樋口一葉「日記」⑧
きょうは、明治25年3月24日の日記のつづきです。師、歌子の「常陸帯」と表書きされた日記を見せてもらいます。
「この一冊、かまへて人に見すまじきものなれど、そこにはなどかはとてなん」とて、「常陸帯(ひたちおび)」と表書(うはがき)したる日記(1)みせ給ふ。こは下の巻也。上は師之君、水戸に下り給ふ道すがらの記(2)也といふ。これは林ぬし江戸へのぼり給ふ別れのきざみよりかきはじめて(3)、師の君ひとやにつながれ給ふ迄(まで)の也。あるは涙をしのんで門出を送りたまふ暁の鳥の声(4)、あるは空しきふすまにあづまをしのび給ふくつわ虫の声(5)、あるは初ての音づれ待得(まちえ)給ひし件(くだり)、あるは身をなきものと思(おぼ)しなして更に故郷(ふるさと)の母君(6)をこひ給ふくだり、あるはさばヘなすねじけ人らがよこしまのことゞも(7)、それが恥かしめをさけんとて、妹の君(8)さては故郷とより供(とも)につれ給ひし小女(こをんな)なんど、しるべのかたにしのばする折のこと、八重(やへ)むぐら高くしげる館(やかた)の内にたゞ一人国をうれひ、つまをしのび給ふみ心の中(うち)、其折々の歌の心ばへなど、哀(あはれ)にもかなしうもそゞろ涙ぐまれて、打(うら)もおかず詠(なが)め入りぬ。君十九の時におはしゝとか。おのれは、歌の姿の哀(あはれ)なるよりも、文(ふみ)の詞(ことば)のなだらかなるよりも 其心ばへのいさましさ、をゝしさなん、かしこみても猶あまりありけり。師の君の給ふ、「こは其折なれば書けたる也。今はた思ひ出てつゞらばやとするに、詞(ことば)の花はいか計もかざられなん、この感情をいかでうつし得べき。文(ふみ)の真(まこと)(9)とはかゝるをいふなれ。こはまだ文章といふもの学びたる時ならず。詞(ことば)すらよくもしらねば、 たゞ有たることを有たるまゝにしるしたるなれど、中々今ものしたりとて及ぶべくはあらず。されば、文まれ歌まれ、よしおのれ其ものに向ひおらずとも、真(まこと)といふこゝろに成てつくり出なば、人をも世をもうごかすにたるべきものぞ。そこの小説をものせんとするも、かゝる心ばへにてぞあれよかし」などをしへ給ふ。雨もやみぬ。「あさては早くより参りくれよ」などの給ふ。暇(いとま)を乞(こひ)てかへる。
(1)「秋の道しば」「枕のちり」「秋の寝ざめ」の三部からなる中島歌子の日記。原本は見つかっていないようだが、修訂が加えられた一部が、死後、三宅花圃の手で『萩のしづく』に収められたという。
(2)「秋の道しば」にあたる。嘉永6年(1853年)に、水戸藩士だった夫、林忠左衛門の実家に移るため、江戸詰の夫と別れて水戸へ下る紀行文を書いている。
(3)「秋の寝ざめ」にあたる。元治元(1864)年、水戸藩の尊王攘夷派天狗党が筑波山で兵を挙げた筑波山事件の際の身辺を記録している。
(4)『萩のしづく』の「秋の寐ざめ」に「いつか其夜も暁のとりが啼(なく)東路さしていで行く影もほのぼのと」。
(5)「秋の寐ざめ」に「ある夜馬おひとかいへる虫のなくを聞ていとど過にし夏の恋しくて」。
(6)中島家(武蔵国入間郡森戸村)にいた実母の幾子。
(7)歌子の夫、水戸藩士の林忠左衛門は、天狗党や松平頼徳にしたがって藩内保守派と対決した。ここでは、長岡に天狗党討伐に向かう家老の鳥居瀬兵衛や若年寄の大森多喜らと消魂橋で交戦し、負傷した事件を指している。
(8)忠左衛門の妹のテツ。
(9)歌子が重視した和歌の理念。一葉の日記などでは「真情」や「実情」と表現される。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
「この一冊は決して人に見せるべきものではないのですが、あなたには隠す必要もありませんので」
とおっしゃって「常陸帯」と表書きのある日記をお見せになる。これは下巻で、上巻は先生が水戸に下られた時の旅日記だとのことです。この下巻は、御主人の林様が江戸に上られる時のお別れの時から書き始め、歌子先生が獄舎につながれなさるまでの記録です。或いは涙を隠して御主人をお送りなさる夜明けの鳥の声、或いは独り寝の床に水戸のことを偲んでおられる時のくつわ虫の声、或いは初めての便りをやっと手にされた時のご様子、或いは死を覚悟されて故郷の母上を慕われるお気持、或いは悪人たちの悪事のこと、またその者たちからの恥ずかしめを避けるために御主人の妹さんや、故郷から連れてこられた少女などを知り合いの家に隠される時のこと、雑草が高く伸びた荒れた家にただ一人国家を憂いご主人を思われる折のお気持、またその折々の和歌のお心など哀れに悲しく、自然に涙ぐまれて最後まで読んだのでした。先生は十九歳であられたとか。私は歌の哀れさよりも、文章の流れるような美しさよりも、先生のお心の勇ましさ、雄々しさに恐れ入るばかりでした。先生は、
「これはその時だから書けたのですよ。今また思い出して書こうとしても、美しい文章はどのようにも飾りたてることが出来るでしょうが、この感情をどうして描き写せましょうか。文章の真実とはこういうものを言うのです。その当時はだ文章というものを学んでもいなかったし、言葉さえよくも知らなかったので、ただ事実をありのままに書いたのですが、かえって今書いても及ばない程です。だから文章でも歌でも、たとえ自分がそのものの中にいなくても、真実を求める心で書いたならば、人をも世間をも感動させることが出来るものですよ。あなたが小説を書かれる時もこの心構えであってほしいものです」
などと教えて下さった。雨もやんだ。明後日の稽古日は早くから来てほしいなどとおっしゃる。お暇をして帰る。
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