樋口一葉「につ記一」⑧
きょうから、明治25年2月4日の日記。雪の日だからなのか、この日の記述はずいぶんと長くなっています。
四日 早朝より空もようわるく、「雪なるべし」などみないふ。十時ごろより霙(みぞれ)まじりに雨降り出づ。晴れてはふりふりひるにもなりぬ。「よし、雪にならばなれ、なじかはいとふべき」とて、家を出づ。真砂町(まさごちやう)のあたりより、綿をちぎりたる(1)様に、大きやかなるもこまかなるも小止(をやみ)なくなりぬ。壱岐殿坂(2)より車を雇ひて行く。前(まへ)ぽろ(3)はうるさしとて掛(かけ)させざりしに、風にきをひて吹(ふき)いるゝ雪のいとたえがたければ、傘にて前をおほひ行くいとくるし。九段坂上(あが)るほど、ほり端通りなどやゝ道しろく見え初めぬ。平川町へつきしは、十二時少し過る頃成けん。うしが門(かど)におとづるゝに、いらへする人もなし。あやしうて、あまたゝびおとなひつれど、同じ様なるは留守にやと覚えて、しばし上りがまち(4)にこし打かけて待つほどに、雪はたゞ投ぐる様にふるに、風さへそひて格子(かうし)の際より吹入るゝ、寒さもさむし。たえがたければ、やをら障子ほそめに明(あけ)て、玄関の二畳計(ばかり)なる所に上りぬ。 こゝには新聞二(ふた)ひら但し 『朝日』『国会』(5)配達しきたりたるまゝにあり。朝鮮釜山(プサン)(6)よりの書状一通あり。唐紙一重(7)そなたがうしの居間なれば、明けだにせば存否は知るべきながら、例(いつも)の質(たち)とて中々に立入りもならず、ふすまの際(きは)に寄りて耳そばだつれば、まだ睡(ねむ)りておはすなるべし、いびきの声かすかに聞ゆる様也。いかにせんと計困(ばかりこう)じたる折しも、「小田よりなり(8)」とて、年若きみづしめ郵便をもて来たりぬ。こは、うしの此頃世にかくれて人にあり家(か)しらせ給はねば、親戚などの遠地にある人々より、書状はみな小田君へむけてさし出し給ふなるべし。この使ひも、これ持来たりたるまゝ、うしをば起しもせで、「よろしく」などいひて帰りぬ。一時をも打ぬ。心細くさへなりて、しわぶきなどしばしばする程に、目覚給ひけん、つとはね起る音して、ふすまはやがて開かれたり。寐間(ねま)きの姿のしどけなきを恥ち給ひてや、「こは失礼」と計(ばかり)いそがわしく広袖(ひろそで)の長ゑりかけたる(9)羽織き給へり。
(1)ぼたん雪よりやや小さめで、綿をちぎったような大きな雪片の雪を綿雪というが、ここでは「雪の日」を修辞している。
(2)本郷2丁目から小石川砲兵工廠(後楽園付近)前に出る坂。
(3)人力車の前の部分を覆う幌。
(4)上がり框。玄関などの上がり口に取り付けた横木や板。
(5)『東京朝日新聞』と『国会新聞』。
(6)朝鮮半島南東端の港湾都市。桃水は『魁新聞』(大阪)廃刊後、父が医院を開いていた釜山に渡り、21年東京朝日新聞社に入社するまで過ごした。
(7)唐紙を貼ったふすま障子。ふすまのこと。
(8)東京朝日新聞の桃水の同僚だった小田久太郎宅。
(9)着物の本えり(地えり)の上に共布のえりを掛けることで、汚れやいたみを防ぐようにした。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
四日。 早朝から空模様悪く、雪になりそうだと皆言う。十時頃から霙(みぞれ)まじりに雨が降り出す。晴れては降り、降っては晴れして昼にもなった。よし雪になるのならなれ、何を苦にすることがあろうと家を出る。真砂町のあたりまで来ると、綿をちぎったように大粒な雪や小粒な雪が小止みなく降ってくる。壱岐殿坂から車を雇って行く。前につける幌(ほろ)はわずらわしいので掛けさせなかったら、風と共にふきこむ雪がとても辛抱できすに傘で前を覆いながら行く。大変苦しい。九段坂を登る頃からはげしくなり、堀端通りなどは道も白く見える程になった。平河町のお宅へ着いたのは十二時を少し過ぎた頃でしょうか。門でお呼びしても答える人もいない。どうも変だ。何度声をかけても同じように返事がないのはお留守かもしれないと思って、しばらくあがり口の横板に腰をおろして待つことにする。雪はますます投げるように降り、風まで加わって格子戸の隙間から吹きこむ寒さは、寒いどころの話ではない。我慢できないので、そっと障子を細目に開けて玄関の二畳ほどの畳の間にあがりこんだ。ここには新聞が二種 (朝日新聞と国会新聞)配達されたままになっていた。朝鮮釜山 からの手紙が一通はいっている。襖(ふすま)一つ向こう側が先生のお部屋なので、開けさえすればいらっしゃるかどうか分かるのですが、私の性質ではとても入ることは出来ません。襖の傍に寄って、聞き耳を立てると、まだおやすみなのでしょう、いびきの声がかすかに聞こえるようです。どうしようかと困りはてているその時、年若い女中が、小田様のお宅からですといって郵便を持って来た。これは先生が世間に隠れて自分の住所を人にお知らせにならないので、親戚など遠くにいる人々からの手紙は皆小田様宛でお出しになるからでしょう。この使いの人も、それを持ってきたままで、先生を起こしもしな いで、「よろしく」 などと言って帰ってしまった。時計が一時を打った。心細くさえなったので、わざと咳ばらいなど何度もすると、お目覚めになったのか、ぱっと撥ね起きる音がして、やがて襖が開けられた。先生はご自分のだらしない寝巻姿を恥じられたのか、「これは失礼」 と言って、慌てて広袖で長襟をかけた羽織を上から着られたのでした。
コメント
コメントを投稿