樋口一葉「しのぶぐさ(八月)」 ②

きょうは、明治25年8月28日から31日まで。三回唯心の考えなども記されています。 

廿八日 晴天。野々宮来らる。半井ぬしを訪(と)ひ給ひしに、鎌くらに趣き給ひしまゝ、いまだ帰宅されざる由。我が絵画用の筆買ひて給はりぬ。歌二題詠ず。初音(はつね)君、「父姉(ちちあね)の歌添刪頼み度(た)し」と持ち参られたり。終りて後、種々(さまざま)談話(ものがたる)。同君は宗教家(1)の事とて、有神論を主張し給ふ。我れは有神無神(2)もと一物論(いちもつろん)をとなふ。談(はなし)佳境に入りて中々に尽(つき)ず。右京山(うきやうやま)(3)に月のぼるまではなし暮す。「いざ」とて帰宅されんとするに、同君(どうくん)所持の西洋傘(かうもり)及び我家(わがや)のも合せて三本ほど、いつのまにかうばはれたるもいとをかし。後(のち)に母君、くに子などの残念がれば、「何(なに)悔む事かは。我家(わがや)のものこそうしなひたれ、天下のものゝうせたるならず(4)。誰人(たれびと)の手に渡り、誰れ人の処持(しよぢ)になるとも用は一ツのみ。洋傘(かうもり)は洋傘なる効用のかはるものならず。有たればこそ、うしなひたるなれ。なくなりたれば、又うる事あらん」とて笑ふ。「我家(わがや)貧困、只(ただ)せまりに迫りたる頃」とて、母君いといたく歎き給ふ。此月の卅日(みそか)かぎり、山崎君に金十円返却すべき筈(はず)なるを、我が著作いまだ成らず、一銭を得(う)るの目あてあらず、人に信をかくこと口惜しとて也。種々(さまざま)談合(かたらふ)。おのれ、国子、「ある限りの衣類(きもの)質入して、一時の急をまぬがればや」といふ。母君の愁傷(うれひ)これのみとわびし。甲府野尻氏(のじりうぢ)より書状来る(5)。此日、野々宮君より『国民新聞』(6)かりる。
廿九日 晴天。時々雷鳴す。頭痛いとはげしければ、暫時(しばし)ひる寐(ね)。午後(ひるすぎ)より小説勉強す。野々宮氏(うぢ)来訪。『婦女雑誌』(7)持参にて物がたりす。「洋傘(かうもり)を人より二本もらひたれば」とて一本を我家(わがや)に送らる。昨日いひしに違(たが)はぬもをかし。又いつうしなふべきにや。少時(しばし) にて帰宅。此夜国子に習字ををしふ。
卅日 晴天。母君しきりに、質入れのことを可ならずとして、「安達(あだち)に一度金策たのまん」と、早朝趣き給ふ。我(われ)つとめて止(と)めたれど甲斐なし。同家不承(ふしよう)だくのよしにて午前(ひるまへ)に帰宅。「思ひしこと也」とて一同笑ふ。午後よりことに勉強。日没後、国子と共に右京山に月待(まち)とりて虫を聞く。帰宅後、山下な直一(なほかず)君来訪。
卅一日 晴天。今日は二百十日の厄(やく)日也とか聞くを、空のどかにして風もなし。終日(ひねもす)来客なく、日没後、母君、「西村君を訪(と)はん」とて出給ふに、引違(ひきたが) へて同氏来訪。しばらくにして帰宅。山崎君、金子(きんす)の事に付(つき)て参る。此夜更けて、久保木に出産の模様ありとて、母君迎ひに来る。先(まづ)は其(その)こと無く今宵も過ぎぬ。


