樋口一葉「につ記」③

きょうは、明治25年4月30日から5月9日まで。短編小説「五月雨」の執筆などについて語られます。


卅日 小説(1)いまだ十頁計(べージばかり)しか出来ず。せん方なければ、其趣(そのおもむき)半井うしへ申さんとす。殊(こと)に今日は小石川稽古なり。朝来(あさより)大雨なれども、をして家を出づ。師君のもとに十二時まで居(を)る。帰路(かへりみち)、直(ただち)に片町の師の君がり訪ふ。大人(うし)は次の間におはすなるべし、河村君老母及内室(およびないしつ)、小女等(こむすめなど)(2)、火桶がほとりに居たり。大人の病気を問ひなどせしに、師君痔疾(じしつ)にておはせしを、いたく秘し給ひしから、一時(じ)になやみつよくなりて、 一昨日(をとつひ)切断術(3)を行はれぬと也。いたく驚きて、「いかにや」と気遣(きづか)ふに、「いとなめし(4)けれど、病間にて対面せん」とて此間(このま)へ通す。石炭酸(5)の香(にほひ)いとつよし。こは、日々洗(せん)できすればなめり。種々談話(さまざまものがたる)。流石(さすが)の大人もいとくるしげにみえ給ふ。一時頃帰宅。

(1)「五月雨」とみられる。
(2)河村重固の母および妻の千賀子、娘の芳子ら。
(3)肛門や直腸にできるこぶ状のしこり、痔核(いぼ痔)を切除する手術。
(4)無礼し。無礼である、無作法である。
(5)フェノール。独特の臭気のある無色の結晶で、消毒殺菌剤や染料などの合成原料として使われる。

五月一日 午前十時頃より家を出て、下谷伊予紋(6)口取(くちとり)(7)を買ふ。桃水君に奉らんとて也。十二時頃より片町に行く。物がたり種々。「追々快方(おひおひよいはう)なり」といふ。
三日 西隣の家に転宅(ひつこし)せんといふ相談とゝのふ。
四日 半井君のもとを訪(と)ふ。転宅(ひっこし)一条を物がたりて、原稿七日までと日延(ひのべ)をなす。
五日 晴天。転宅。久保木、田部井手伝ひに来る(8)。此夜より又小説にかゝる。兄君偶然に来る。
六日 一日(いちにち)小説に従事、ならず。
七日 晩景(ばんけい)までには何とぞ著作し度(たく)、大勉強。但し今日は小石川稽古日なれど行かず。
八日終日。まだ成らず。
九日 小石川会日(くわいび)(9)なれど早朝よりは行(ゆき)がたし。三時頃に至りて小説完備す。則直(すなはちただち)に髪を結ひなどして、先(まづ)半井うしがり行(ゆく)。藤村(ふぢむら)(10)にてむし菓子少々とゝのへ持参す。 直(ただち)に帰る。其足にて小石川へ行く。師君大立腹。


(6)下谷区同朋町(現在上野)にあった料亭。江戸時代から続く名店で、夏目漱石ら当時の文化人にも愛された。
(7)口取肴。饗膳で吸い物とともに最初に出す皿盛りもの。かまぼこやきんとん、魚・鳥・野菜類を、甘みをきかせて調理したもので、3から9品まで奇数で取り合わせる。伊予紋は口取肴でも知られていた。
(8)小学館全集の注には「樋口家が家財の一部を売却したためと思われる」とある。
(9)毎月9日が「萩の舎」の月例会だった。
(10)本郷4丁目の和菓子店(店主は藤村忠次郎)。

十日より蝉表(せみおもて)内職(11)にかゝる。
十一日 おなじく。
十二日 おなじく。
十三日 師君のもとへ行く。
十四日 稽古日。 田中君より田辺君伝言(ことづて)を聞く。島田君のこと、師の君のこと。帰路(かへり)は日没少し前なりし。思ふこといと多し。
十七日 田中うじ会(12)也。午前より行。来会者十二、三名。車にて送らる。
十八日 小がさ原君のもと(13)に数よみの催しあり。招きにあづかりしもの五名。題は廿三題成けり。終りて後、ばら新、美香園(びかうゑん)(14) にばらを見る。帰宅は日没。
十九日 半井君をとふ。「一時は日に日に快方成しを、又いさゝか無理などをなしたるにや依(より)けん、更に切断を行はずんば能(あたふ)まじと思ふ也」など物がたらる。いといとなやましけなるに、いか様(やう)にせんと計(ばかり)打守り居(ゐ)る折しも、 医師来診に来しかば、おのれは帰宅す。
廿日 又見舞に行く。「昨日切断はなしたれど、いまだ充分ならざる様也。今一度切らずんば」などいふ。今日も気分わるげ也。 二時間計居てかへる。

