樋口一葉「やみ夜」④

 きょうは、「やみ夜」の第三章の前半部です。漂泊の青年、直次郎の人となりが語られていきます。

三 
籬《まがき》にからむ朝顔の花は一朝の栄えに一期の本懷を尽くす(1)ぞかし、我身に定まりたる分際を知らば、為らぬ浮世に思ふ事あるまじく、甲斐なき悶《もだえ》に膓《はらわた》煮ゆ(2)べしやは。さても祖父《ぢい》の世までは一郷(3)の名医と呼ばれて、切棒の駕《かご》(4)に畔《あぜ》ゆく村童《わらべ》まで跪《ひざまづ》かせしものを、下りゆく運は誰《た》が導きの薄命道(5)。不幸夭死《ようし》(6)の父につゞきて母は野中の草がくれ(7)、妻とは言はれぬ身なりしに、浮世はつれなし、親族《みより》なりける誰れ彼れが作略(8)に、争そはんも甲斐なや、亡き旦那様こそ照覧ましませ、八幡(9)いつはりなき御胤《おたね》なれども、言ひ張りてからが欲とやいはれん卑賤《ひせん》の身くやしく、涙を包みて宿に下りしは、この子胎内に宿りて漸《やうや》く七月、主様《ぬしさま》うせての二七日《ふたなぬか》(10)なりける。
さるほどに狭きは女子《をなご》の心なり、恨みにつもる世の中あぢきなくなりて、死出の山踏《やまぶみ》(11)けふや明日やと祈れば、さらでもの初産に血の騒ぎはげしく、産み落せし子の顔も得しらで、哀れ二十一の秋の暮、一村《ひとむら》しぐれ誘はれて逝きぬ(12)


(1)「槿花(きんか)一日(いちじつ)の栄(えい)」による。白居易の詩の一節から、栄華のはかないことのたとえ。松の木は1000年経ってようやく枯れるが、槿花は一日にして自ずから栄をなす(朝咲いて夕べにはしぼんでしまうムクゲの花は一日で自然と盛りが終わる)、と現世に執着することの愚かさを説く。ここでは、朝顔の花ははかないけれども一日の栄華に一生の願いを遂げるものだ、という意味で用いている。
(2)はらわた(腸)が煮え返る。激しい怒りをこらえることができない意。
(3)「郷」は、もともと律令制における地方行政区画の最下位の単位「里」を、奈良時代に改めた名称。初めは国、郡、郷の順だったが、その下に後に村が設けられ、数村を合わせたものをこう呼ぶようになった。
(4)切棒駕籠(きりぼうかご)。かつぐ棒が短い駕籠。
(5)「下りゆく」「導き」「薄命道」は、「駕」の縁語になっている。
(6)夭折。若いうちに死ぬこと。わか死に。
(7)世間をはばかる身の上。日陰の身。
(8)はかりごとをめぐらす。策略。
(9)神仏が御覧になること。「神々も照覧したまえ」というように偽りのないことを誓う言いまわし。「八幡」は、八幡神に誓って、の意から、断じて、確かに、誓って、の意。
(10)死後14日目にあたる忌日。
(11)死んであの世へ行きたいと願うこと。
(12)ひとしきり降り続ける時雨に誘われるように。


東西しらぬ昔しより父なく母なく生ひたてば、胸毛に埋もれし祖父《ぢい》の懷中《ふところ》よりほかに世の暖かさを身に知らねば、春風《しゆんぷう》氷をとく(13)小田の畔《くろ》(14)に里の童《わらべ》が遊びにも洩れて、我れから木がくれのひねれ者(15)に強情いよいよつのれば、憐れをかくるは祖父《ぢい》一人。「世間の人に憎くまるゝほど、不憫や親のなき子は、添竹《そへだけ》のなき野末の菊(16)の曲がるもくねるも無理ならず。不運は天にありて身から出《いで》たる罪にもあらぬを、親なし子と落しめる奴原《やつばら》が心は鬼か蛇《じや》か。よし我等が頭《かうべ》に宿り給ふ神もなき仏もなき(17)世なるべし。世間は我等が仇敵《かたき》にして、我等は遂ひに世間と戦ふべき身なり。祖父《ぢい》なき後《のち》は何処《いづこ》に行きても人の心はつれなければ、夢いさゝかも他人に心をゆるさず、人我れにつらからば、我れも人につらくなして、とても憎くまるゝほどならば、生中《なまなか》人に媚びて心にもなき追従《ついしよう》(18)に、破《や》れ草鞋《わらんじ》(19)の踏みつけらるゝ処業《しわざ》はすな」とて口惜し涙に明けくれの無念はれ間なく、我が孫かはゆきほど世の人憎くければ、この子が頭《かしら》に拳《こぶし》一つ当てたる奴《やつ》は仮令《たとへ》村長どのが息子にせよ、理非は兎《と》に角《かく》相手は我れと力味《りきみ》たつ、無法の振舞やうやく募《つ》のれば、もとより水呑み百姓(20)の痩田《やせだ》一枚もつ身ならぬに、憎くき老《おひ》ぼれが根生骨《こんぜうぼね》、美事通して見よやとばかり、田地《でんぢ》持ち(21)に睨《に》らまれたるぞ最期、祖父《ぢい》孫二人が命は風にまたゝく残燈《ありあけ》(22)の、言はんも愚かや、消ゆるは定《ぢよう》なり。
娘が死《う》せての十三回忌より老爺《おやぢ》は不起の病ひにかゝりぬ。観念の眼《まなこ》かたく閉ぢては、今更の医薬も何かはせん。哀れの孫と頑固《かたくな》の翁《おきな》と唯二人、傾《かたぶ》きたる命運を茅屋《わらや》(23)が軒の月にながめて、人きかば魂《たま》や消《け》ぬべき凄《すご》く無惨の詞《ことば》を残して、我れは流石《さすが》に終焉《しうゑん》みだれず、合唱すべき仏もなしとや、嘲ける如き笑《ゑ》みを唇に止《とゞ》めて、行方は何方《いづく》ぞ地獄天堂(24)三寸(25)息たえて万事休《や》みぬ。


