樋口一葉「日記」②
きょうは、明治25年3月13日からです。陸奥宗光農商務大臣の辞任のニュースなどが伝えられます。
十三日 大雨。午後(ひるすぎ)よりはれる。師君依頼の縫(ぬひ)仕事にかゝる。夜(よ)を徹して従事す。この日稲葉君、小石川柳町(1)に移転(ひつ)こす。
十四日 曇天。縫上(ぬひあが)りし、衣類(きもの)をもて小石川に行く。師君としばらくも談話(ものがたり)、帰る。稲葉君参り居られたり。此タベ新聞号外来る。陸奥(むつ)農商務大臣(2)、依願免官、河野敏鎌(とがま)氏後任の報(しらせ)なり。但し陸奥君は官中顧問官に任ぜられたり。
十五日 晴天。 今朝配達の新聞を閲し来たるに、内閣の動勢定まらず。 品川内務大臣(3)、職を副島伯(そへじまはく)にゆづりて、身は宮中顧問に転ぜられたるを始めとして、或は「後藤逓信(ていしん)大臣冠(かんむり)をかけらるべし」といひ、「何某(なにがし)の大臣辞表を呈出されたり」といひ物情紛々(ぶつじやうふんぷん)、記者得意の筆をふるふ可(べ)き時機(をり)と見えたり。
午後母君、森君へ趣き給ふ。其留守に稲葉君を尋ねて、渡会(わたらひ)といふ人(4)、本所より来る。もと千村(ちむら)かたに居(をり)し職工のよしにて、種々談話(さまざまものがたる)。 稲葉君が食言家(うそつき)(5)なることを螻々(るる)として述ぶ。驚く可きこと一(ひと)ツにして足らず。我も国子もあきれにあきる。少時(しばし)にして柳町(やなぎちゃう)へ向けて趣く。母君帰宅。それらの談話(ものがたり)少しする程に、同じく「本所よりなり」とて、又一人きたる(6)。稲葉君につきてのはなしをなす。かゝりし程に村松老人あわたゞしく来たる。こは此人々の我家(わがや)より先に村松に行きてこのものが語(がたり)をなしたるからに、いたく驚きて、そを我家にも告げんとて来たられし也。村松老人しばらくにて帰る。母君と国と入湯に趣かる。引違ひにお鉱(くわう)どの(7)参らる。我れに種々(さまざま)の事とはれしかど、如何(いかが)答ふ可きにやたゆたはれて、深くはもの語らひもせざりき。母君もやがて帰宅せらる。前(さき)よりのことに付(つき)て、「今よりは来訪(おいで)無用なり。お前様ゆゑ我家にまでいたく迷惑のかゝることあれば」とて断る。お鉱どの涙など流して弁解(いひわけ)さるゝに、母君もこゝろ弱くなき給ふ。おのれは座に堪(たへ)かねて、次の間に退(しりぞき)さりぬ。同人帰宅。此夜もいたく怠りて、はやく臥(ふし)たり。
(1)現在の文京区小石川三丁目付近で、伝通院境内の東に位置する町屋。事業が失敗したため、本所から小石川柳町の裏家へ、夜逃げ同然で移ったとも見られている。
(2)陸奥宗光(1844 - 1897)。明治23年5月から明治25年3月14日まで、農商務省(かつて産業行政を推進するために設置されていた中央官庁)の大臣を務めた。
(3)品川弥二郎(1843 - 1900)。明治24年に第1次松方内閣の内務大臣に就いたが、明治25年の第2回衆議院議員総選挙で、警察を動員して選挙干渉を行ない死者25人を出した事件を非難されるなどして引責辞職を余儀なくされたとされる。
(4)小学館全集には「千村礼三のもとで職工として働いていたが、稲葉が計画した事業に雇われることになっていたのであろう。契約を欺くように稲葉が失踪してしまったので、行方を尋ねてやって来た。」とある。
(5)詐欺師。「食言」は、もともと一度口から出したことばをまた口に入れる意で、前に言ったことばと違ったことを言う、約束を破る、うそをつくことをいう。
(6)これらの人たちは、債権者と見られる。
(7)一葉の母たきが、乳母として奉公していた稲葉家の養女。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
十三日。 大雨。午後から晴れる。歌子先生依頼の縫仕事にかゝる。夜通し縫う。今日稲葉寛さん一家が小石川柳町に移転された。
十四日。曇。縫い上がった衣類をもって萩の舎へ行き、先生としばらくお話をして帰る。稲葉さんが見えていた。夕方、新聞の号外が来る。陸奥農商務大臣が依願免官となり、河野敏鎌氏が後任とのこと。陸奥氏は宮中顧問官に任ぜられた。
十五日。晴。今朝の新聞を見ると内閣の様子は不安定のようだ。品川弥二郎氏は内務大臣の職を副島種臣氏に譲り、自分は宮中顧問官に転じたのを初めとし、あるいは後藤象二郎氏は逓信大臣の職を辞したとか、またある大臣は辞表を呈出したとか、種々の情報が入り混じって渾沌としており、新聞記者が得意の筆をふるうべき時機と思われた。
午後母上は森さんのところへ行かれる。その留守に稲葉氏を訪ねて渡会(わたらえ)という人が本所から来る。この人はもと千村礼三氏のところにいた職工とかで、種々話があり、稲葉氏が嘘つきであることを縷々として述べる。びっくりするような事が一つや二つではない。私も邦子も全くただあきれるばかりでした。この人はしばらく話してから柳町の稲葉氏の所へ行かれた。母上が帰宅され、この話をしていると、同じく本所からといってもう一人の人が尋ねて見える。稲葉氏についての話をする。しばらくすると村松老人があわただしく来る。これは先の人々が私の所に来る前に村松老人の所へ行ってこの話をしたので、ひどく驚いて、私の家にも知らせようと思って来られたのでした。村松老人はしばらく話してから帰って行った。母上が邦子と風呂に行かれると、入れちがいに稲葉のお鉱さんが見える。私に色々な事を聞かれるのだが、どう答えてよいか思い迷って深くはお話もしなかった。母上もやがて帰って来られて、
「これまでの事について、もうこれからはここに来ないで下さい。お宅のことで私の家にもひどく迷惑がかかることがあるのです」
と言ってお断りになる。お鉱さんは涙を流して弁解されるので母上も心弱く涙ぐまれる。私も聞くにたえかねて次の間に席をはずしたのでした。やがてお鉱さんも帰って行った。今夜もすっかり怠けてしまって早く寝る。
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