樋口一葉「やみ夜」⑯
きょうは、第9章の前半です。
九
秋は夕ぐれ(1)、夕日花やかにさして、塒《ねぐら》にいそぐ烏の声さびしき頃、めづらしき黒鴨(2)の車夫に状箱もたせて、波崎さまよりのお使ひと言ふが来たりぬ。折しもお蘭さま籬《まがき》の菊に日映りのをかしきをご覧じけるほどなりしが、おそよが取次ぎて、
「珍らしきお便り」
とさし出《いだ》すに、「おかしや白妙の袖にはあらで(3)」と、受取りて座敷へ帰られける。
(1)『枕草子』(1段)に「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず」。
(2)身につけていたのが、上着、股引ともに黒、紺無地仕立てだったので、大家出入りの仕事師や職人、従僕などをこう称した。明治時代には、車夫をもいった。
(3)『古今集』(紀友則)の「花見つつ人まつときは白妙の袖かとのみぞあやまたれける」(白い菊の花をながめながら人を待っていると、白い着物の袖かと見まちがえてしまった)から、菊の花が待つ人の袖に見間違えられたのを受けて、「白妙の袖」ではなく手紙が来たと述べている。
文は長く長く一丈もあるべし。「久しき途絶えを恨めしとも仰せられぬは愁《つ》らからずや(4)。俗用しげく心は君が宿に通へど、浮世は蘆分小舟《あしわけをぶね》(5)ぞかし。今日は暇《いとま》を得て染井(6)の閑居に一人かき籠《こも》りし、理由《わけ》は自《おのづ》から知り給へ。人目の煩ひなく思ふ事をも聞えたく、我れより其邸《そこ》を訪《と》はんは見る目かぐ鼻(7)うるさし。この車にて今より」と能書の薄墨、その昔《かみ》ならば魂も消えぬ(8)べし。
「これ見よおそよ、波崎さまは相變らずお利口なり」
とて、さのみは喜びもせぬお蘭が顏を不審気《いぶかしげ》に守りて、
「お前さまは其やうに落つきてお出《いで》なされど、邂逅《たまさか》の御暇《おいとま》に先方《さき》さまは飛たつやうなるは知れた事、少しも早くお支度をなさりまし。お車も待てをりまする物を」
と急がするに、
「あれ、老媼《ばゝ》は我れに行けと言ふか、さりとは正直者」
と笑ひて返事を書く。
(4)長いあいだ訪ねていかないのは恨めしく思ってくれないのは冷淡ではないか、と勝手な言い分を述べている。
(5)葦の生い茂ったあいだをこぎ分けて行く小船。物事にさしさわりの多いことにたとえて用いる。
(6)現在の東京都豊島区駒込にあった地名。江戸時代には植木屋が多く、ツツジ、サツキ、特に菊細工で知られた。桜のソメイヨシノ発祥の地で、染井墓地がある。
(7)世人が他人の挙動を注意深く視察することをたとえていう語。
(8)たまげる(魂消)。気絶するほど、非常に驚く。ここでは、喜びのあまりに、ということだろう。
「文《ふみ》の便りの度々に釣《つ》られて、万一《もし》やと思ひしは昔し、今日のお蘭はそやうな優しきお孃様気《じようさまぎ》をすてたれば、古手《ふるて》(9)の嬉しがらせを惶《かしこ》みて(10)、御別莊に御機嫌をうかゞふまでの恥はさらさじ。つれなしとても一向《ひたすら》のかき絶え(11)は世にあるならひと諦らめもある物を、憎くき男の地位にほこりて何時《いつ》まで我れを弄《もてあそ》ばんとや。父は山師の汚名を着たれど、未だ野幇間《のだいこ》(12)の名は取らざりし。恋に人目をしのぶとは表面、やみ夜もあるものを千里のかち跣足《はだし》(13)に誠意《まこと》はその時こそ見ゆれ。この家よりは遠からぬ染井の別墅《べつそう》に月の幾日《いくか》を暮すとは、新聞をまたでも(14)知るべき事なり。殊更《ことさら》の廻り道して我が門をよそに、止みがたき時は(15)車を飛ばせて女子《をなご》一人に逢はじの懸念、お笑止や(16)、我れ故《ゆゑ》天地を狹しと思《おぼ》すか。あまりの窮屈にいざ広々とならんには、我れを欺《たら》して君様いとしと言はせ、何も時世《ときよ》とあきらめ給へ、正しき妻とは言ひ難けれど、心は後《のち》の世かけてなどゝ、我れを何処《どこ》までも日蔭ものゝ人知らぬ身としてしまはゞ、前後に心ざはりなくて胸安からんの所為《しわざ》とは見え透きたり。流石《さすが》に御心にはかゝりて、何時《いつ》ぞは仇する女ぞと思《おぼ》し召《めし》たるか。お道理の御懸念《ごけねん》(17)、唯《たゞ》にあるべき我れかは(18)。裏屋の夫婦が倦《あ》かれし(19)とは事かはれば、御身分がら世の攻撃に居場所のなき、そのやうの恥はお互ひの事見せ申すまじ。おのづからの恨みはゆるゆると」と、人こそ知らね心の底には冷やかに笑ひぬ。
