樋口一葉「やみ夜」⑩

きょうは第6章の前半部分です。


庭草におく露玉をつらねて、吹風《ふくかぜ》心地よき或る朝ぼらけ(1)のこと、おらん様いつより早くお起きなされて、
「今日は父様《とゝさま》が御命日なれば、お花は我れが剪《き》りて奉らん」
とて、花鋏《はなばさみ》手にして庭へ下りらるゝに、
「撫子《なでしこ》ならば裏の方が美くし」
とて直次(2)も続いて跡を追ひぬ。
いつぞは問はんと思ひし此処《こゝ》の様子を、お蘭様が口づから(3)聞くよしもやと直次郎、例に似ず口軽《くちがる》に物いへば、お蘭様も機嫌よげにて、早百合撫子《さゆりなでしこ》あれこれの花は剪《き》りて後《のち》も、我が庭ながら物珍らしげに見あるき給ふ嬉《うれ》しさ。直次は何気なき体《てい》にて、
「今日のお志し(4)は御父上様とか。お前様は幾歳《いくつ》にて別れ給ひしぞ」
と問へば、
「汝《そなた》も早くよりの(5)一人者《ひとりもの》とや、我れによく似しことかな」
とほゝゑまる。

(1)夜のほのぼのと明ける、夜明けがた。「あけぼの」より少し明るくなったあたり。
(2)直次郎を略してこう呼んだ。松川家の一人としてお蘭さまに仕える身になった気分が込められてのことか。
(3)自分の口から。自らの言葉で。
(4)追善供養。
(5)幼いころからの。

「この坂を下りて彼方《かしこ》へ行て暫時《しばし》やすまん。つかれては話しも厭《い》やなれば」
と仰せあるに、
「さらば帰りたまふか」
「厭々《いやいや》、今しばし遊ばん」
とて苔《こけ》なめらかなる小道を下らるゝに、
「おあぶなし」
と言へば、
「気の毒なれどその肩をかし給へ」
とて、つと寄りて此処《こゝ》を下《を》りぬ。
下りて出《いづ》るは例の池の岸なり。木の切株の平らなるに塵《ちり》を払ひて、
「此処《こゝ》にお休みなされよ」
と言へば、
「嬉《うれ》しき事よの。今日は弟《おとゝ》の介抱をうくるやうなり。其方《そなた》も此処《こゝ》へ休まばよきに」
と半分を讓らるれば、
何《なに》として勿体《もつたい》なき事(6)
と直次は前なる枯草の中へうづくまりぬ。
「其方《そなた》も早くに二《ふ》タ親《おや》とも世をさりしとか。我れも母なりし人の顏はしらで、育ちしは父上の手一つなれば、恋しさなつかしさは又一倍に覚ゆるぞかし。平常《つね》はともあれ、由縁《ゆかり》ある日(7)はこと更におもひ出《いで》られて、紛《まぎ》らさんとても気の紛れぬは今日なり。其方にもその覚えはあるべし」
とあるに、
「誠にその通り」
とて直次も涙ぐまれぬ。
「さてもお父様《とゝさま》は幾年の前にか失《う》せ給ひし。お前様の親御様《おやごさま》なれば御年《おんとし》もまだお若くありしならん」
と問へば、
「いや、若しといふほどにはあらず、別れしは八年の前。おもへば夢のやうな(8)別れなりし」
とあるに、
「さらば御病気は俄《にはか》の病ひにてやありし」
と畳《たゝみ》かけて問へば、
「何《なん》の、病気かは。我が父はこれ、この池に身を沈め給ひしなり」
直次が驚愕《おどろき》に青ざめし面《おもて》を斜《なゝめ》に見下して、お蘭様は冷やかなる眼中《まなこ》に笑みを浮かべて(9)
水の底にも都のありと詠みて帝《みかど》を誘《いざな》ひし尼君が心は知らず(10)、我が父はこの世の憂きにあきて、何処《いづこ》にもせよ静かに眠る処《ところ》をと求め給ひしなり。浪は表面《おもて》にさはぐと見ゆれど、思へばこの底は静《しづか》なるべし。世の憂き時のかくれ家《が》は山辺も浅し海辺もせんなし、唯《たゞ》この池の底のみは住《すみ》よかるべし」
とて静かに池の面《おも》を見やられぬ。

