樋口一葉「やみ夜」①

きょうから小説「やみ夜」に入ります。明治27年5月1日、旧本郷区丸山福山町に転居した後に起稿し、第1~4回は『文学界』第19号(明治27.7.30)に掲載されました。

取まわしたる(1)邸の広さは幾ばく坪とか聞えて、閉ぢたるまゝの大門はいつぞやの暴風雨《あらし》をそのまゝ、今にも覆へらんさま危ふく、松はなけれど瓦に生ふる草の名のしのぶ(2)昔はそも誰れとか、男鹿やなくべき宮城野の秋を(3)、いざと移したる小萩原、ひとり錦をほこらん頃《ころ》も(4)観月のむしろ(5)雲上の誰れそれ(6)様つらねられける袂《たもと》は夢なれや。秋風さむし飛鳥川の淵瀬(7)こゝに変りて、よからぬ風説《うわさ》は人の口に残れど、余波《なごり》いかにと訪ふ人もなく、哀れに淋しき主従三人《みたり》は、都ながらの山住居《ずまゐ》にも似たるべし。

(1)塀でまわりをかこんだ。とりまいた。
(2)白居易「新楽府・驪宮高」の「牆(かき)に衣(こけ)有り、瓦(かわら)に松有り」から。「瓦 の 松」は、荒れはてた家の瓦の上にはえた松。古びた家の形容に用いる。原詩の意は、しのぶ草ともツメレンゲともいう。
(3)『源氏物語』(椎本)に「牡鹿鳴く秋の山里いかならむ小萩が露のかかる夕暮」。「宮城野」は、陸奥国宮城郡の平野で、仙台市の地名。古くは秋草、とりわけ萩の名所として知られた。
(4)萩が一面に美しく咲いている時節を錦に見立てていっている。
(5)月見の宴席。
(6)一般からかけ離れた高貴な人。雲上人。
(7)『古今集』(雑下、よみ人知らず)に「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」。この歌によって、淵瀬が定まらないという、飛鳥川のイメージが固定化した。「飛鳥川」の「あす」は、「明日」をかけて「昨日」「今日」の縁語となっている。

山師(8)の末路はあれと指されて衆口一斉に非はならせど、私欲ならざりける証拠《しるし》は、家に余財のつめる物少なく、残す誹りのそれだけは施しける徳も陰なりけるが多かりしかば(9)、我れぞその露にと濡れ色みする人すらなくて、醜名ながく止まる奧庭の古池に、あとは言ふまじ恐ろしやと雨夜の雑談《ぞうだん》に枝のそひて(10)、松川さまのお邸といへば何となく怕《こわ》き処のやうに人思ひぬ。
もとより広き家の人気《ひとげ》すくなければ、いよいよ空虚《がらん》として荒れ寺などの如く、掃除もさのみは行とゞかぬがちに、入用の無き間は雨戸をそのまゝの日さへ多く、俗にくだきし河原の院(11)もかくやとばかり、夕がほの君ならねど(12)、お蘭《らん》さまとて冊《かしづ》かるる(13)娘《ひと》の鬼にも取られで、淋しとも思はぬか、習慣《ならはし》あやしく無事なる朝夕が不思議なり。
昼さへあるに夜るはまして、孤燈かげ暗き一室《ひとま》に壁にうつれる我が影を友にて(14)、唯一人悄然と更け行く鐘をかぞへたらんには、鬼神をしのぐ荒ら男たりとも、越し方ゆく末の思ひに迫まられて涙は襟に冷やかなるべし。

(8)他人を欺いて利益を得ようと図る人。詐欺師。
(9)陰徳。人に知られないようにひそかにする善行。
(10)雑談に尾ひれがついて。『源氏物語』(帚木の巻)で五月雨の一夜、光源氏や頭中将たちが女性の品評をする「雨夜の品定め」による。
(11)左大臣源融の荒れ果てた旧邸で、『源氏物語』の夕顔にある廃院。
(12)河原院を訪れた夕顔は、怨霊が現れて殺されてしまう。
(13)大切に養い育てられる。
(14)『和漢朗詠集』(秋夜)」にある白居易の詩句(「上陽人」)に、「秋の夜長し、夜長くして眠ること無ければ天も明けず、耿々たる残りの燈(ともしび)の壁に背けたる影、蕭々たる暗き雨の窓を打つ声」とある。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。







《現代語訳例》
『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・藤沢周]から

塀をめぐらした邸の広さ、幾ばく坪といわれ、閉じたままの大門はいつぞやの暴風雨のままに今にも崩れてしまいそうなほどだ。その瓦の上に乱れ生うる忍草・・・・・・昔を忍ぶ者はそも誰のことというのか、牡鹿鳴く宮城野の秋の風情を思わせるような萩原の、その盛りを誇る時節でも、もはや月見の宴に訪れる者とて昔日の夢。秋風がただ通り過ぎ、その邸に住む者についてのよからぬ噂だけが残る。哀れ に淋し い主従三人は都にいなから、山住まいにも似た暮らしぶりである。

世間の人々は山師の末路はあのざまだと指さし口々に非を鳴らすが、その邸にはなんら私欲で肥えた余財などなく、かといって、邸に恩を受けた者はむしろ陰徳多き輩、名乗り出る者があろうはずもない。醜名が長くとどまる奥庭の古池のことを人々は思い、そのあとのことはいうまい、恐ろしいこと、と雨の降る晩などに噂話するのにさらに枝葉がついて、松川様のお邸というと何となく怖い所という、その影がさらに濃くなる次第。

もともと広い邸、その上人気も少な い。がらんとした荒 れ寺のごとく、掃除もままならぬよう。用なき部屋は雨戸を閉ざしたままの日も多く、河原院を俗にしたらこのようなものだろうかと思われるほどに荒れ果てている。「タ顔の君」ではないがその邸にお蘭さまという大切に仕えられている令嬢がいるか、鬼にもとり殺されないで淋しいとも思わぬのであろうか、まったく世間に背を向け、朝夕無事に暮らしているのが不思議でもあった。

昼間でさえそうであるのに、夜はまして孤灯のつくる自らの暗い影だけが友。ただ一人でしょんぼりと更けてゆく鐘の数を数えるなど、鬼神をしのぐ荒くれ男でも過去やら将来やら思いつつ涙を流すというものだろう。

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