樋口一葉「しのぶぐさ」④
きょうは、明治25年8月8日から16日までです。新聞の号外で、第二次伊藤内閣が成立したことを知ります。
八日 晴天。早起(とくおき)、歌をよむ。六首。うつぼつたる心中、まれに日月(じつげつ)を得し心地す。 快(くわい)いふべからず。此日、新聞号外来る。内閣総辞職(1)。伊藤君、総理大臣に成しよし。各新任大臣の名を出したり。夜に入てより、山梨源吉(2)氏(うぢ)より書状到来す。
九日 晴天。新聞を早朝に見る。内閣総理伊東博文君(ぎみ)、内務大臣井上君、外務大臣陸奥(むつ)君、司法は山県、逓信(ていしん)の黒田、陸軍大山、海軍仁礼(にれ)、農商務は後藤君にして、文部を河野、大蔵を渡辺君(3)といふ役割定まりぬ。松方君はじや香(かう)の間祗候(ましこう)として、特に大臣待遇をもってせらるゝ由也。
十日 晴天。朝のほど風祭甚三(じんざ)(4)君より、東京府士族授産金一条、丸田正盛君にかゝ る訴訟(5)の為、委任状に調印申(まうし)こまる。但し代言は磯部四郎、宮城浩蔵(かうぞう)、鳩山和夫、黒岩鉄之助及び今壱人(ひとり)也。半井君より長文の手紙来る。返事したゝむ。ひる後(すぎ)、小説に従事。奥田より夜に入(いり)てはがき来る。此夜することいと多くて、十二時過(すぐ)る頃床(とこ)にいる。
(1)松方正義内閣が総辞職して、枢密院議長だった伊藤博文が内閣総理大臣に復帰した。
(2)山梨県玉宮村の雨宮源吉。一葉の母たきの弟の子。
(3)伊藤博文、以下、井上馨、陸奥宗光、山県有朋、黒田清隆、大山巌、仁礼景範、後藤象二郎、河野敏鎌、渡辺国武のことを記しています。
(4)風祭甚三郎(かざまつりじんざろう)明治23年に当選し、東京府会議員をしていた。
(5)小学館全集の脚注には「丸田正盛らは、明治20年6月以降、東京府から士族の生活困窮者に貸付ける授産金を使って建てられた、婦人のためのレース編みの教場の嘱託を受けていた。この設置を授産金の横領と考えた士族たちは、教場を差押え、丸田らを告訴し、授産金63800円を引渡すように要求していた」とある。
十一日 夜来の雨全く晴て、初秋の空いとよくすめり。何事なし。
十二日 晴天。前島む都子(つこ)君のもとにかずよみす。題三十題。
十三日 小石河稽古日也。此日龍子君も参られたり。談話種々(ものがたりさまざま)。我舎(わがや)のことに付(つき)て世に浮評かまびすしき由。前島君も序(ついで)にものがたり出らる。諸君帰宅後、田中君と我残りて種々(さまざま)ものがたる。我計(ばかり)は 日没近くまで居て、師君(しぎみ)に相談をうくる。
十四日 清天。野々官氏(うぢ)来訪。終日歌を詠ず。
十五日 晴天。暑気甚だし。午前(ひるまへ)、三枝(さえぐさ)の小君(せうくん)(6)来訪、庭のくだ物(もの)持参。ひる飯(めし)馳走して帰す。母君、日没後、奥田へ病気見舞に行(ゆき)給ふ。山下直一(なほかず)君、「熊ヶ谷(くまがや)より帰京したり」とて来訪。九時頃まで遊びて帰る。
十六日 晴天。 暑気いといと甚だし。華氏寒暖計九十七度にのぼりぬ。 一時頃より、ひる寐(ね)暫時(しばらく)なす。寐ざめて後(のち)、師君のもとより郵書来る。此事(7)につきて田中ぬしを訪(と)はんとす。「明日の方(かた)よかるべし」とあったといふ。
(6)一葉の父則義と同郷で恩人でもある真下専之丞の孫、三枝信三郎の妻。
(7)中島歌子の書簡に「田中氏の内に居候書生はいづ方か新聞社へ出入候よし何と申新聞に候や承り度候間君が何か御頼被成度用のよしにて御とひ合被下候様ねがひ上候」とあるという。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
八日。晴。早朝、歌を詠む。六首。心の中には盛んに元気が湧き起こって、日も月もわがものになったような気持ちがする。爽决この上もない。 この日、新聞号外が来る。内閣総辞職、伊藤博文公が総理大臣になられたとのこと。各新任大臣の名が出ている。夜になってから、山梨の雨宮源吉氏より手紙が来る。
九日。時。新聞を朝早く見る。内閣総理大臣伊藤博文公、内務大臣井上公、外務大臣陸奥公、司法は山県、逓信の黒田、陸軍は大山、海軍は仁礼、農商務は後藤公で、文部を河野、大蔵を渡辺公という役割が決まった。前総理の松方公は麝香間祗候として特に大臣待遇であるとのこと。
十日。晴。朝のうちに風祭甚三氏から、東京府士族授産金の件で、丸田正盛氏に関する訴訟などのため、委任状に調印するように頼まれる。そして、弁護士は磯部四郎、宮城浩蔵、鳩山和夫、黒岩鉄之助と他にもう一人。半井先生から長いお手紙が来る。ご返事を書く。午後は小説に従事する。奥田から夜になってはがきが来る。今夜はする事が非常に多くて、十二時過ぎて床に入る。
十一日。昨夜からの雨はすっかり晴れて初秋の空がきれいに澄んでいる。特に何事もない。
十二日。晴。前島むつ子さんのお宅で歌の数詠(かずよ)みをする。題は三十題。
十三日。萩の舎の稽古日。この日は田辺龍子さんも見えた。色々な話があった。この萩の舎のことについて世間ではよくない噂があるとか。前島さんも入ってきて話をされる。皆さんが帰られた後、田中みの子さんと私が残って色々と話す。私だけは日暮れ近くまで残って先生から相談を受ける。
十四日。晴。野々宮菊子さん来訪。終日歌を詠む。
十五日。暑さ厳しい。午前中、三枝(さいぐさ)の奥様が見える。庭でとれた果物をくださる。昼食をお出ししてお帰しする。母上は日が暮れてから奥田のところへ病気見舞に行かれる。山下直一君が熊谷から帰京したとい って訪ねて見える。九時頃まで遊んで帰られる。
十六日。晴。暑さますます厳しい。華氏寒暖計で九十七度にあがった。 一時頃からしばらく昼寝する。眼がさめると中島先生から手紙が来る。この用事で田中みの子さんを訪ねようと思うが、明日の方がよかろうとのこと。
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