樋口一葉「につ記二」④

きょうは、明治25年2月20日から。一葉は、師の病気がよくないことを知り萩の舎の師のもとへ急ぎます。

廿日 晴天。遅し、寐過(ねすご)したり。朝の間に『蛛の糸巻』よみ終る。雑書(ざっしょ)少し見る。夫(それ)より習字。姉君来る。雑話(ざつわ)。午後結髪(かみゆひ)して師の君がり行く。田町にて田中君の橘道守(1)君発会へ趣き給ふにあふ。暫時(しばらく)立話し、「師君病ひよろしからず」とのよし伝へ聞て、さて小石川へ行く。師君大よろこびのこと。種々(さまざま)明日の手伝ひして、しるこの馳走などにあづかりて帰る。荻野君参り居られたり。晩飯馳走す。おのれらは仲町(2)にかひものせんとて、一あし先に家を出ぬ。帰宅は日没後成し。此夜短冊したゝめなどして床に入る。

(1)
明治時代の歌人で、橘守部の孫の道守(1852 - 1902)。守部の子冬照にまなび、その養子となった。養母東世子(とせこ)とともに本所区松倉町で椎本吟社を創設。「明治歌集」の編集や橘守部の遺稿の校正、出版をした。
(2)下谷区池之端仲町。ここに、一葉の用いた原稿用紙、半紙、罫紙などを扱っていた紙屋、中島屋があった。

廿一日 晴天。十時家を出づ。小石川へ行く。師君と共に車をつらねて会席(3)へ趣く。みの子君すでに参り居られたり。種々談話(さまざまものがたる)。文雅堂参る。四人ひるめし。其内加藤(4)君参らる。来会者は四十人計(ばかり)の見積り成し所、追々に増加して五十人にもなりぬ。此日の点取題「雪後春月」。黒川真頼(5)大人(まよりうし)、三田(さんた)葆光(かねみつ)(6)君、小出粲(つばら)君の点なりし。黒川君甲はかとり子ぬし、小出君甲は佐藤東(あづま)(7)君、三田君の甲、黒川大人(うし)が乙はおのれのなりし。景品など給はる。諸君帰宅後、別に小宴(せうえん)を開きて佐藤、井岡(8)、田中三君ならびに師君、おのれなど歌話(かわ)あり。終会は八時頃成き。車を小石川によせて勘定のはなしなどす。又茶菓(さくわ)を給はりなどして帰宅す。此夜は何ごとをもなさずして床に入る。夜深く雨ふり出づ。 
廿二日 雨天、寒し。午前(ひるまへ)はなし得たることもなく、午後より著作にかゝる。されども大方(おほかた)は紙と筆にむかひたるまゝ、とりてかくまでにはいたらざりき。和歌五題計(ばかり)よむ。風邪にやあらん、頭痛たえがたければ、此夜は早くふしたり。
廿三日 曇天。朝のまに江崎君ならびに兄君へ出す郵便をしたゝむ。夫(それ)より小説原稿にかゝる。此夜も早く床にいりたり。この日、かねて小説の趣向などたてる。
廿四日 曇天。いとあたゝかし。朝来(あさより)、昨夜たてし趣向によりて筆をとる。田中君より、「明日かずよみなすべきに付(つき)参りくれ度(た)し」とて書状来る。日没後、小説二、三冊よみて母君に聞かし参らす。夜に入りて強風。


(3)
麹町の万源楼と見られている。
(4)歌人の加藤安彦と見られる。元尾張犬山藩士。
(5)黒川真頼(1829 - 1906)幕末・明治時代の国学者。宮内省御歌所寄人、東京帝大教授などを務めた。黒川春村の門人で、師の没後に姓を継ぎ、家学を継承した。
(6)幕臣で、国学者。歌人・茶人としても知られた。真頼からも学んでいる。
(7)萩の舎の門人(客員の歌人)の一人。
(8)下谷区に住んでいた萩の舎の門人(客員の歌人)。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

二十日。晴。遅くまで寝過ごしてしまった。朝のうちに「蜘蛛の糸巻」を読み終わる。雑誌を少し読む。それから習字。姉が来る、雑談。午後髪を結って先生のお宅へ行く途中、田町あたりで田中みの子さんが橘道守先生の歌会の発会式に行かれるのに会い、暫く立話をする。先生のご病気がよくないとお聞きして萩の舎へ急ぐ。先生は大層喜ばれた。色々と明日の発会のお手伝をして、お汁粉のご馳走をうけて帰る。帰ると荻野氏が見えていた。夕食をお出しする。私たちは仲町に買物をしようというので一足先に家を出た。帰ったのは日が暮れてからでした。夜は短冊に歌を書きつけたりしてから床に入る。

二十一日。晴。十時に家を出て萩の舎に行く。先生と一緒に車を並べて会場へ赴く。田中みの子さんがすでに見えていた。色々話しているうちに文雅堂さんが見える。そこでこの四人で昼食をすます。やがて加藤安彦先生が見える。参加者は四十名ほどの予定であったが、次々と増えて五十名にもなってしまった。今日の点取り題は「雪後の春月」で、黒川真頼、 三田葆光、小出粲の三先生が点者でした。黒川先生から甲をいただいたのは吉田かとり子さん、小出先生の甲は佐藤東(あずま)さん、三田先生の甲と黒川先生の乙は私の歌でした。賞品など戴く。皆さんが帰られた後に、別に小宴を開いて佐藤東さん、井岡大造さん、田中みの子さんに先生と私の五人で歌につ いて色々な話がはずむ。終わったのは八時頃でした。それから車で塾に行き、今日の会計のことなど話す。お茶やお菓子を戴いてから帰宅する。今夜は何もしないで床に入る。夜が更けてから雨が降り出す。

二十二日。雨。寒い。午前は何もしないうちに過ぎ、午後は小説の執筆にかかる。しかし紙と筆を前にしているだけで時間が過ぎ、筆をとって書き始めるまでにはいたらなかった。歌を五題ばかり詠む。風邪でも引いたのだろうか、頭痛がひどいので早く床に入る。

二十三日。曇。朝のうちに江崎牧子さんと兄への手紙を書く。それから小説の原稿にかかる。今夜も早く床に就いたが、眠れないで、小説の構想を考える。

二十四日。曇。大変暖かい。朝から昨夜考えた構想で書き始める。田中みの子さんから、明日数詠みの歌会をするので出席してほしいとの手紙が来る。日が暮れてから小説を二、 三冊母上に読んでお聞かせする。夜になって強風。

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