(13)東風解凍(東風氷を解く)。冬から春に変わる季節の変わり目。春の暖かい風で雪が解ける意から、春の訪れをいう。
(14)田んぼのあぜ道。
(15)木蔭に隠れて遊びに加わらない、素直でないひねくれもの。
(16)「親のなき子」を「添竹のなき野末の菊」にたとえている。
(17)「正直の頭に神宿る」(誠の心をもって正直に世渡りをする人間には、かならずいつの日にか神の加護がある)という諺を踏まえている。
(18)他人の気に入るような言動をする。こびへつらうこと。
(19)「踏みつけらるゝ」を引き出す序詞。破れ草鞋のように人の踏みつけにされることはするな、と言っている。
(20)自分の田畑を持たない貧しい農民。
(21)田地を多く所有する豊かな人。
(22)有明行灯の略。夜明けまでともして(有明の灯をともす)おく小型の行灯。二人の命を、頼りのない有明行灯のあかりにたとえて、消えるのは当然のこととしている。
(23)かや、わらなどで屋根をふいた家。
(24)天上界。極楽浄土。
(25)短いことのたとえ。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》
『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から

籬にからむ朝顔の花は一朝の栄えに一期の本懐を尽くす。我が身に定められた分際を知っていれば、思いに任せぬ世に迷うことなく、甲斐なき煩悶に怒り狂うこともない。だが、しかし、祖父の代までは一郷の名医と呼ばれ、切棒の駕で畦道をいく村の子供たちまでも跪かせたものだが、次第に運が下っていったのは誰の導きによるものであるか。不幸にも父が若死すると、浮世はつれなく親類であった者さえもが残された妻によからぬ噂を立てる。そんな策略との争いも甲斐ないものと思いつつ、亡き旦那さまをご覧なさいませ、八幡神に誓って断じて嘘いつわりのない御胤、といい張ったとて、それが逆に欲の深い者といわれるであろう卑賤の身の悔しさ。涙を包んで実家に帰ったのがこの子が胎内に宿ってからようやく七月、主人か亡くなってから一四日目の忌日であった。哀れにも狭きは女の心、恨みのつもる世の中が面白くなくなって、冥土にあるという山を今日踏めるか、明日踏めるかと死を願い、そうでなくとも初産の血の騒ぎ激しく、産み落した子供の顔も見ぬまま哀れ二一歳の秋の暮れに、ひとしきり降った時雨に誘われるかのように逝ってしまった。東西も知らぬ、父母も知らぬで育ち、胸毛に埋もれた祖父の懐より他に温かさも知らぬ。春風が氷を溶かす田圃の畔で村の子供たちが遊ぶのからもはずれて、一人木の陰に隠れるひねくれ者の子供となり、ますます強情にもなる。だが、そんな子に隣れみをかける者もやはり祖父一人である。

「世間の人に憎まれるほど不憫でならない。親のない子は添え竹のな い野末の菊のごとく曲がるもくねるも無理はないというものだ。不運は天にあって身から出た罪でもないのに、親なし子を落としめる奴らの心は鬼か蛇か。我等に宿りたもう神も仏もない世の中であれば、世間と戦うのみ。この祖父が死んだら、どこにいっても人は皆つれないだろうから、けっして他人に心許さず、人が己れにつらくあたれば、己れもつらくあたれ。どうせ憎まれるくらいなら、なまなかに人に媚びて心にもない御機嫌を取ったり、人に踏みつけられるような真似はするな」

祖父は孫にいいながらも悔し涙にあけくれ、無念の晴れる間もないのである。我が孫が可愛いほど世間が憎い。この子の頭に拳固の一つも当てた奴はたとえ村長殿の息子とて、理非はともかく相手は自分だと力み立つ。無法の振る舞いがこうじて いくと、「もとより水呑み百姓の、痩せた田圃一つない身でありなから憎い老いぼれの根性骨、見事通して見ろ」とばかり、田地持ちに睨まれたら最後、祖父孫二人の命は風にまたたく残灯に等しく、一言うも愚か消えるのは必定である。

やがて、娘の一三回忌を迎える頃、老爺は起き上がれないほどの病にかかってしまい、死の覚悟 を決めてからは今更の 医薬も何の役にも立ちはしない。哀れな孫と頑固の翁とただ二人、傾いた命運を藁家の軒に覗く月に見るばかりである。人が聞いたら魂も消えてしまうほどの無惨な言葉を残し、合掌すべき仏もなしとでもいうかのごとく冷ややかな嘲笑を唇に浮かべたまま、終焉乱れもしない。行先は何処か地獄か天堂か。息が途絶えて万事が終わった。

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