樋口一葉「しのぶぐさ(八月)」 ④

 きょうは、明治25年9月1日の後半と2日、3日。「しのぶぐさ(八月)」はここまでです。

さるに此度(このた)びの上京いかに心を動かしけん、更に昔しの契りにかへりて、此事まとめんとするけしき、彼方にみえたり。我家やうやう運かたぶきて其昔のかげも止めず、借財山の如くにして、しかも得(う)る処は、我れ筆先の少しを持(もち)て引(ひき)まどの烟(けぶり)たてん(1)とする境界(きやうがい)。人にはあなづられ、世にかろしめられ、恥辱(ちじよく)困難一ツに非ず。さるを、今かの人は雲なき空にのぼる旭日(あさひ)の如く、実家は聞ゆる富豪(ものもち)の(2)、いよいよ盛大に成らんとするけしき。実姉(じつし)(3)は何某(なにがし)生糸商の妻に成て、此家(このいへ)又三百円の利潤ある頃といへり。身は新(にひ)がたの検事として正八位に叙せられ、月俸五十円の栄職にあるあり。今この人に我依(われよ)らんか、母君をはじめ妹も兄も、亡き親の名まで辱(はづ)かしめず、家も美事(みごと)に成立つべきながら、そは一時(いつとき)の栄(さかえ)、もとより富貴(ふうき)を願ふ身ならず、位階、何事かあらん。母君に寧処(やすきところ)を得せしめ、妹(いもと)に良配(よきつれ)を与へて、我れはやしなふ人なければ路頭にも伏さん、千家一鉢(せんげいつばつ)(4)の食にはつかん。今にして此人に靡(なび)きしたがはん事なさじとぞ思ふ。そは此人の憎くきならず、はた我れ我(が)まんの意地にも非(あ)らず。世の中のあだなる富貴栄誉(ふうきえいよ)うれはしく捨てゝ、小町の末(5)我(われ)やりて見たく、此心またいつ替るべきにや知らねど、今日の心はかくぞある。又おのづから見比べる時ありやとて、かくは記(しる)しつ。今日はいとものうくて、何事もなさずに日を暮しぬ。

(1)「引まど」は、屋根の勾配に沿って作った明かり窓。綱を引いて、戸を開閉する。かまどの煙りを出すのに使うので、ここでは暮らしを立てる意に用いている。
(2)三郎の父渋谷徳次郎はかつて、旧北多摩郡原町田村の脇本陣、武蔵屋の当主。当時は、仙二郎が、原町田の郵便局長をしていた。
(3)北島くに。生糸商の北島秀五郎のところに嫁いでいた。
(4)三衣一鉢 (さんえいっぱつ)のこと。仏教の出家修行者つまり比丘(びく)が所有を許された3種類の衣と鉢(乞食用の食器)をいう。ここでは托鉢のことを指しているようだ。
(5)観阿弥作の謡曲「卒都婆小町」の小野小町。卒都婆に腰を掛けて高野山の僧にたしなめられた老女、小町が狂乱の体となり、百夜通いのありさまを再現する。


二日 晴天。伊東夏子君及び師君に手紙を出す。終日(ひねもす)何もなさず沈思に終る。此夕ベ久保木姉君家出の騒動あり(6)。母君大心配(おほしんぱい)。但(ただ)し、此夜帰宅したるよ し。雲いとさわがし、「雨にや」などいふ。
三日 晴天に成りぬ。早朝に洗濯もの三、四枚なす。「此頃柔弱(にうじやく)に馴れたる身の苦しさ堪(たへ)がたきに、是(これ)よりはつとめて力わざせばや」などかたる。久保木(7)来訪。姉君家出のてん末ものがたる。投身(みなげ)などの覚悟にや、水道橋の袂(たもと)にて取押へたるよし。聞く心堪(たへ)がたし。久保木帰る直(ただち)に、母君、奥田へ例月の利子もて行(ゆき)給ふ。伊東君より書状来る。昨日(きのふ)の返事なり。母君、奥田にてひるめし馳走に預り給ふ。帰宅(かへり)は午後(ひるすぎ)。


(6)久保木家に嫁いだ一葉の姉ふじは、産期も近づいて神経過敏になっていたようだ。
(7)ふじの夫の久保木長十郎。一葉の姉。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。







《現代語訳例》
『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


ところが此の度の上京は、どんなに心が変わったのでしょうか、昔の約束に戻って婚約をまとめようとする様子が先方には見えるのでした。私の家は次第に運が傾いて昔の面影もなく、借金は山のように積もり、しかも私の僅かな原稿料の収入で細々と暮らしを立てている境遇です。世間の人から軽蔑される恥ずかしさや苦しさは並大抵ではないのです。それに比べると今はあの人は雲のない空に昇る朝日のように、実家は有名な富豪でますます盛大になろうとする様子。 姉は生糸商の妻になって、その家も月に三百円の利益をあげているという。自分は新潟の検事として正八位に叙せられ月給五十円の栄職についている。今この人に頼るとすれば母上をはじめ妹も兄も亡き父の名までも辱めることなく、この樋口家も立派になり立つでしょうが、それは一時の栄誉です。私は元来富貴を願うものではないのです。位など何の役に立ちましょう。母上に安らかな生活を与え、妹に良縁を与えることが出来るなら、私は路傍にも寝ようし乞食にもなろう。今さらこの人のお世話を受けようとは決して思いません。それはこの人が憎い訳でもなく、またやせ我慢で意地を張っているのでもないのです。人の世の富貴栄誉ははかないものとして捨て去り、小野小町のように末路はおちぶれようとも、私はこの文学の道を進みたいと思うのです。この心はいつまた変るかも知れないが、今日の心はこの通りです。また自然に時がたって、この決心が揺らぐ時があるかもしれないと思い、このように書いておくのです。今日はひどく気分が進まないので何もしないで一日をすごした。

二日。晴。伊東夏子さんと中島先生に手紙を出す。終日何もしないで、あれこれ思いにふけっているうちに一日が過ぎた。夕方、久保木の姉が家出するという騒動があった。母上は大心配。しかし夜には戻ってきたとのこと。雲の流れが速い。雨になるかもしれないなど話す。

三日。よい天気になる。早朝に洗濯物三 、四枚する。この頃は楽な生活に馴れて、この程度でもひどく苦しいので、これからはつとめて力仕事をしようなどと話す。久保木の義兄が来て、姉の家出の一部始終を話す。姉は身投げの覚悟であったのだろう、水道橋の 袂(たもと)でつかまえられたとか。聞いている気持ちはとてもたまらない。久保木氏帰る。すぐに母上は奥田の所へ毎月の利子を持って行かれる。伊東さんから手紙が来る。昨日の返事である。母上は奥田のところで昼食の馳走を受けられ、午後に帰宅。

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