(6)どうしてそんなことができるだろう。
(7)命日。
(8)はかなく、あっけないことで信じられない。
(9)小学館全集の注には、「「冷やかなる眼中に笑みを浮かべ」たお蘭さまのイメージは、前作までは見られなかったもの。逆境で開き直った不敵さは、すなわち、一葉自身が実生活を通して身につけた姿勢であった」とある。
(10)『平家物語』によれば、壇ノ浦の合戦で源氏の軍勢に破れた際、まだ8歳の安徳天皇は、「浪の下にも都の候ぞ(波の下にも都がございますよ)」と慰める二位の尼(平時子)に抱かれて入水したとされる。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から


庭草におりた露玉がつらね輝き、吹く風も心地よいある朝のこと。お蘭さまがいつもより早くお起きになられて、「今日は父様のご命日なのでお花は私が剪ってお供えしましょう 」といって花鋏を手にして庭へ下りられるので、「撫子ならば裏の方がきれいです」と直次郎も続いて後を追った。
いつかは尋ねようと思っていたこの邸の様子をお蘭さま自身の口から聞けるかもしれぬと、直次郎はいつもに似合わず軽い調子でものいうと、お蘭さまも機嫌が良いよう。百合、撫子、あれこれの花を剪った後も、自分の庭ながらも珍しそうに見てお歩きになる。

「今日のご供養はお父上様のためとか」と直次郎。「あなた様は幾歳でお父上とお別れになられたのですか」
「あなたも幼い頃からのひとり者とか。私とよく似た身の上」とお蘭さまも微笑まれる。「この坂を下りてあそこへいってしばらく休みましょう、疲れてしまっては話をするのもいやだから」
「ではお帰りになられるのですか」
「いえいえ、もう少し遊んでいきましょう」
お蘭さまは苔がなめらかな小道を下ってゆかれる。
「危ない」
直次郎が声をかけると、「気の毒だけれどあなたの肩を貸してね」とつと寄り添って坂を下りるお蘭さまであった。

下りて出てきたところは例の古池の岸。直次郎は木の切り株の平らなところの塵を払って、「ここにお休みください」
「嬉しいこと。今日はまるで弟の介抱を受けるよう。あなたもここにきて休めばいいのに」と座っている半分を譲ろうとする。
「どうして、もったいないこと」
直次郎は前の枯れ草の中に腰を下ろした。
「あなたの御両親も早くに世を去ったとか。私も母の顔を知らず、父上の手ひとつで育ったので、恋しさ懐かしさは人一倍。つね日頃はともかく、命日にはことさら父上のことが思い出され、何かで紛らわそうとて紛れない。あなたにもそのような経験はあるでしょう」
直次郎はその言葉に涙ぐんでしまいそうにもなる。

「お父様は幾年前に亡くなられたのですか。あなた様の親御様ならばまだお若かったでしょうに」
「いえ、若いというほどではないの。死に別れたのは八年前。思えば夢のようにあっけない別れ・・・・・・」とお蘭。
「ではご病気だったのですか」
「どうして、病気などではありません。私の父はこれ、この池に身をお沈めになられたの」
あまりの驚きに直次郎の顔から血の気がひいたが、それを見ても、お蘭さま、斜めに見下ろすようにして冷ややかな目に笑みを浮かべている。
「水の底にも都ありと詠まれて安徳帝を誘って壇ノ浦で入水した二位の尼君の心は分からないけれど、父上はこの世の憂きことに飽きて、どこでもいいから静かに眠れる所をとお求めになられた。水面の上では波が騒いでいるように見えるけれど、きっとこの池の底は静かでしょう。この世をつらいと思う時の隠れ家は、山の麓も人里に近いし、海辺も役に立たない。ただこの池だけは住みよいと・・・・・・」
お蘭さまは静かに池の面を見やられる。

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