、これが見納めか、十人ぎりの側杖《そばづえ》(14)、無理情死《しんぢう》のしそこね、恨みはかかる身のはて危ふく、すはと言はば命がけの勤めに、遊山《ゆさん》らしく見ゆるもをかし。娘は大籬《おほまがき》の下新造《したしんぞ》とやら、七軒(15)の何屋が客廻しとやら、提燈《かんばん》さげてちよこちよこ走りの修業、卒業して(16)何にかなる、とかくは檜舞台《ひのきぶたい》と見たつるもをかしからずや。垢《あか》ぬけのせし三十あまりの年増《としま》、小ざつぱりとせし唐桟《とうざん》ぞろひ(17)に紺足袋《こんたび》はきて、雪駄《せつた》ちやらちやら忙がしげに、横抱きの小包は問《と》はでもしるし、茶屋が桟橋《さんばし》とんと沙汰《さた》して、「廻り遠《どほ》や此処《ここ》からあげまする」、誂《あつら》へ物《もの》の仕事やさんとこのあたりには言ふぞかし。一体の風俗よそと変りて、女子《おなご》の後帯《うしろおび》きちんとせし人少なく、がらを好みて幅広《はばびろ》の巻帯、年増はまだよし、十五六の小癪《こしやく》なるが酸漿《ほうづき》ふくんでこの姿《なり》はと、目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや。昨日《きのふ》河岸店《かしみせ》に何紫《なにむらさき》の源氏名《げんじな》耳に残れど、けふは地廻りの吉《きち》と手馴れぬ焼鳥の夜店を出して、身代たたき骨(18)になれば、再び古巣への内儀《かみさま》姿《すがた》。どこやら素人《しろうと》よりは見よげに覚えて、これに染まらぬ子供もなし。(10)遊郭で働いている人。
(11)新吉原などの下級な遊女屋の妓夫。
(12)はきものを預かったしるしとして渡す札。夕方、妓楼の店開き前に下足札をそろえて打ちならす習慣があった。
(13)安全を祈って、火打石で打ちかける清めの火。
(14)歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」で、野州佐野の絹商人、次郎左衛門が、吉原の花魁(おいらん)八ツ橋を見初めて通いつめるものの愛想づかしされたため、名刀籠釣瓶で八ツ橋以下大勢の人を斬り殺したような刃傷事件の類い。
(15)新吉原の大門口から仲の町右側、江戸町一丁目の角まで。七軒の引手茶屋があったことによる。
(16)すぐ前の「修業」について。
(17)紺地に浅葱(あさぎ)、赤などの縦の細縞を織り出した綿織物。通人が羽織、着物をそろえて愛用した。
(18)使い果たして骨だけになる。つまり、無一文になること。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から
一
回ってみれば大門(おおもん)の見返り柳までの道程(みちのり)はとても長いけれど、お歯ぐろ溝(どぶ)に燈火のうつる廓(くるわ)三 階の騒ぎも手に取るように聞こえ、明け暮れなしの人力車(くるま)の往来ははかり知れない繁盛を思わせて、大音寺前と名前は仏臭いけれど、それはそれは陽気な町と住んでいる人は言ったもの、三島神社(みしまさま)の角を曲がってからは家らしい家もなく、軒端(のきば)の傾く十軒長屋二十軒長屋ばかり、商いはいっこうにふるわない所だとかで半ばとざした雨戸の外に、ふしぎな恰好に紙を切り抜いて、胡粉(ごふん)をぬりたくったのはまるで色をつけた田楽(でんがく)を見るよう、裏にはっている串の様子も面白い、そういう家が一軒や二軒ではなく、朝日がのぼれば干し夕日になればかたづける手入れも大ごとで、 一家中これに取り組んでそれは何なのかと尋ねれば、知らないのか十一月の酉(とり)の日に例の大鳥神社で欲の深い方々が競って買ってかつぐこれこそその熊手の下ごしらえと言う、正月の門松を取り払う頃から始めて、 一年通して働くのが本当の商売人、片手間仕事でも夏から手足を絵の具で汚して、新年着(はれぎ)の支度にもこれの売り上げを当てるのだから、南無(なむ)や大鳥大明神、買う人にさえ大きな福をあたえなさるのなら製造もとのわれわれには一万倍の利益をと職人たちはロを揃えるようだけれど、そうは思い通りにならないもの、このあたりに大金持ちになった者の噂もとんと聞かなかったこと、住む人の多くは廓にかかわる者で夫は小格子(こごうし)の何とやら、下足札を揃えてたてるがらんがらんの音もいそがしいことタ暮れから羽織を引っかけて立って出ようとすれば、後ろで安全を願って切火を打ちかける女房の顔もこれが見納めになりかねない十人斬りのまきぞえだ とか無理心中のしそこねだとか、恨みのかかる身だから行く先はあやうく、すわと言う時には命のかかったつとめなのに遊びに行くように見えるのもおかしい、娘は大籬(おおまがき)の下新造(したしんぞ)だか、七軒の何とかいう店の客回しだかで、提燈提(かんばんさ)げてちょこちょこ走りの修業、卒業して何になるのかと言うと、こうであるからには檜舞台の華魁(おいらん)になるとばかり見なすのもおかしくはなかろうか、垢ぬけのした三十あまりの年増は、小ざっぱりとした唐桟(とうさん)柄の揃いに紺足袋を履いて、雪駄ちゃらちゃらといそがしげに小包を横抱きにしているのは訊くまでもなくあきらか、茶屋の桟橋をとんと鳴らして回ると遠いここからあげますると言ったりして、誂(あつら)え物の仕事屋さんとこのあたりでは呼ぶのだとか、 一帯の風俗はよそとは違っていて、女で帯の後ろをきちんとした人は少なく、柄を好んで幅も広いのを結ばすに巻くふう、年増はまだよい、十五六の小癪なのが酸漿(ほおずき)を口に含んでこのなりとはと目をふさぐ人もあるだろう、場所柄しかたがない、昨日河岸(かし)の店に何とか紫という源氏名を残しても、今日は地回りの吉(きち)と馴れない焼鳥の夜店を出して、貯わえもすり減らすと再び古巣へと戻りかねないかみさまの姿が、どこやら素人よりは見ばえよく感じられて、こうした風情に染まらない子供もいない、
コメント
コメントを投稿