返事はたゞ。「折ふしの風邪《ふうじや》に取みだしたる姿はづかしく、中々の(20)御目通りに倦《あ》かれ参らする事つらければ、免《ゆる》し給へ。又こそ」とて、何もうはべは美《うる》はしくして使ひを帰しぬ。
(9)古くから用いられていて、新鮮味のないこと。
(10)ありがたく思って。
(11)まるっきり訪れなくなる。
(12)芸がなくて、ただ客の座をとりもつだけの太鼓持ちを卑しめて呼んでいる。
(13)小学館全集の注には「恋の誠意の証。人目が気になるなら、闇夜に千里の遠い道のりをものともせず、はだしで通いつめるのが恋の誠だ、の意」とある。
(14)名士の消息が載った新聞記事を見なくても。
(15)まわり道ができないときは。
(16)ばかばかしいことだ。
(17)ご懸念はまさにその通り。
(18)このままで済ませる自分ではない。
(19)裏長屋の女房が亭主に飽きられるのとは。
(20)中途半端で、どっちつかずの。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から
九
秋は夕暮れ。夕日がはなやかにさして塒に急ぐ鳥の声さびしい頃、珍しい黒鴨いでたちの車夫に伏箱を持たせ、波崎さまからのお使いというのがきた。折しもお蘭さまは籬の菊に日の照り返して趣があるのをご覧になっていたが、「珍しいお便り」と取り次いだおそよに、「おかしなこと。白妙の袖ではなくて手紙がくるなど」と受取り、座敷へお帰りになった。その手紙、たいそう長く一丈もあるであろうか。
・・・・・・長らく御無沙汰しているのを恨めしいともおっしゃらないのはつれないではありませんか。雑事多く、心では貴女のことだけを思っているが、浮世は蘆分小舟のように差し障りばか りでお会いできなかった。今日は暇を得て染井の閑居にひとり籠っております。そのわけはおのずからお察しください。人目煩うことなく思うことを申し上げたく、どうぞこの車で今からお出でくだ さい。私からそちらを訪ねるのは世間の目、嗅ぐ鼻かうるさいので、ぜひこの車で・・・・・・
「これを見てごらん、おそよ。波崎さまは相変わらすお利ロだこと」
お蘭のそれほど喜んでいるように見えない顔を不審に思いながらも、おそよは急がせる。
「おまえ様はそのように落ち着いていらっしゃるけれど、たまさかの御休暇、先様が仕事でまたすぐお出かけになるのは分かっていること。少しでも早くお仕度をなさいませ。お車も待っておりますものを」
「あれ、婆は私にいけというのですか。それは正直者」と、お蘭は笑いつつ、返事をしたためる。
・・・・・・文の便りがたびたびくるのにつられ、もしやと思ったのは昔のこと。今日のお蘭はそんな優しいお嬢様の気分は捨ててしまったので、古手の嬉しがらせを承り御別荘に御機嫌をうかがうまでの恥はさらすまい。つれないといっても全く音沙汰がなくなるのは世にあるならいと諦めるものを、憎い男が地位を誇り、いつまで私を弄ぼうというのですか。 父は詐欺師の汚名を着たけれど、いまだたいこもちの名は取らなかった。恋に人目を忍ぶ とは表向きの理由。人目か気になるのなら闇夜もあるものを、千里の道をものともせす裸足で歩いてきてこそ誠実さが見られるというもの。この家からは遠くない染井の別荘に月の幾日かを暮らしていることは新聞の名士の消息欄を見なくとも分かります。わざわざ回り道をして我が家の門を避け、どうしても通らなくてはならない時は、私に会うのではないかという懸念を抱いて、あんなに車を飛ばし、ばかばかしい。私がいるために天地を狭いとお思いになられるのか。窮屈のあまり、気持を楽にしようと私を騙して「あなたが愛しい」 といわせ、「何事も時世と諦めてください、正妻とはいい難いけれど心は後の世までもあなたのことを想っています」などといって丸め込んで、私をどこまでも日陰者の人知れぬ身としてしまえば、前後に心障りがなく安堵できるだろうと思っての仕業であることは見え透いています。さすがに御心では気になっていて、いつかは自分に仇する女とでも思っておられるのでしょうか。お考えのとおりのご心配をそのままにしておく私ではありません。裏屋住まいの女房が亭主に捨てられたのとは事情か違うので、ご身分から世間の攻撃に居場所がなくなるなど、そのような恥はお互いのこと、お見せ申すまい。おのずからの恨みはゆっくりと、ゆるゆると・・・・・・
心の底で冷ややかに笑いながら、お蘭が実際にしたためたのは、ただ 「折ふしの風邪に取り乱した姿をお見せするのも恥ずかしく、なまじお会いして飽きられてしまうことがつらいのでご容赦ください。またの折りに」というもので、何事もうわべはうるわしくして、使いの者を帰したのであった。
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