(1)ここでは、クリスチャンのことをいっている。
(2)三界唯心。華厳経の意から出た語。三界(欲・色・無色界)のすべては、心から変現し、心を離れては存在しないものであって、ただ心だけが唯一の実在であるという考え。
(3)一葉の住んでいた菊坂町の裏手、真砂町のこんもりとした高台にあった松平右京亮(うきょうのすけ)の中屋敷の跡。
(4)鎌倉幕府執権、北条時頼や時宗の両執権に仕えた青砥藤綱の滑川の故事を踏まえているようだ。『太平記』によれば、ある夜のこと藤綱は、滑川を渡るとき、失敗して銭10文を川に落としてしまった。そこで、50文でたいまつを買って、水を照らしてお金を探したという話。銭が川に沈んだままだと永久に損だが、50文で松明を買えば、銭は流通し、合わせて六十文は天下の利益になるというわけだ。
(5)野尻理作の主宰する『甲陽新報』への執筆を一葉に依頼する書簡。
(6)明治23年に徳富蘇峰が創刊した日刊新聞。平民主義の立場から次第に国家主義に転じていった。
(7)明治中期に月2回、博文館から発行された婦人の教養のための雑誌。



朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


二十八日。晴。野々宮さんが来る。半井先生を訪ねられたが、鎌倉に行かれたままいまだに帰宅されないとか。私の絵画用の筆を買って持ってきて下さった。歌二題詠む。俵田初音さんが父や姉の歌を添削してほしいと持ってこられた。終わってから色々と話す。彼女はクリスチャンなので有神論を主張される。私は有神論も無神論も大本は一つであることを主張する。話がますます面白くなって、なかなか尽きない。右京山に月が昇るまで話し続ける。「それでは」 と言って帰ろうとされたとき見ると、彼女の洋傘(こうもり)も我が家のも合わせて三本ほど何時の間にか盗まれていたのもおかしな事でした。後で母上や邦子が残念がるので、
「何も悔やむ事なんかありませんよ。私の家のものはたしかになくなりましたが、天下のものがなくなったのではありません。誰の手に渡り、誰の所有になったとしても、物の働きは一つで、洋傘は洋傘としての効能は変わらないのです。持っていたからこそなくなったので、なくなってしまえば、また手に入ることもあるでしょう」
と言って笑ったのでした。私の家は貧乏で困りはてている頃なので、母上はひどく歎かれる。今月の三十日までに山崎氏に十円返さねばならない筈なのに、私の小説はまだ完成せず、一銭の収入のあてもない。信用がなくなるのが残念だといって歎かれる。色々と相談する。私と邦子の着物全部を質入れして急場をのがれようなどと話す。母上の心配事は家の収入の事だと思うと、本当につらくて悲しい。甲府の野尻理作氏から手紙が来る。野々宮さんから国民新聞を借りる。

二十九日。晴。時々雷が鳴る。頭痛がはげしいのでしばらく昼寝する。午後より小説にとりくむ。野々宮さん来訪。「婦女雑誌」を持参されて話をする。
「洋傘を人から二本もらったので」
と言って、一本をくださる。昨日言ったとおりになったのも面白く感じられた。これもまた何時なくすことになるのだろう。しばらく話して帰られる。夜、邦子に習字を教える。

三十日。晴。母上はしきりに質入れのことはよくないといって、安達氏に一度金策を頼もうと朝早く出かけられる。私は強くお止めしたのですがその甲斐もない。駄目だったといって午前中に帰宅される。思ったとおりだったといって皆で笑い合う。午後は熱心に小説にとりくむ。日が暮れてから邦子と右京山に行き、月を待ちながら虫の音を聞く。帰宅後、山下直一さん来訪。

三十一日。晴。今日は二百十日の厄日だとか聞くが、空はのどかで風もない。終日、来客なし。日が暮れてから母上が西村氏を訪ねようと出かけられると、入れちがいに同氏来訪。しばらく話して帰られる。山崎氏がお金の催促に見える。夜がふけてから久保木の姉からお産がありそうだといって母上を迎えに来る。心配したが今夜はそのこともなく過ぎた。

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