樋口一葉「しのぶぐさ」②
きょうは、明治25年6月11日から29日まで。父の祥月命日などがやってきます。
十一日 亡父(なきちち)君、祥月(しやうつき)命日たい夜(や)(1)也。菊地の内君(うちぎみ)(2)及び上野の伯父君、久保木の姉君を呼びて茶飯(ちやめし)を供す。芝兄君(3)は参られず。日没一同帰宅。
十二日 早朝築地(4)に趣く。国子と我と也。墓参終りて師君頼まれの伊東しき子とじをとふ。午前(ひるまへ)帰宅。直ちに中元として半井ぬしを訪ふ。君、今日、何方(いづかた) へか転居(ひつこし)されんとする也けり(5)。もの語ることも無くて帰る。午後(ひるすぎ)より大雷雨。思ひ立(たつ)ことありて田辺君を訪ふ。三時より家を出て行く。途上の往来(ゆきき)ふつに絶(たえ)て、盆を覆(か)へす様にふる雨いとすさまじ。女史がもと(6)に至りつきてより、ことにはげし。談話(ものがたり)数刻。晩さんの馳走を受く。太一君にも逢ふ。日くれてより帰宅。
十四日 師君を訪ふ。 直(ただち)に帰宅。
十六日 小石川へ行く。
廿一日二日と、図書館に通ふ。陶器のこと取しらべんとて也(7)。
廿三日 稽古日なり。一同帰宅の後、頭脳はげしく、暇(いとま)を乞ひて灸治(きうぢ)に行んとす。途中大雷雨。しばし表町(おもてちやう)の西村君のもとにしのぐ。こゝより一時、家に帰る方よかるべしと定めて、灸はやめになす。師君のもとにはがきを出す。是より帰宅。何事もなく日没になりぬ。
廿四日 雨天。
廿五日 おなじく。
廿六日 曇天。図書館に行(ゆか)んとて支度するほど、吉川君の内子(ないし)(8)参らる。談話(ものがたり)正午(ひる)に成る。同人帰宅後、時間も少なければ、図書館行(ゆき)やめになす。
廿七日 図書館に行く。中島師君のもとより病気見舞として女中を使はさる。明日鳥尾君(とりをぎみ)のもとに数よみ順会(じゆんくわい)あるべきなれど、脳痛せん方なければ、断りの文を出す。
廿八日 ことなし。山梨県に水害ありしと聞に(9)、甲府伊庭郎君(いばらうくん)のもとより書状もありしかば、是が返事ならびに親戚四、五軒に書状を出す。
廿九日 晴天。今日は暑気はげしく頭痛たえ難ければ、午後(ひるすぎ)より暫時(しばらく)ねむる。久保木兄君、「昨日あみに趣きし」とて川魚(かはざかな)少し送らる。
(1)一周忌以降の、故人の死んだ月日と同じ月日である祥月命日の前夜のこと。霊前で精進料理を振舞う習慣がある。
(2)一葉の父則義が仕えていた菊池隆吉の長男、菊池隆直の妻。「内君」は、他人の妻を敬っていう語。奥方、奥様。
(3)一葉の次兄、虎之助は、当時、芝区浜松町の重武米山の家に住んでいた。
(4)築地本願寺。西本願寺の別院。
(5)一家の柱を失った河村家を助けて西片町をひき払って神田御崎町へ移り、葉茶舗を開いたという。
(6)「萩の舎」の才媛、田辺龍子の家で、当時の麹町区下二番町5番地にあった。田辺太一は龍子の父で当時は、功労のあった華族や官吏を優遇するための名誉職、錦鶏間祗候(きんけいのましこう)だった。
(7)一葉はこの日、「うもれ木」を執筆するため、古賀静修の『陶器小志』などを閲覧したという。
(8)古代中国における卿、大夫などの正妻の称で、転じて一般に妻のことをいう。
(9)明治25年7月23日の朝、台風が高知市付近に上陸して山陰に抜け、中国地方から日本海側、北海道にわたる広範な地域で暴風や水害などの被害が出た。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
十一日。今夜は亡き父上の祥月命日の前夜。菊池の奥様や上野の伯父上、久保木の姉を呼んで食事をさしあげる。芝の兄は来られなかった。日が暮れてから皆さん帰られる。
十二日。早朝築地に行く。邦子と私の二人だけで行く。墓参を終えて、中島先生に頼まれた伊東しき子女史を訪ねる。午前中に帰宅し、すぐに中元のご挨拶に半井先生をお訪ねする。先生は今日何処かへ転居されようとしておられた。お話することもなくて帰る。午後より大雷雨。急に思い立つことがあって田辺龍子さんを訪ねる。三時から家を出て行く。途中、人の行き来はすっかり絶えて、盆を覆すように降る雨はとてもすごい。龍子さんのお宅に着いてからは一層はげしくなる。二、三時間ほどお話をしてタ食のご馳走を受ける。お父上の太一氏にもお目にかかる。日が暮れてから帰宅。
十四日。中島先生をお訪ねし、すぐに帰宅。
十六日。 稽古日なので萩の舎へ行く。
二十一日、二十二日と図書館に通う。陶器のことを調べるためである。
二十三日。稽古日。皆さんが帰られたあと、頭痛がはげしく、お暇をいただいてお灸に行く。途中で大雷雨にあう。しばらく表町の西村氏のお宅に避難。ここからひとまず家に帰る方がよかろうと決めて、灸はとりやめにする。中島先生にははがきを出す。それから帰宅。何事もなく日暮れになった。
二十四日。雨。
二十五日。おなじ。
二十六日。曇。図書館に行こうと支度をしていると、吉川の奥様が見える。話しているうちに正午になる。奥様が帰られた後、時間も少ないので、図書館行きはやめにする。
二十七日。図書館に行く。中島先生のところから病気見舞に女中さんをよこされる。明日は鳥尾広子さんのお宅で数詠みの歌会があることになっているが、頭が痛く、どうしようもないのでお断りの手紙を出す。
二十八日。何事もない。山梨県に水害があったと聞いていたが、甲府の伊庭の息子さんから手紙もあったので、その返事と親戚四、五軒に手紙を出す。
二十九日。晴。今日は暑さがはげしく頭痛が耐えられない程なので午後からしばらく眠る。久保木の兄から昨日網漁に行ったのでといって川魚を少し届けて下さる。
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