樋口一葉「につ記二」③
きょうは、明治25年2月18日から。一葉は母といっしょに、借金をしに出かけていきます。
十八日 晴天。寒風おもてを切るが如し。「森君に礼ながら借用金に行かばや」とて支度す。母君と共に家を出しは九時成けん。徒歩、林町(1)にいたる。森君は留守成し。小君(せうくん)種々談話(さまざまものがたる)。証書したゝめて八円かりる。昨日小林君(2)まいられたるよし。同家とう難のはなし、及び′栗塚国会議員同難にかかりたるはなしなどあり。ひいて小説著作のことに移る。画工竹内桂舟(3)は小君(せうくん)が甥の師なるよし。「折々は参る事もあり。同人は硯友舎(けんいうしや)(4)連の一人なれば、美妙斎、紅葉、漣(さざなみ)各君とも入懇(じつこん)なれば、もし同人らに紹介などを要せらるれば、其労はとるべし」となり。右関係の事どもものがたりて、同家を暇乞(いとまごひ)せしは十一時成し。「梅がゝ聞ながら藪下より参らん」とて、根津神社をぬけてかへる(5)。風寒けれど春ははる也。鶯の初音折々にして、思はずもあしとゞむる垣根もあり。紅梅の色をかしきに目をうばはるゝも少なからず。家に帰りしは十二時頃成けり。夫(それ)より新著の小説にかゝる(6)。稲葉君来訪。「正朔(しやうさく)君の衣類(きもの)もらひ度(たし)」とて也。日没少し前、三枝(さえぐさ)より出産祝ひの赤飯(あかのめし)来る。夕飯(ゆふげ)ことに賑々(にぎにぎ)しく終りて、諸大家のおもしろき小説一巡(ひとめぐり)、母君によみて聞かしまいらす。国子が、日記を見て、「よく書きたり」などいふ。夜更(よふけ)て雪降り出づ。おのれが臥床(ふしど)に入しは二時ごろ成けん。
(1)旧本郷区駒込千駄木林町。明治2年に起立した。
(2)小林好愛。森昭治と小林は明治2年ごろ東京府庁で同僚だった。また樋口家と小林とは家族ぐるみの付き合いがあった。
(3)武内桂舟。明治・大正期の浮世絵師、挿絵画家。明治20年ごろ、尾崎紅葉、山田美妙、巖谷小波らの文学結社「硯友社」に参加し、硯友社作家の挿絵を数多く描いた。
(4)文学結社「硯友社」。明治18年2月、尾崎紅葉を中心に、石橋思案、山田美妙、丸岡九華を同人に発足。機関誌「我楽多文庫」を発行。写実的な文体と手法で明治20~30年代の文壇に勢力をもった。
(5)団子坂上から、千駄木通の中ほどにある根津神社の裏に至る細道は薮下といわれ、道に沿って旧大名邸の庭園があった。
(6)心中をテーマにする試作と見られている。
十九日 母君先(まづ)おき出給ひて、妻戸(つまど)(7)をしたまふ。「さてもつもりたる哉(かな)。尺(しやく)にもあまりつべし(8)。まだいくばくか降らんとすらむ」などの給ふは、雪のことなめりとうれしくて、やをら起ぬ。国子をも起して共にみ出(いだ)すに、あめもつちも木立(こだち)も軒ばも、白妙(しろたへ)ならぬ方(かた)なし。綿(わた)を投ぐる様にふるさまいといさましく、「ならば角田川(すみだがは)(9)あたりに一葉をうかべたらましかば」など風流(みやび)がりて笑はれぬ。朝いひしまひて後(のち)も中々にやまず。待人(まつひと)もなき宿ながら、切(せ)めて這入(はいり)だけも道あけばやとて、国子と共に支度のみはいさましくして雪かきをす。尺といひて二、三寸はあまりつべし。「近来(ちかごろ)覚えぬこと」など語り合ふ。終りてより習字せばやとするに、手ふるひてせんかたなし。力業(ちからわざ)する人の、手かくことものうくするは断りぞかし。荻野氏より借りたる雑誌(10)ならびに山東京山編の『くもの糸巻』(11)通読。『朝日新聞』の記事少し見て昼飯(ひるめし)にす。午後より『早稲田文学』中「徳川文学」(12)「しるらる伝」(13)ならびに「まくべす詳訳」(14)、 「誹諧論」(15)など四、五冊通読。岩佐君来る。母君、新平のもとへ参り給ふ。日没後帰宅せらる。一時臥床(ふしど)に入る。
