樋口一葉「日記」⑨

きょうは、明治25年3月24日の終盤から、3月26日まで。雪降る日もあります。

添刪(てんさく)給ひしを直(ただち)に原稿紙にうつしかへて、半井(なからゐ)ぬしがり行く。心の中種々(さまざま)なり。昨日森ぬしより文(ふみ)来たりぬ(1)。二月計(ふたつきばかり)より烟(けむり)のしろのたしをたのみて、六月(むつき)がほどをうけがはれぬ。さるを、「俄(にはか)にさわる事あり」とてその断りをいはれたるなれば、母君も妹もいたくなげきまどふ。「何とかすべし、心安かれ」など口にはいひ居(をり)しかど、ちいさき物にに波たちさわぎて、「いかにせん」と計(ばかり)成しが、思ひ出(いづ)るは半井ぬしのみ也(2)。「常(つね)、義侠(ぎけふ)の心深くおはしますを、いかですがり奉らばや」とぞ思ふ。行々(ゆくゆく)、「哀(あはれ)、人なからましかば」など願ひしに、思ひやつらぬきけん、うしのみ成けり。長うたみせ参らす。『むさし野』は今日、版(はん)に上(のぼ)りぬとか。「こは此次のにせん。とに角にあづかり参らせん」との給ふ。いひにくけれど思ひ定めて、その事打出しぬ。面(おも)あつきことよ。半井うし案じ給ふ気色(けしき)もなく、「そはうけ給はりぬ。何とかなすべし。心安かれ」と疾(すみやか)にの給ふ。「この月はおとゝ共(ども)の洋服などあらたに調ぜしかば、少しふところなんあしき。されど月末(つきづゑ)までにはとゝのふるべし(3)」とて白湯(さゆ)のみ給ふやうに引うけ給ふ。かたじけなさにも又涙こぼれぬ。うれしさにも、早く母君に聞かせ奉らばやと思へば、あわたゞしく暇(いとま)をこふ。「嬉(うれ)しきこと嬉しげにもあらず、恩を恩ともしらぬ」とや覚すらん。心には思へど、ロに多くあらはし難きぞ、かひなかりける。此夜もすることいと怠りぬ。
(1)父則義の東京府庁時代の上役だった森昭治が、生活費の援助を1月から毎月、半年間つづけると約束していたが、それを断ってきた。
(2)桃水が21日に「家事の経済などに付て憂ひたまふとあらば、そはともかうも我すべし」と言ったのを思い出したか。
(3)小学館全集の脚注には「月末の記録が空白になっているので明らかでないが、桃水はこの約束を果すために、援助にかえて「別れ霜」を『改進新聞』に紹介したようだ」とある。

廿五日 朝来(あさより)折々に雪ふる。十時頃より晴渡りたれど風いとつよし。今日はおのれが誕生の日(4)なればとて、魚などもとめていさゝかいわひごとす。午後(ひるすぎ)より母君、姉君がり参り給ふ。西村ぬし来る。物がたり種々(さまぎま)。日没少し前、水野ぬし(5)より和歌小集の招き文(ふみ)来る。半井うしより、「廿八日までに小説の草稿(6)まはしくれよ」との文来る。今宵はさまざまにこと多し。
廿六日 稽古日。小雨。水野君行(ゆき)の相談とゝのふ。点取題三ツ。おのおの十点を得たり。五時頃帰宅。半井氏(うじ)よりし重太(しげた)君迎ひに来られて、「好事(よきこと)あり、直(ただち)に参られたし」といはれたりとか。「今宵はすでに遅し、明(あす)早々参れ」とて今宵は臥しぬ。日没後、芝より兄君参らる。

(4)一葉は、明治5年3月25日(太陽暦5月2日)、則義、滝子の次女として、内山下町一丁目の東京府構内長屋に生まれた。
(5)駿河沼津藩の第8代藩主で、華族の水野忠敬(ただのり)、あるいはその長女、水野銓子(せんこ)とみられている。
(6)『武蔵野』(第2編)用のための小説草稿。一葉は桃水に宛てた3月10日付の書簡で、「うもれ木」と「たま襷」の原案を示して、桃水の意見を聞いている。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

添削していただいた長歌をすぐに原稿用紙に書き写して半井先生のお宅へ行く。心の中にはさまざまな思いで一杯でした。実は昨日森氏から便りがあり、二(ふた)月ほど前から毎月の生活費の補助を頼み、六ヵ月間ほど承知されていたが、急に支障が出来てと断りを言われたので、母上も妹もひどく思い悩んでいた。私は
「何とかしますから安心して下さい」
などとロでは言っていたが、私の小さな物は波が打ったように騒いで、どうしようかと思ううばかりでした。頼りにする人とて他になく、思い出すのは半井先生ばかりでした。いつも義侠心の強いお方ですから、是非おすがりしたいと思うのです。途中、他に誰も見えていなければよいのにと思いつつ来たのですが、この気持ちが通じたのでしょうか、ご在宅は先生お一人でした。長歌をお見せする。先生は、「武蔵野」は今日印刷に廻ったとか、これは次号用に預かっておこうとかおっしゃる。私は言いにくかったのですが、思いきって借金のことを申し出たのです。恥ずかしさに顔が燃えるようでした。先生は別に思案なさるご様子もなく、
「それは承知しました。何とかしましょう。どうぞ安心なさい」
と即座におっしゃる。
「今月は弟たちの洋服などを新調したので少し懐が乏しいのですが、月末までにはきちんと用意しましょう」
と、 お湯でも飲むように簡単にお引き受けなさる。有難さのために涙がこぼれました。あまり嬉しいので一刻も早く母上に知らせようと思い、急いでお暇をする。私のことを、喜びを喜びともせず、恩を恩とも思わぬやつだと思っていらっしゃるだろうと心には思っても、この喜びを言葉で充分言い表せないのは情けないことでした。今夜も何もせず、ひどく怠けてしまった。

二十五日。 朝から曇って雪。 十時頃から晴れてきたが風がひどく強い。今日は私の誕生日なので魚などを買って心ばかりのお祝いをする。午後から母上は姉のところへ行かれる。西村氏が見える。種々の話あり。日暮れ少し前に水野銓子さんから和歌会への招待状が来る。半井先生からは二十八日までに小説の原稿をとどけるようにとの手紙が来る。今夜は何やかやと事が多い。

二十六日。萩の舎の稽古日。小雨。 水野さんの歌会へ行く相談がきまる。点取りのお題は三つ。それぞれに十点を頂戴した。五時頃帰る。留守中に、半井先生宅から弟の茂太さんが見え、良いことがあるのですぐ来てほしいと言われたとか。母上に、
「今夜はもう遅いので、明日早く行きなさい」
と言われて、今夜は寝る。日が暮れてから芝の兄が来る。

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