樋口一葉「やみ夜」⑪

 きょうは、第6章の後半部分です。

吹風《ふくかぜ》松の梢《こずゑ》にたかく音づるれば、やがてさゞ波池の面《おもて》におこりて、草のそよぎも後《うしろ》の見らるゝに(1)、お蘭さまは猶たゝんともし給はず、
「直次はなぜそのやうにかしこまりてのみゐるのぞや。我ればかりならで、汝《そなた》も何ぞ話して聞かせよ」
と仰せらるゝに、いよいよ詞《ことば》のふさがりてさしうつむけば、
「困りし人よ、女のやうな男」
と笑はれて、「今更きえぬ心の恐れも顏色《いろ》に出《いで》て笑《わらは》るるにや。我が意気地なさに比べて、お蘭さまはどれほど強き心を持てば、あのやうに平気に落つきて、すらすらと物語をつゞけらるゝならん。我れは聞くのみにも胆の冷ゆるやうなるを」と、物は言はで御顏《おんかほ》を打守《うちまも》れば、思ひなしにや流石《さすが》に色は青白く見ゆ。
「さりながらこのはなしは他人《ひと》に聞かすまじきぞや、物いひさがなきは世のならひながら、親のことなれば口惜《くちを》しきぞかし。汝《そなた》とてもこれを知りては、此処《こゝ》は厭《い》やとおもふやうになるべきか。さらば話すのではなかりしに」
と少し景色(2)のかはりて言へば、
「何として何として、その様《やう》なこと思ふてなりませうや。又口外《こうぐわい》などはもとよりの事、夢さら御心配なされますな」
といへば、
「誠に我が弟《おとゝ》同様におもふ心易《こゝろやす》だてより、(3)の見えるやうなこと聞かせし恥かしさ。何も聞ながしにし給へ。さらば行かん」
と立あがるに、
「花は我が持ちて参らん」
「いや、夫れよりは手を助けて給はれ」とて、例の脇道《わきみち》にかゝりし時、しろく美くしき手を直次が肩にかけつゝ、
「小作りに見ゆれど流石に男は丈の高きものかな、汝《そなた》は幾歳《いくつ》ぞや、十九か二十か。我れに比らべてよほどの弟《おとゝ》とおぼゆるに、我れはまあ、幾歳《いくつ》ほどに見ゆるぞや」
「されば一ツ二ツの姉君か」
「何《なん》として何として、すがれ(4)と言ふ三十は頓《やが》てほどなき二十五」
といふ。
「それは誠か。何たる御若《おんわか》さ」
といへば、
「褒《ほ》めるのかや、誹《そし》る(5)のかや」
とて御顔《おんかほ》あかみぬ。

(1)不気味なあまり背後が気にかかる。
(2)顔面にあらわれた表情。顔色。
(3)人に見せない心の最も奥の部分。
(4)盛りを過ぎて衰えかかること。
(5)他人を悪く言う。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から

吹く風が松の梢を鳴らし、やがてさざ波が池の面に起こり、不気味なあまり草のそよぐ音にさえ振り返りそうなのに、お蘭さまはなおも立ち上がろうともなさらない。
「直次はなぜそのようにかしこまってばかり。私だけでなくあなたも何か話して聞かせなさい」
そういわれて、ますます言葉が喉につまる直次郎である。
「困った人、女のような男だこと」とお蘭は笑う。
今更ながら消えない心の恐れが顔に出て笑われるのだろうかと直次郎。自分の意気地のなさにくらべ、お蘭さまはどれほど強いお心を持っているのであろうか。聞くだけでも肝が冷えるような話であるのに、このように平気で落ち着いているのだ。そう思いながら黙ってお蘭さまの顔を見つめていると、思いなしかさすがに顔色は青白く見える。

「だけれども、この話は他人に聞かせてはなりませんよ。口さがないのは世のならいながら、親のことであるから悔しい。でも、こんな話を聞いて、あなた、この邸にいるのがいやになったかも知れませんね。それなら話すのではなかった」
お蘭の様子が少し変わったようにも見えて、直次郎は、
「どうしてどうして、そのようなことを思うでしょうか。また口外など思いもよらぬこと。つゆともご心配なされますな」
「本当に私の弟のように思えて、ついおかしなことを聞かせてしまったようで恥ずかしい。何も聞かなかったと思って忘れてしまって」

お蘭さまは立ち上がり、花は持つので肩を貸してくださいという。脇道にかかった時に白く美しい手が直次郎の肩にそっと触れて、自分よりも背の丈の高い男を見上げていう。
「あなたはいくつかしら、一九か二十歳か、私にくらべてよほど下の弟と思えるけれど。私はいくつに見えて」
「ならば一つ二つ上のお姉様というところでしょう」
「まさかまさか・・・・・・、二 五歳」
「それは本当でございますか。何というお若さでしょう」と直次郎がいうと、「褒めているのか謗っているのか」とお蘭さま、顔を赤らめた。

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