樋口一葉「につ記二」⑥

令和7年に入った最初のきょうは、明治25年3月3日からです。雨天が続きますが、やがて貧しい家にも春が訪れます。


三日 雨天也。早朝、 田辺君に書状を出す。各評廻り来たる(1)。撰(えら)みの上、長谷河君(2)に送る。姉君遊びに参らる。今日は上巳(じやうし)の節会(せらゑ)(3)なればとて、白酒(しろざけ)、いり豆などとゝのへて一同祝ふ。「棚なし小舟」続稿にかゝる。外にことなし。
四日 雨天、暖かし。和歌(うた)七題十五首計(ばかり)よむ。小説稿(したがき)いそがはし。
五日 雨天。早朝小石川稽古に趣く。来(きた)る人十名計(ばかり)成し。水野君、「鎮地(ちんぢ)菊間(きくま)神社(4)へ奉納の和歌(うた)をよみくれ度(た)し」とて、則(すなはち)今日の点取にす。「有松喜色(まつにきしよくあり)」なりけり。終りて後、今一題詠ず。来る十一日梅見に行べき約束をなす。みの子君、ある方(かた)より、我が自作の小説見度し、とて申し来たれりとて、「今夜中に一回分遣(つか)はされ度(たし)」といふ。「趣向のあてもなけれど、どうにか可成(なるべし)」とてうけ合ふ。一同帰路につきしは四時頃成し。泥路(どろみら)歩行いと難儀なりし。此日前島君より『女学雑誌』(5)をかりる。帰宅早々日没まで通読。夫(それ)より小説著作に従事す。夜を徹して「みなし子」(6)第一回稿(したがき)終る。つまどのひまのしらむを見て暫時寐(しばらくね)むる。

(1)田中みの子主催の各評。回覧されると自分が選んだ作と番号を控えておき、詠草は次の回覧者へと転送する。
(2)萩の舎門人の長谷川直と見られる。
(3)雛祭り、桃の節句のこと。上巳は、五節句の一つの3月3日。
(4)沼津藩主だった水野忠敬は明治2年に移封されて、廃藩置県までいまの千葉県市原市菊間を治めていた。そこの氏神である菊間八幡神社奉納する和歌を依頼していた。
(5)『女学雑誌』第306号(明治25年2月27日)に、一葉の「鶯のなく声きけばくれたけの外に友をも待たる宿かな」(寒中鶯)が、「中島歌子先生点取」として掲載された。
(6)桃水を下宿へ訪ねた際の経験がもとになった作品。

六日 雨天。七時起く。再び稿(かう)をあらためて郵便に付したり。小説著作、詠歌、習字などの日課を勉(つと)めて、夜に入ては読書などをなす。十二時床に入る。
七日 連日の雨、夜の間(ま)に晴渡りて、うらうらと霞む朝のけしきいとのどか也。蕩々(たうたう)たる春風(しゆんぷう)に庭前(ていぜん)の梅花(ばいくわ)花びらみだれて、薫(かを)れる雪の降くるに、惜しみがほの鶯(うぐひす)のこゑなど、我やどの春、よの人に見せまほし。「今日は半井うし訪はゞや」とて、母君に結髪(かみゆひ)をわづらはしたり。「晩さんの設(まうけ)ぞ」とて、母君園(その)に籠(かご)をたづさへて下(お)りたち給ふは、 わか菜(7)つまんとて也。世には金殿楼閣に住む人もあるべく、綾羅錦(りようらきん)しやうにほこるもあるべし。借問(しやもん)す(8)綿衣(めんい)三年(9)改ためず破窓(はさう)わづかに膝(ひざ)をいるゝに過ぎざれど、優々たる春の光、春の匂ひの、身にも心にも家のうちにもみち渡りたる、我が親子評(ばかり)たのしきものありや非(あ)らずや。

(7)春に芽ばえたばかりの食用になる草。野菜が買えないため母は右京ケ原で野草を摘もうとしていた。
(8)敢て問う。李白の詩に「借問す、漢宮誰か似ることを得ん 可憐の飛燕(漢の成帝の趙皇后)、新粧に倚る」とある。
(9)唐の書家、柳公綽の妻は嫁いで3年間、絹素を着て染織を飾らず、木綿綾羅錦繍(美しく着飾ること)をしなかったという(『小学』善行)。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

三日。雨。朝早く田辺龍子さんに手紙を出す。各評が廻ってくる。選をして長谷川直子さんに送る。姉が昼頃見える。今日は桃の節句なので白酒や炒り豆など用意して皆で祝う。「棚なし小舟」の続きを書く。その他は特に何事もない。

四日。雨。暖かい。和歌を七題十五首ほど詠む。小説の原稿書きで忙しい。
 
五日。 雨。朝早くから萩の舎の稽古に出かける。出席は十名ほどでした。水野子爵から鎮守の菊間神社への奉納の和歌を詠んでほしいとのことで、それを今日の点取り歌とする。題は 「青松喜色」でした。終わってから更に一題詠む。今月十一日に皆で梅見に行く約束をする。田中みの子さんが、ある人から私の小説を見たいと言ってきているので、今夜中に一回分を送ってほしいと言う。構想のあてもないが何とかなるだろうと言って承知する。皆さんが帰ったのは四時頃でした。雨で道はぬかるんで難儀でした。今日、前島菊子さんから女学雑誌を借りる。帰ってから早速、日暮れまで読み続ける。それから小説を書き、徹夜で「みなし子」 第一回分を書き終わる。雨戸の外が明るくなり出してから、しばらく眠る。

六日。雨。七時に起きる。昨夜の原稿にもう一度目を通してから郵便で送る。「みなし子」 の第二回分を書き、その他、歌を詠み習字をするという日課を勤めて、夜は読書。十二時に床に入る。

七日。連日の雨も夜の間にすっかり晴れて、うららかに霞む朝の景色は大変のどかで、おだやかな春風に庭の梅の花が咲き乱れる様子は香り高い雪のようで、春を惜しむ鶯の声も聞こえ、わが家の春の庭の風情は他の人々に見せたいほどです。今日は半井先生をお訪ねしたいと思って母上に髪を結ってもらう。夕食のためにといって母上と邦子が籠を持って庭に下りられたのは、若菜を摘むためでした。世間には御殿(ごてん)のような立派な家に住み、錦のような立派な着物で身を包む人もいるでしょう。然し、私は敢えてお尋ねします。粗末な木綿の衣服を三年間も着古し、壊れかかった、わずかに膝を入れるだけの狭い家に住んでいても、のどかな春の光や春の匂いが身にも心にも家のうちにも満ち満ちている私たち親子の暮らしほど楽しい暮らしは他にあるでしょうか。

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