樋口一葉「やみ夜」⑨
きょうは、第5章の後半部分です。
さしも広かる邸内を手入れのとゞかねば木はいや茂りに茂りて、折しもあれ、夏草処得《ところえ》がほにひろがれば、忘れ草しのぶ草(1)それ等《ら》は論なし、刈るも物うき雑草のしげみをたどりて裏手にめぐれば、幾抱への松が枝《え》、大蛇《だいじや》の水にのぞめる如くうねりて、下枝《しづえ》はぬるゝ古池のふかさ幾ばくぞ。昔しは東屋《あづまや》(2)のたてりし処《ところ》とて、小高き所の今も余波《なごり》は見ゆめれど、まやの余りも浅ましくあれて、秋風ふかねど入日かげろふ夕ぐれ(3)などは、独りたつまじき怪《あやし》の心(4)さへ呼おこすべく、見渡す限り物すさまじき(5)宿に、さらでも沈みがちの直次郎、明けぬれど暮れぬれど、淋しき思ひは満身をおそひて、弥々《いよいよ》浮世に遠ざかるやうなり。
月にも暗《やみ》にもをかしきは夏の夜《よ》といへど(6)、かゝる宿の夕月夜《ゆふづきよ》、五条わたりの軒《のき》のつまならば(7)、夕がほの猶《なほ》や花々しかるべき。お蘭さまの居間といへるは、廊下いく曲りはるかにはなれて、独りや物おもふ、呼べど答へも松風の音ものさわがしき奧の奧の奧座敷なり。
(1)「忘れ草」は、「かんぞう(萱草)」の異名で、身につけると憂さを忘れると考えられていた。「しのぶ草」は、「のきしのぶ(軒忍)」の異名で、縁語。『伊勢物語』に「忘れ草生ふる野べとは見るらめどこは忍ぶなり後もたのまむ」(忘れ草が生いしげる野辺と見るだろうが、これは忍ぶ草でこれからも頼りにしたいものだ)。
(2)庭園などに設けられた、四方の柱と屋根だけの休息所。亭(ちん)。「まや」も同じ。
(3)夕日がかげる日暮れ時。
(4)もののけに誘われる衝動。
(5)荒涼としている。
(6)『枕草子』第1段に、「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」とある。
(7)『源氏物語』(夕顔)で、光源氏が大弐の乳母が病にかかって尼になっているのを見舞った夏の夕方、隣家の軒先の夕顔の花を折らせる条によっている。
直次は老夫婦《ふたり》と共に玄関近き処《ところ》にあれば、一家のうちながら自《おのづか》らの隔てに、病中とは異なりて打とけて物いふ事も少なく、佐助おそよとても嬢様をば神様のやうにいつきまつりて(8)、大事に大事に大事に、我が命はよしや(9)芥《あくた》のすてもせん、この御為《おんため》ならばと忠義は然《さ》る事ながら、唯《たゞ》おそれて惶《かしこ》みて、此処《こゝ》に盛りの名花一木《ひとき》(10)、ちらさじ折らさじと注繩《しめ》(11)引はへて、垣《かき》の外より守るが如く、馴れての睦《むつ》みのあらざれば、直次もいつしか引いれられて、我れは食客《しよくかく》の上下相通《さうつう》の身ながら(12)、さながらお主様《しゆさま》のやうにぞ覚えける。されば月の頃の夕納凉《ゆふすゞみ》とて、団扇《うちは》かた手に浮世物がたり(13)、声たからかと昼の暑つさを若竹の葉風に払ひて、蚊遣《かやり》の烟《けぶ》り空になびかする軽々しきすさび(14)もあらねば、何《なん》として分るべき、お蘭さまの人となりもこの家《や》の素性も。唯《たゞ》雲をつかむやうの想像に、虚実は知らず、佐助おそよが物語を加へて、僅かに松川何某《なにがし》といひし財産家の浮世にはづれ易き投機《やま》にかゝりて、花を望みし峯の白雲《しらくも》あとなく消ゆれば(15)、残るはお蘭様のお身一つと、痛はしや背負ひあまる負債《もの》もあり、あはれ此処《こゝ》なる邸も他人《ひと》の所有《もの》と、唯これだけを暁《さと》り得ぬ。
(10)お蘭さまのことを指している。
(11)注連縄の略。領有の場所であることを示したり、出入りを禁止したりするための標識にする。
(13)世間のうわさ話。世間話。
(14)心のおもむくままにする慰みごと。
(15)花だと思って眺めていた嶺の白雲が風に吹き払われてなくなってしまったように、栄華の夢が消えてしまった。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から
それにしても広い邸内。手入れがゆき届かないので、樹木が茂りに茂り、夏草が良い場所があったとばかりに生え広がり、忘れ草、忍草・・・・・・刈るのもわずらわしい雑草の茂みをたどって裏手に回れば、幾抱えもありそうな松の枝が水にのぞんだ大蛇のようにくねってもいる。その下枝を濡らしている古池の深さはどのくらいなのであろう。昔東屋があったらしいが、その名残は小高い所にあるとはいえ、あさましいほどの荒れ放題。秋風こそ吹かないがタ日が沈んであたりがかげつてくる頃など、一人で立っていられぬほどにぞっとするような感じである。見渡すかぎりすさまじい邸に、そうでなくとも沈みがちな直次郎、明けても暮れても淋しさが満身を襲ってますます浮世から遠ざかる気がした。
月も闇も趣があるのは夏の夜といい、五条あたりの軒先ならばやはりタ顔の花がタ闇をほんのり染めているはずだが、この邸にそんな風情はありそうもない。お蘭さまの居間というのも幾度も廊下を曲がった遠くにあり、呼んでも答えるのは松風の騒がしい音ばかりのような所にある。直次郎は老夫婦といっしょに玄関の近くにいて、お蘭とは病気中とは違ってうちとけてものをいうことも少なくなり、まして佐助、おそよともお嬢さまを神様のように大切に守り育てている。自分の命はたとえ塵あくたのように捨てようとも、このお嬢さまのためならば、という忠義の心、畏まって今が盛りの一木の名花のごときお蘭さまを散らすまい、折らすまいと縄を張り巡らし垣の外から守るような雰囲気に、直次郎までがお蘭さまを主人のように思ってもいるのだった。月が美しい頃のタ凉み、団扇を片手に声高らかに世間話をしながら、昼間の暑さを若竹の葉風で払って蚊遣りの煙を空になびかせるような慰みごとがあろうはずもない。当然、お蘭さまの人となりもこの家の素性もただ雲をつかむような想像をめぐらすだけで、嘘かまことか分からぬが、佐助、おそよが物語る話から推測するより他にないのだ。ふたりの話によれば、松川某といわれた財産家が浮世に外れやすい投機にかかり、花の咲くのを待っていた峰の白雲のようにあとかたもなく消えてしまった。あとに残ったのはお蘭さまのお身ひとつ。いたわしいほど背負いきれない負債もあり、哀れこの邸も他人のものだというのであるが・・・・・・。
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