樋口一葉「日記しのぶぐさ」③
きょうは、明治25年6月12日と13日。十日祭りも行われます。
夢の様(やう)にて十二日にも成ぬ。十日祭(とをかまつり)(1)の式(しき)行ふ。ことに親しき人十四、五人招きて小酒宴(こさかごと)あり。伊東夏子ぬし(2)、不図(ふと)、席(むしろ)を立(たち)て、我に、「いふべき事あり。此方(こつち)」といふ。呼ばれて行(ゆき)しは、次の間の四畳計(ばかり)なるものゝかげ也。「何事ぞ」と問へば、声をひそめて、「君は世の義理や重き、家の名や惜しき、いづれぞ。先(まづ)この事問(とは)まほし」との給ふ。「いでや、世の義理は我がことに重んずる事也。是(これ)故にこそ幾多の苦をもしのぐなれ。されど家の名、はた惜しからぬかは。甲乙なしといふが中に、心は家に引かれ侍り。我計(わればかり)のことにもあらず、親あり兄弟ありと思へば」といふ。「さらば申す也。君と半井ぬしとの交際断(つきあひたち)給ふ訳(わけ)にはいかずや、いかに」といひて、我(わが)おもて、 つとまもらる。「いぶかしふもの給ふ哉(かな)。いつぞやも我(われ)いひつる様に、かの人年若く面て清らになどあれば、我が参り行ふこと世のはゞかり無きにしも非ず。百度(ももたび)も千度(ちたび)も交際(つきあひ)や断(たた)ましと思いひつること無きならねど、受し恩義の重きに引かれて、心清くはえも去あへず、今も猶かくて有(ある)なり。 されど神かけて我心に濁りなく、我が行(おこなひ)にけがれなきは、知り給はぬ君にも非(あ)らじ。さるをなどこと更(さら)にかうはの給ふぞ」と打恨めば、「そは道理(ことわり)也道理也。さりながら、我(われ)かゝることいひ出づるには故(ゆゑ)なきにしもあらず。されど今日は便(たより)わろかり(3)。又の日、其訳(そのわけ)申さん。其上にも猶、交際断(つきあひたち)がたしとの給(たまは)んに、我すらうたがはんや知れ侍らず」とて、いたく打嘆き給ふ。いぶかしともいぶかし。かゝるほどに、人々集り来ていとらうがはしく(4)成ぬれば、立別れにけり。何事とも覚えねど、胸の中にものたゝまりたる様にて、心安からず。人々帰りて後、この事計(ばかり)思ぬ。
(1)故人の死後、10日目に行われる神道の祭事。仏式における初七日に当たる。祭事の終了後の直会(なおらい)で、神前に供えた御饌御酒(みけみき)などをいただく。
(2)小学館全集の脚注に「一葉女史もずゐぶん悪くいはれて、一葉は今にやくざ小説家の食ひものになるなどといはれました。それで私が、中島師匠の御母堂の亡くなられた十日祭の折にあんた、人はこんなことをいつてゐるが、それがおつ母さんの耳へでも入つたら、おつ母さんが心配するだらう・・・といふやうな忠告をしたことがあります」(田辺夏子「わが師樋口一葉のこと」)とある。
(3)便悪しは、都合が悪い、条件が悪い、といった意。
(4)混乱して。ごたごたして。
十三日は長(ちやう)齢子(5)ぬしのもとに順会のかずよみ(6)なり。午前(ひるまへ)より行(ゆく)。来会者、広子、つや子、夏子、みの子、おのれの五人(7)成き。数よみ題三十七、詠じ止んで雑話種々(さまざま)。田中ぬしなどの、折にふれて言ひ出らるゝこと、あやしう我に故ありげ也。夜に入りて一同帰宅す。
(5)萩の舎門人で、当時は牛込の牡丹荘住んでいたようだ。
(6)当番制で弟子たちが数詠ずつ受け持ち、集会は催主の家や萩の舎で行われていたという。
(7)島尾広子、小笠原艶子、伊東夏子、田中みの子、一葉。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
夢のようなうちに早くも十二日にもなった。十日祭の儀式を行う。特に親しい人十四、五人を招いてささやかな酒宴があった。伊東夏子さんが突然席を立って、私に話があるのでこちらへと言う。呼ばれて行ったのは次の間の四畳ほとの部屋の物陰でした。
「何のお話ですか」
と聞くと、声を低くして、
「あなたは世間の義理を重んじるのと、家の名誉を惜しむのと、どちらを大事に思いますか。まずこのことをお聞きしたいのです」
とおっしゃる。
「勿論、世間の義理は私が特に重んじる事です。このためにはどんな苦労もいといません。然し家の名誉もまた惜しまない訳ではないのです。どちらも甲乙なしと思うのですが、気持ちは家の方に引かれます。それは自分のことだけを思うのではなく、親や兄弟がいることを思うからです」
「それならば言いますが、あなたと半井先生との交際をおやめになる訳にはいきませんか。どうですか」と言って私の顔をじっと見つめなさる。
「変な事をおっしゃいますね。前にも申しましたように、あの方は若くて美男子なので、私が往き来しますのは世間に対して遠慮がない訳でもありません。これまでには何度も何度も交際をやめようと思った事がない訳でもありません。しかし、受けたご恩の重いのに引かれて、きっぱりとお別れも出来ずに、現在もなおこんな状態でいるのです。しかし神に誓って私の心にはやましいところなく、行いの上でも汚れたところはありません。このことはあなただってご 存知ない筈はないでしょう。それなのに何故ことさらにこんなことをおっしゃるのです」
と恨み申しますと、
「それはもっともな事です。しかし私がこんな事を言し出すのには理由が無い訳ではありません。今日は都合が悪いので、別の日にその訳を申しましょう。その上でなお交際をやめる事は出来ないとおっしゃるなら、私まで疑わない訳にはいきません」
と言ってひどく悲しそうになさる。何とも不審なことです。こうしているうちに人々が集まってきて騒がしくなってきたので別れたのでした。何となく胸の中に物が詰まったようで心が落ちつかない。皆が帰ったあともこの事ばかり思い続ける。
十三日。長齢子さんのお宅が当番で数詠みの歌会が行われる。午前から行く。来会者は鳥尾広子、小笠原艶子、伊東夏子、田中みの子、私の五人でした。数詠みの題三十七を詠んで、そこでやめて、それからは雑談色々。田中みの子さんなどが折にふれて言われることが妙に私に対して何か訳がありそうでした。夜になってから皆帰る。
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