(11)蟬表は、下駄の表に付ける籐(とう)で編んだ敷物のことで、蝉の羽のように見えるのでこう呼ばれた。一葉の一家にとって着物の仕立てなどとともに主要な内職だった。
(12)萩の舎の先輩門人である田中みの子による歌会。牛込区新小川町で行われたようだ。
(13)本郷区駒込動坂町にあった小笠原家別邸と見られる。萩の舎の門人で、旧老中小笠原長行の娘、小笠原艶子の家。
(14)バラ新と美香園は、ともに本郷区駒込動坂にあった植木屋。



朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。








《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


三十日。小説はまだ十頁ばかりしか出来ていない。仕方がないのでこの事情を半井先生に申しあげようと思う。ことに今日は小石川の稽古日なので、朝から大雨だけれど強いて家を出る。歌子先生の所に十二時までいて、帰りに西片町の半井先生のお宅を訪ねる。先生は次の間にいらっしゃるのでしょうか、そこには河村氏の母上や奥様お嬢様たちが火鉢の傍に居られた。先生のご病気をお尋ねすると、実は先生は痔を患っておられたのをすっかり隠しておられたので急にひどくなり、一昨日切開手術をなされたとのこと。私はすっかり驚いて、どんなご様子かと心配していると、
「大変ご無礼なことですが、病室でお目にかかりましょう」
とおっしゃって、病室へ通していただく。石炭酸の匂いがひどく強い。これは毎日洗浄なさるためでしょう。色々とお話する。さすがの先生もひどくお苦しそうに見えた。一時に帰宅する。

五月一日。午前十時頃から家を出て下谷の伊予紋でロ取肴を買う。桃水先生にさしあげようと思ってのこと。十二時頃から西片町をお訪ねする。お話いろいろ。追い追い快方に向かっておられるとのこと。

三日。西隣りの家に転宅しようと、家族の者と相談がきまる。
四日。半井先生のお宅を訪ねる。転宅のことをお話して、原稿提出を七日まで延ばしていただく。
五日。晴。転宅。久保木と田部井が手伝いに来る。今夜からまた小説にとりかかる。兄が偶然にやって来る。
六日。終日小説を書く。完成せず。
七日。晩までには何とか完成したいと思い大奮闘。今日は小石川の稽古日でしたが、それも行かないですます。
八日。終日努力するがまだ未完成。
九日。小石川の月例会だが、いつものように早朝からはとても行けない。三時頃にやっと小説が出来上がる。すぐに髪を結ったりなどして、まず半井先生のもとへ行く。藤村で蒸菓子を少し買い持参する。すぐお暇して、その足で小石川へ行く。歌子先生は大立腹。

十日から蝉表の内職にかかる。
十一日。おなじ。
十二日。おなじ。
十三日。歌子先生のところへ行く。
十四日。稽古日。田中みの子さんから田辺龍子さんの伝言を聞く。それは島田政子さんのこと、中島歌子先生に関することでした。帰路についたのは日暮れ少し前でした。あれこれとさまざまに思うことが多い。 
十七日。田中みの子さんの梅の舎の歌会の日。午前中から行く。来会者十二、三名。帰りは車で送っていただく。
十八日。小笠原艶子さんのお宅で数詠みの歌会があった。招待された者五名。お題は二十三題でした。終わってから薔薇新(ばらしん)や美香園にバラを見に行く。帰宅は日暮れでした。
十九日。半井先生を見舞う。
「一時は日に日に快方に向かっていたのですが、また少し無理などしたためでしょうか、もう一度手術をしなければいけないようだと思っているのです」
などと話される。ひどくお苦しそうなので、どうしてあげたらよいのかと思いつつご様子を見守っていると、丁度そこへ医師が来診に見えたので、私はお暇して帰宅する。
二十日。今日もお見舞に行く。
「昨日手術はしたけれど、まだ充分ではないようだ。もう一度切らねばならないだろう」
などとおっしゃる。今日も気分が悪いようにお見うけした。 二時間ばかりいて帰る。

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