樋口一葉「しのぶぐさ」⑤
きょうは、明治25年8月17日(日記には「十六日」と記載されている)です。
十六日(1) 早朝に田中氏(うぢ)を訪(と)ふ。師の君より依頼を受たる事に付(つき)て也。師の君は今度の浮説(ふせつ)の出所(でどころ)に付(つき)て、いたく田中君をうたがひ給ふと覚しく、同家に出入する書生の事、我に問はせんとてなり。我も此人を正当の人とは更に思はず。「花柳社会にたちたる人のならひ、浮(うき)たる行ひありなんどの風説(うはさ)は誠なるべし」と聞けり。されども此度(このたび)のことに付て、こゝより出たらんなどゝは流石に思ひもかけねど、猶(なほ)様子も見まほしく、其上にて取計ふべき旨(むね)もあるべしと覚悟す。談話種々(ものがたりさまぎま)。「今日は一日(いちにち)此処(ここ)にて遊び給へ」 とて、ひる飯振舞(めしふるまは)る。表面(うはべ)こそ情(なさけ)づくりて見ゆるものから、猶したに は、師の君などをもいかに思へるにや、折々に不平の詞(ことば)聞えて、ともすれば小出(こいで)君のことのみ引出すは、怪(け)しからぬ事なきにもあらじと思ふ。
一日物がたりして、帰路(かへりみち)師の君のもとに寄る。師の君には、中々にさまざまの事聞かせ奉(まつら)ん、又むづかしき仲立(なかだち)にもやとはゞかりて、唯、書生の新聞社に出入せざる事のみ談ず。師の君は例の物うたがひ深き質(たち)とて、ひたすら田中君をのみ仇(かたき)になす。されども、あらはには名をもさゝねど、おのづから、「此人こそ利欲の為(ため)にかゝること作り出して、我舎(わがや)を乗(のつ)とらんとする計略なれ。夫(それ)には軍帥(ぐんすい)あり手下あり。使はるゝ人の中(うち)には水原みさ子(2)なども交るらん」など、たしかに定めたる想像(おもひ)をたて給へり。「明日は田辺君に参りて、秘密(ひそか)にこの相談(はなし)とげて貰(もら)ひ度(た)し。 この事相談(はな)すべき人、君と田辺君、天野君(3)の外にあらず。伊東君にも為(な)せばなすべきなれど、おのづからもる処もあらん」との給ふは田中君への事なめり。夜一夜(よひとよ)はなし明す。我れ種々(さまざま)に思ひなせど、田中君の所為(しわざ)ともきこえず、さりとて島田君、首藤(しゆどう)君の出来(でか)したるにもあるべからず。大方は師の君の身につきて宜(よろし)からぬ行ひなどの有るが、いつとなく世にもりて、さるが上に田中君、島田氏抔(うぢなど)の不品行(ふしだら)の人を愛し給ひしかば、いとゞ実説(じつせつ)になりしなるべしと思ふ。流石(さすが)にかくともいひ難(がた)きもの故、いとゞ思ひ煩(わづら)ふこと多かり。
(1)正しくは「十七日」。
(2)歌人の水原美瑳子。
(3)天野滝子。萩の舎門人で、東洋経済新報社主幹などを務めた経済学者、天野為之の妻。二児の母だった。田辺龍子と自宅が近く、親しくしていたようだ。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
十七日。朝早く田中みの子さんを訪ねる。先生から依頼をうけたことについてである。先生は此度の噂の出所についてひどく田中さんを疑っておられるようで、同家に出入りする書生の事を私に調べさせようというのです。私もこの人を普通の人とは全く思っていません。花柳界におられた人の常として、浮いた行いがあるという噂は、本当のことであろうと聞いている。しかし今度のことについて、この人から出たとは思いもよらない事だが、やはり様子も見ておきたいと思うし、その上でまた色々と考えようと思った訳です。色々とお話をする。
「今日は一日ここで遊んで行きなさい」
と言われて、昼食のご馳走になる。表面は情け深そうに見えるものの内心には先生のことをどう思っていらっしゃるのだろうか、時折には不平不満の言葉が聞かれ、ともすると小出粲先生のことばかり引き合いに出されるのは怪しい事が無いとは言いきれないと思われる。 一日お話をして、帰りに先生のお宅にお寄りする。先生に色々な事をお聞かせするのはかえって二人の間に立って面倒なとりもち役になりはしないかと遠慮されて、ただお話の書生の新聞社へ出入りしていない事だけを申しあげる。先生は例によって疑い深い性質のこととて、ただもう田中さんばかりを悪く見ておられる。しかし、はっきり名指しをして言われるのではないが、自然にこの人が利欲のためにこのような噂を作り出して、この萩の舎を乗っとろうとする計略であろう、そのためには軍師もいるだろうし部下もいるだろう、部下の中には水原みさ子さんなども交じっているだろうなどと、すっかりきめてしまっ て想像していらっしゃる。
「明日は田辺龍子さんの所へ行って、内密にこのことを相談してもらいたい。このことを相談出来る人というのはあなたと田辺龍子さんと天野瀧子さんの外にはいないのです。伊東夏子さんにも話そうと思えば出来ないことはないが、もしかしたら漏れるかもしれないからね」
とおっしゃるのは、田中みの子さんへのことなのでしょう。一晩中話しあかす。私は色々と考えてみるのですが、どうも田中さんのしたこととも思われない。かといって島田さん、首藤さんのしたこととも思われない。恐らくこれは先生ご自身によくない行いなどがおありなのがいつとはなしに世間に漏れて、その上に田中さんや島田さんなど品行のよくない人を可愛がられたので、ますます本当のことになってしまったのであろうと思われる。しかし、そうは言っても、はっきりこうだとも断定できない事ですから、あれやこれやと思い悩むことが多いのです。
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