(7)家の端のほうにある両開きの板戸。ここでは、雨戸を指しているようだ。
(8)1尺は約30センチ。39センチを超える。
(9)明治24年2月の「詠艸」に「寒けれどをすあげて見ん角田川こぎ行ふねのけさのしら雪」とある。
(10)『早稲田文学』と見られる。
(11)『蜘蛛の糸巻』。江戸後期、山東京伝の随筆。
(12)国文学者・関根正直(1860 - 1932)の講義録「徳川時代に於ける文学の現象――元禄時代の国文学」。
(13)森鷗外の「シルレル伝」。ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表的作家シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)、1759 - 1805)の最も早い紹介。
(14)「マクベス評註」 (『早稲田文学』明治24年10月~12月に連載)。
(15)饗庭篁村の連載。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
十八日。晴。風が寒く肌を切るようだ。森氏のお宅へお礼かたがたお金を戴きに行こうと支度をする。母上と一緒に家を出たのは九時頃でしたか。歩いて林町のお宅へ伺う。昭治氏は留守でしたが奥様と種々お話する。借用証書を書いて八円お借りする。
昨日小林好愛氏が見えたこと、また同家が盗難に遭ったこと、更に栗塚国会議員も同じく盗難に遭ったことなど話された。ついで話は小説のことに移って行った。竹内桂舟画伯は奥様の甥の先生であること、ここへも時々はお見えになること、また画伯は硯友社の仲間の一人で、山田美妙、尾崎紅葉、巌谷小波の各氏ともご昵懇なので、もし紹介がお要(い)りならば取次はしましょうとのことでした。このような事を色々とお話してお暇をしたのは十一時でした。
梅の香を楽しみながら藪下(やぶした)を通って行こうというので根津神社を抜けて帰る。風は寒いが春はやはり春です。鶯の初音が時には聞こえて、思わず足をとめる垣根もある。紅梅の美しさに目を奪われるのも度々です。家に帰ったのは十二時ごろでした。それから新しい小説にとりかかる。稲葉のお鉱さんが見える。正朔君が着る着物をもらいたいというのでした。日暮れ少し前に三枝さんの所から出産祝いの赤飯が届けられる。夕食を皆で楽しくいただき、有名な諸大家たちの面白い小説の幾つかを一渡り母上に読んでお聞かせする。また邦子の日記を見て、「よく書けている」などと褒めてやる。夜がふけてから雪になる。床に入ったのは二時頃でしたか。
十九日。母上が最初に起きて開き戸を押し開けなさる。
「まあ、よく積もったことよ。一尺以上もありそうだ。これからまだどれだけ降るのかしら」
とおっしゃるのは、きっと雪に違いないと嬉しくなって、そっと起きあがる。邦子も起こして一緒に外を眺めると、天も地も木も家もすべてが白一色です。綿を投げたように降ってくる様子はまことに勇ましく、出来ることなら隅田川に小舟を浮かべて雪見をしてみた いと風流なことを言っては笑われる。朝食がすんでもなかなか止みそうもない。来客を待っているという訳でもないが、せめて出入りするだけの道は開けておこうと、邦子と一緒に、服装だけは仰々しく勇ましくして雪掻きをする。一尺二、三寸はあったでしょう。近頃にない大雪だなどと話し合う。
雪掻きを終えて習字をしようとすると、手が 震えてしかたがない。カ仕事をする人が字を書くのを億劫がるのも本当にもっともな事だ。荻野氏から借りてきた雑誌と山東京山の「蜘蛛の糸巻」を読む。朝日新聞の記事を少し読んでからお昼にする。午後から早稲田文学の中の江戸文学もの、シルレル伝記、マクベス詳解、俳諧論など四、五冊を読む。岩佐氏が見える。母上は新平の所へ行かれる。日が暮れてから帰宅なさる。一時床に入る。
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