樋口一葉「やみ夜」㉒
きょうは、最終の第12章です。
十二
直次はその夜《よ》の暗《やみ》にまぎれて松川屋敷を出でぬ。明けて驚きし佐助夫婦が、常は兎角《とかく》に小言もいひけれど、「いかに定めて、かかる仕義」と流石《さすが》に胸安からねば評議とりどりに、おそよは朝な朝な手を合する神々にも、心得ちがひのなからんやうにと祈りぬ。
ほどを隔てゝ冬のはじめつ方、事(1)は番町の波崎が本宅前におこりぬ。何某《なにがし》の大会に幹事の任を帯びて、席上演説に喝采《かつさい》わくやうなる中を終れば、酔《よひ》のまぎれの車上ゆるゆると半《なかば》は夢をのせて(2)帰り来たりし表門の前、乍《たちま》ち物かげより跳《おど》り出《いで》たる男の、母布《ほろ》(3)に手をかけて後《うしろ》ざまにと引けば、たまらず覆《くつが》へる処《ところ》を取つて押へて、首筋かゝん(4)とひらめかす白刄《やいば》のさりとは鈍かりしか、頬先《かほさき》少しかすりて、薄手《うすで》の疵《きず》に狼藉《らうぜき》の呼声《よびこゑ》あたりに高く、「今はこれまで」とや逃げ足いづ方《かた》に向ひしか、たちまち霞《かすみ》とかげを消して、誰れとも分らず成りける。明日《あす》は新聞に見出しの文字ことごとしく、ある党派の壯士なるべし、何々倶楽部《なになにくらぶ》の誰れとやら嫌疑《けんぎ》のかゝりて、その筋(5)に引かれぬといふもあれば、終《つ》ひに何物の業《わざ》とも知れで、一月《ひとつき》の後《のち》には風説《うわさ》のあともなくなりぬ。
(1)事件・事故。
(2)夢うつつで。
(3)日よけや雨よけに用いる人力車のおおい。
(4)刃物を手前に動かしてかき切ろうと。
(5)そのことを取り扱う官庁。ここでは警察署か。
疵《きず》は猶《なほ》さら半月の療治に可惜《あたら》男の直《ね》も下がらず、よし痕《あと》は残るとも向ひ疵《きず》(6)とてほこられんか、可笑《をか》し。才子の君、利口の君万々歳《ばんばんざい》の世に、又もややりそこねて身は日陰者《ひかげもの》の、この世にありたりとも天地広からぬ直次郎はいかにしたる。川に沈みしか山に隠くれしか、もしくは心機一転、誠の人間になりしか。それより怪しきは松川屋敷の末なり。この事ありて三月《みつき》ばかりの後《のち》(7)、門は立派に敷石のこわれも直りて、日毎《ひごと》に植木や大工の出入りしげきは、主《ぬし》の替りしなるべし。されば佐助夫婦おらんも何処《いづこ》に行きたる。世間は広し、汽車は国中に通ずる頃なれば。
(をはり)
(6)敵と戦って、からだの前面に受けた傷。武士の名誉とされた。
(7)小学館全集の注には「結末は、ひとり波崎のますますの栄華を述べ、登場人物たちのその後を朧化している。「天道是非無差別」ならぬ世の中(やみ夜)への作者の皮肉ともとれる」とある。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から
直次郎はその夜、闇にまぎれて松川邸を出た。夜が明けて直次郎のいないのに驚いた佐助夫婦、「いつもとかく小言をいったけれど、何を決心してこのような成り行きになったのか」とさすがに心穏やかとはいえずあれこれ取り沙汰し、おそよも毎朝手を合わせ神々に拝み、「心得違いなことをせぬように」と祈った。
それから少し経た冬の初め、事は番町の波崎の本宅の前で起こった。何某の大会で幹事役をつとめ、席上喝采が沸くような内に終わったので、波崎漂、酔いにまぎれ車の上でゆっくりと半ば夢心地で帰ってきた表門の前、突然物陰から男がおどり出てくる。男はほろに手をかけ後ろに引っ張ると、波崎がたまらずひっくり返るところを取り押さえ、闇に刃をひらめかせる。だが、手元鈍ったのか首筋かこうとした刃は頬先をわずかにかすめただけ。狼藉者という呼び声があたりに高く、今はこれまでと思ったのか、たちまち男は姿をくらまし、誰の仕業とも分からなくなった。翌朝の新聞は派手に事件を書き立て、ある党派の壮士であろうというものもあれば、何々倶楽部の誰とかが嫌疑をかけられ拘引されたというのもあり、とうとう何者の仕業とも分からぬまま、 一月後には噂さえあとかたもなく消えてしまうのである。疵は噂が消える以上に早く半月で治り、その疵痕さえも向こう疵であることが男の誇りとも思われるのだから世の中はおかしいもの。才子の君、利ロの君が万々歳と栄える世に、またもややりそこねた日陰者の直次郎、今は一体何をしているのであろうか。川に沈んだか山に隠れたか、もしくは心機一転、真人間になったのか。それより不思議なのは松川邸のその後である。この事件があって三ヶ月ばかりして、門は立派になり、壊れた敷石も直り、毎日植木屋や大工の出入りが激しくなる。主か替わったのであろうか。そうであれば佐助夫婦、お蘭もいずこへいったのであろう・・・・・・。
時は汽車が国中に通じる頃、世間はますます広くなる。
コメント
コメントを投稿