樋口一葉「やみ夜」⑮

 きょうは、第8章の後半部分です。

さして行く処はなし、世間は仇なり。望みの空《くう》に帰してより、この一身をいかになすべき。詮方《せんかた》なき身の捨て処いづこと尋ぬれば、籬《まがき》は荒れて庭は野らなる秋草の茂みに、嵐をいたむ女郎花《をみなへし》(1)にも似たるお蘭さまが上、いとしと思ひぬ。「もとより我れは愚人なり。お蘭さまは女子《をなご》なれども、計り難き意志の、我れ弱虫の類《たぐひ》にはあるまじきなれど、強しといふとも頼むに人なき孤独の身に、大厦《たいか》の一木《いちぼく》(2)何として支へん。佐助おそよとても一身この君にさゝげ物の忠《ちう》ならんが、我が目より見ればまだな事、かよはき御身《おんみ》の女子様《をなごさま》を主《しう》に持ちて、吹かば散るべき花前《くわぜん》の嵐(3)に掩《おほ》ふ袂《たもと》の狭さ狭さ。あの人々はいづれ重代の縁(4)もあるべし、我れは昨日今日《きのふけふ》の恩なれども、情《なさけ》の露の甘きにぬれては、いづれに年の長短を問ふべき。口広けれども(5)、我れはお蘭様に命と申す、この一言を金打《きんてう》(6)にして、心に浮世のさまざまを思ひ斷ちたれば、生死は御心《みこゝろ》のまゝに」と、言はねどもその色あらはれぬ。

(1)日あたりのいい山野に、粒状の黄色い小花をたくさんつける、秋の七草のひとつ。『古今集』兼覧王のうたに「女郎花うしろめたくも見ゆるかな荒れたる宿にひとりたてれば」がある。
(2)「大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず」(国や大きな組織が崩壊しつつあるとき、一人の力ではとうてい支えきれない)による。「大廈」は、大きな建物。
(3)花の咲いているそばを吹く強い風。
(4)先祖代々伝わっている縁。
(5)大きな口をきく、口はばったいが。
(6)武士が約束を破らないしるしに、太刀、小刀などの刃やつばを、相手のそれらと打ち合わせたことから転じて、かたい約束、誓い。

人の心は怪しき物なり。直次がお蘭さまを思ふほどに、佐助夫婦が直次に対する憐れみは薄くなりぬ。見ず知らずの最初、抱《いだ》き入れて介抱の心切《しんせつ》は、つくろひなき誠実《まこと》なれば、今とて更に衰《おとろへ》るよしはなけれど、「一にもお蘭さま、二にもお蘭さまと我が物のやうに差出《さしいで》たる振舞、さりとは物しらずの奴《やつ》かな。御産湯《おんうぶゆ》の昔しより抱《いだ》き参らせたる老爺《おやぢ》さへ、心におもふ事の半分《なかば》は残して、御意《ぎよい》に随《したが》ふは浮世の礼なるを、宿なし男の行仆《ゆきだほれ》を救はれし恩は知らで、我がお孃さまが弟顔《おとゝがほ》する憎くらしさ。あのやうの物知らずは、真向《まつかう》から浴《あび》せつけずは(7)何事も分るまじ」とて、つけつけと憎くまれ口はゞかりなく、ともすれはこの間《あひだ》に年甲斐《としがひ》もなき争ひの火の手もえあがりて、いづれに団扇《うちわ》(8)のあげがたきお蘭さまが、一人気をもむ事もありし。

(7)面と向かってしかりつけないと。
(8)軍配。相撲で行司が勝った力士に軍配団扇を上げることから転じて、いずれかをすぐれていると認めること。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から


さしていく所もない。世間は仇。望みがなくなって、これから自分はどうしたらいいのか。身の捨て場所はどこかと尋ねるうちに、籬荒れた庭の野原のような秋草の茂みに、嵐をいたむ女郎花にも似たお蘭さまのことをい としいと思うようになっている自分であった。

己れはもともと愚か者。お蘭さまは女であるが計りがたい意志を持ち、自分のような弱虫の類であるはずがない。だが、強いといっても頼りにする人のいない孤独な身、ただ一人でふりかかる大きな困難をどうして支えきることができよう。佐助、おそよにしても、一身をこの女主人にささげる忠義者ではあるけれども、自分から見ればまだまだ、吹けば散ってしまう花のようなお蘭さまを浮世の嵐から守る力のなんと微力なこと。代々仕えてきたあの人たちにくらべ、私は昨日今日の恩だけれども、かけてもらったありがたい情を思えば年月の長短は問われるものではなかろう。大言を吐くようだか、自分はお蘭さまにこの命をささげよう。この一言を誓いの言葉として、浮世の様々なことを思い断ち、私の生死をお蘭さまの御心のままにあずけよう。

 口に出してはいわぬとはいえ、内に秘めた覚悟は様子にあらわれるもの。直次郎がお蘭さまを思うにつれて、佐助夫婦の直次郎にたいする憐れみも薄くなっていくのだった。もっとも、最初の介抱で見せてくれた親切は嘘のない誠のものであったから、今でもまったくその親切心が衰えたわけではない。だが、「一にもお蘭さま、二にもお蘭さまと、我がもののようにでしゃばった振る舞いとは、物知らずも甚だしい奴だ。御産湯をつかった昔からお抱き申した爺でさえ、心に思う事の半分はいわずにお気持に従うのが浮世の礼というのに、宿無し男の行き倒れを救われた恩も忘れ、私たちのお嬢さまの弟のような顔をする憎らしさ。あのような物知らずは真っ向からいわないと何も分からぬのであろう」
と、佐助、ずけずけと遠慮なく憎まれ口をいい、ともすれば年甲斐もない争い事を始めて、どちらが正しいともいえないお蘭さまかひとり気をもむこともあった。

コメント

人気の投稿