樋口一葉「やみ夜」⑭

きょうは、第8章の前半部分です。

この夏もくれて秋は荻の葉に風そよぐ頃も過ぎぬ、松川屋敷の月日はいかに流るゝか、お蘭さま佐助夫婦、直次の上にも変りたることなく、唯《ただ》としごろ熱心なりし医学の修業を思ひ絶えたるのみぞこの男の変動なりける。
「どうでもやりまする。骨が舎利《しやり》になるとも(1)やりまする。精神一到何事か出来ぬといふ筈《はづ》はなく、我れも男なれば言ひたる事を後へは引がたし。これまでも散々《さんざん》村の奴原《やつばら》にも侮どられ、此都《こゝ》に出《いで》ても軽蔑されて、出来ぬものに言ひ落されましたれば猶《なほ》さらの事、美事《みごと》通して見せねば、骨も筋もなき男でござります。我れはそのやうな骨なしに見えまするか」
とて、何時《いつ》もこの話しの始まりし時に青筋出《いだ》して畳をたゝくに、
「はて身知らずの男、医者になるは芋大根《いもだいこ》作りたてたるとは竪《たて》(2)が違ふぞ」とて、佐助は真向《まつかう》より強面《こわもて》の異見に、
「とても出来ぬ事はよしてしまへ」
と言ひける。お蘭さまはつくづくと聞きて、
「可愛《かあい》さうに、叱《し》からずともの事なり。それほど思ひ込んだる事なれば出来まじとは言はれねど、荻の友ずり、殖《ふ》へて痩《や》せる(3)は世のならひなれば、隨分と人数《ひとかず》も多し、年毎《としごと》にむつかしくはなる、しかも学費の出どころが無くば一段と難義ではなきか。それが精神一到と其方《そなた》は言ふか知らねど、其方の宝の潔白沙汰《けつぱくざた》(4)は今の世の石瓦《いしかはら》(5)、このやうの事は口にするは厭《いや》なれど、丸うならねば(6)思ふ事は遂げられまじ。その会得がつきたらば隨分おもふ事は貫くがよけれど、どうやらその辺《へん》が六《む》づかしくは無きか」
と仰せられける。


(1)骨が粉々に砕けても。
(2)おきて。とりきめ。
(3)ともずりは、木の葉などが互いにすれあうこと。荻の葉と葉がすれあって互いにやせ細る意。
(4)清廉潔白な生きざま。
(5)価値のないもののたとえ。
(6)人柄が円満にならなければ。


国を出《いで》しよりこの方《かた》、こゝろは一途《づ》にはしりて前後を省みず、どうでも貫ぬくと言ひし舌の根《ね》我れと引きたくはなけれど、打たれて擲《たゝ》かれて軽蔑《おど》されて、はては道ゆく車の輪にかけられて、今一歩の違ひにては一生の不具にもなるべき負傷の揚句、あはれ可愛《かあい》やと救ひあげられし大恩の主様《ぬしさま》とても、浮世は同じ秋風に、門檣《もんしよう》(7)あれて美玉《びぎよく》ちりに隠くるゝ明けくれのたゝずまひ悲しく、「天道はどうでも善人に与《く》みし(8)給はぬか。我が祖父《ぢい》、我が母、我が代《よ》までも、飛虫一つむざとは殺さず、里の小犬が飢渇《きかつ》の哀れは我が一飯を分けてもの心。さりとは世上に敵《かたき》をもうけて、憎まれ者の居処《ゐどころ》なしにならんとは知らざりし。今更世上に媚《こび》をうりて初一念《しよいちねん》(9)のつらぬかるゝとも、それまでの道中いやなり、いやなり。とても辛棒《しんぼう》なりがたきは、泥草履《どろざうり》つかんで追従の犬つくばひ(10)、それで成り上りて医は仁術(11)と勿体《もつたい》ぶる事穢《きた》なし、今は此業《これ》もやめにせん、やめになすべし、思ひ絶えてしまふべし。我れは浮世の能なし猿《ざる》(12)にはなるとも、穢《きた》なき男には得こそなるまじ。それよ」と断念の暁《あかつ》き、よく再度《ふたゝ》び口にも出ださずなりぬ。

