樋口一葉「しのぶぐさ(八月)」 ①

ここからは別の冊子の「しのぶぐさ」になります。表書きには「八月」、署名は「なつ子」とあります。きょうは明治25年8月24日から27日までです。

廿四日 「晴天ながら折々に鳴神(なるかみ)(1)の音するは、やがてこゝにも降らんとすらん」など いひ合へり。きぬ三ッ四つ洗ひて後(のち)、机につく。西村君参らる。昨日(きのふ)細君の世話せんとて、俵初音(たはらはつね)(2)ぬしのこと物がたりしかば、其事猶(なほ)よく聞かんとて也。午前(ひるまへ)に帰宅。母君、一昨日(をととひ)より時候あたり(3)にて心地すぐれず、此日は臥(ふし)がちにおはしき。終日(ひねもす)机辺にありて、日没後、母君の肩を国子と共にひねりて臥(ふ)させ奉る。おのれも今宵はかしらいといたくなやめば、早う臥(ふし)たり。
廿五日 晴天。母君まだ快(よ)からず。家内(うち)の掃除、勝手もとのことなど九時頃までなして、机につく。計(はか)らぬこと(4)より種々(さまざま)の事案じ出して、身をかへりみる心切(せつ)に成ぬ。あみ初(そめ)し小説の趣向もいたくかへんとす。
廿六日 今暁(こんげう)三時、伝通院内たく蔵(ざう)稲荷焼失(5)。此いなり、近辺に失火ある時は告(つげ)あるき給ふとか聞しを、其社(やしろ)の焼(やけ)しといふ、をかし。
廿七日 小石川稽古に趣く。稽古後、師君と少しものがたりす。伝通院内淑徳(しゆくとく)女学校(6)とかやに我を周旋せられんとする物語あり。我も思ふ処(ところ)のべなどして帰る。母君にこの事を聞かせ奉るに、喜(よろこび)限りなし。今宵はいたく勉強したり。

(1)かみなり。万葉集(2513)に「雷神(なるかみ)のしましとよもしさし曇り雨も降らぬか君をとどめむ」
(2)妹邦子らの友人の俵田初音。後に一葉から日曜日に『徒然草』などの講義を受けたという。
(3)季節の変わり目や気候の変化で体調をくずすこと。
(4)渋谷三郎の来訪のことを指しているようだ。
(5)小学館全集の脚注には「小石川区表町93、逸岡俊慶方から出火、寺院一棟と沢蔵司(たくぞうす)稲荷を焼失して午前4時に鎮火した。病難・火災があると稲荷が告げるという伝説は小石川区元町1丁目の三河稲荷にもある」。
(6)明治25年に、小石川伝通院の境内に設立された。創立者の輪島聞声が結成した別院仏教婦人会の前身「淑徳婦人会」は、夏目漱石の『吾輩は猫である』で「先端の文化教育講座」として登場ます。「周旋せられん」としたというこの女学校への就職は、けっきょく実現しなかった。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》
『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


(八月)二十四日。晴天なのに時々雷の音がするのは、やがてここにも降ってくるのだろうと話し合ったりする。着物を三、四枚洗ってから机に向かう。西村氏が見える。昨日お嫁さんを世話しようと思って俵田初音さんの話をしたので、もっとよく聞こうというのです。午前中に帰られる。母上は一昨日から暑気あたりで気分がすぐれず、今日は殆ど寝ておられた。終日机にむかっていて、日が暮れてから母上の肩を邦子と一緒に揉んであげてお寝かせする。私も今夜はひどく頭痛がするので早く寝てしまった。

二十五日。晴。母上はまだすっきりされない。家の掃除や台所の仕事など九時頃までして机に向かう。思いもかけないことから色々と考えて、私の人生のことを真剣に考える。そして、今書いている小説の構想も大きく変えようと思う。

二十六日。早朝三時に伝通院内の沢蔵稲荷が焼失する。この稲荷は近所に失火があるときは知らせて廻られると聞いていたのに、そのお社が焼けたというのは変だ。

二十七日。小石川の稽古日で出かける。終わって先生と少しお話をする。伝通院内の淑徳女学校とかに私を世話しようと思うとのお話があった。私も考えていることなどを話して帰る。母上にこのことをお聞かせすると、大変喜ばれる。今夜はとても勉強が出来た。

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