(7)門と垣。転じて、家の出入り口。「美玉」は、お蘭さま。
(8)仲間となって加勢する。味方する。
(9)初めに心に決めた覚悟。初志。
(10)「犬つくばひ」は、犬のように両手両足をついてひれ伏すこと。転じて、相手にへつらって機嫌をとるさまを、織田信長に仕えた木下藤吉郎の草履とりの故事にたとえた。
(11)医術は病人を治療することによって、仁愛の徳を施す術である。人を救うのが医者の道であるという医術の理想を表している。
(12)無芸無能なる者。「犬つくばひ」に対応している。



朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から


この夏も暮れ、荻の葉に風のそよぐ頃も過ぎた。松川邸の月日はどのように流れるのか、お蘭さま、佐助夫婦、直次郎の身の上に変わったこともなく、ただ熱心であった医学の修業をあきらめたことのみ、この男の変わったところであった。

「どうでもやります。骨か舎利になるともやります。精神一到すれば何事もできないはずはなく、私も男ですからいい出したことは後へは引っ込められない。これまで散々村の奴らに侮られ、この都に出てきても軽蔑されて、できない奴といい侮られましたのでなおさらのこと、見事にやり通して見せねば骨も筋もない男でございます。私はそのような骨なしに見えますか」
そういう時の直次郎、いつも青筋を立て畳を叩いてはいた。

「はて、身のほど知らずの男だ。医者になるのは芋や大根を作るのとは訳が違う」と佐助は真っ向から強面でいい、「とてもできないことはやめてしまえ」ともいう。
「かわいそうに、そう叱らなくてもいいではありませんか」とお蘭さま。
「それほど思い込んだものなら、できなくはないだろうけれど、茂った荻の葉が擦れ合って痩せるように、競争するものがふえれは、それだけ勝ち残ってゆくのが難しいのが世のならい。医学を志す人もずいぶんと多いし、年ごとに難しくなっていく。しかも学費の出所がない。 精神一到とあなたはいうかも知れませんが、あなたの主義である清廉潔白な生き方も、今の世の中では価値のないもの。こんなことをいうのはいやだけれど、丸くならなければ、思うことは遂げられないでしょう。そのことが分かってから物事を貫くのならよいけれど、どうやらそのへんが難しくはありませんか」

故郷を出てから今まで、心は一途に走って前後を省みず、どうしても貫くといったことは自分から引き下がりたくはない。だが、打たれ叩かれ脅されて、果ては道ゆく車に引っかけられて、もう少しのところで一生の不具になるような負傷をしたあげく、可哀相だと助けてくれた大恩あるご主人様にしても世間の冷たい風に吹かれ、門や垣根は荒れ放題、美玉が塵に埋もれるような明け暮れの有様はあまりに悲しく、お天道さまはどうでも善人に味方してくださらぬのか。我が祖父、母、そして、私も、飛ぶ虫一匹殺せず、飢えと渇きに苦しむ里の小犬に自分の食事を分けても助ける者であるのに、世間に敵を作り、憎まれ者の居所なしになろうとは思いもしなかった。今更ながら世間に媚を売り、初めの一念を貫いたとしても、それまでが嫌で嫌でたまらぬ。とても辛抱ができないのは主人にこびへつらうこと、そのようにまでして成り上がり、医学は仁術などと腐ってもいえぬ。それなら医学修業などやめてしまえ、諦めてしまえ。自分は世間の能無し猿にはなっても心の穢い男にだけはけっしてなるまい、けっして。
と直次郎。そうと決めたら潔く、二度と医学のことはロに出さなくなった次第。

コメント

人気の投稿