樋口一葉「につ記一」⑦

今日は、明治25年1月20日から2月3日まで。一葉のまわりに風邪がはやっているようです。

廿日 快晴。母君、ぶん一条ヘに付(つき)、常総館(1)へ趣き給ふ。おのれは猶病床を出ず、今日も一日打ふしたり。母君帰宅。ぶん既に監視換(かんしがへ)(2)をなしたること、常総館主人(あるじ)かはるべきはなしあり。食事兎角(とかく)すゝまず。此夜も服薬して寐たり。浜田の妻子来る。九時頃帰宅。
廿二日 快晴。寒気甚し。明日は小石川稽古なるに、今日打ふし居らば、母君、又とめ給はんも計りがたくて、早朝よりおくる。午飯(ひるめし)など味はなけれど、常の通(とほり)に食したり。御歌会御製(ぎょせい)(3)ならびに予撰(よせん)の歌ども、今日の新聞紙上に出たり。することなしに打ふしたり。
廿三日 天気快晴也。おもむろに髪など結(ゆ)ひかへて、午前十時といふに家を出ぬ。師のもとには来会者すでに十人計(ばかり)ありし。伊東夏子ぬしも風邪にて参り給はず。小出君及び小笠原政徳君参会、歌話あり。吉田かとり子君、落車の災難あり。今日は来会者いと多かりし。日没終会。師君より鮭甘酒漬(さけのあまざけづけ)一箱給はりて帰宅す。田中君より新小説(4)かりる。帰来(かへるより)閲覧に一夜を更(ふか)す。
廿四日 天気快晴。朝来(あさより)手紙を二通したゝめ、午前丈(だけ)習字をなす。午後より小説閲覧。
廿五日 無事(ことなし)。
廿六日 無事。
廿七日 曇天。午前例(いつも)之通(とほり)習字。午前より小説稿(したがき)にかゝる。この夜なす事なしにふしたり。
廿八日 早起。曇天、あたゝけし。終日(ひねもす)、小説従事。
廿九日 曇天。
卅日 晴天。小石川稽古。歌合(うたあはせ)ありたり。帰宅日没。上君野母子(ぼし)(5)来たりし由(よし)也。
卅一日 しるす程のことなし。
二月一日 無事。
二日 無事。
三日 半井うしへはがき出す。「明日参らん」とて也。しばらくにして、うしよりもはがき来たる。「明日参らん」とて也。しばらくにして、うしよりもはがき来たる。「明日拝顔し度(た)し、来駕(らいが)給はるまじきや」との文体(ぶんてい)也。こは、おのれが出したるに先立(さきだち)て、さし出し給へるなるべし。「かく迄も心合ふことのあやしさよ」と一笑す。

(1)広瀬ぶんの宿泊先とみられる。
(2)監視を受ける者が、住所をかえるとき、取り扱う警察署が移管する。その許可申請など手続き一式をいう。ぶんは当時、浅草花川戸古道具屋を出そうとしていたとされる。
(3)明治25年1月18日に宮中で催された。御題は「日出山」で、御製は「山のはにかくれる雲もはれそめてのぼる朝日のかげのさやけさ」。
(4)明治22年1月から23年6月まで、須藤南翠、森田思軒、饗庭篁村、石橋忍月、依田学海、山田美妙らからなる文学同好会が編集・発行した『新小説』が、春陽堂書店から出されていた。この雑誌のことか、それとも新刊の小説の意か。
(5)上野兵蔵の妻つると子の清次。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


二十日。快晴。母上は広瀬ぶんの事で常総館へ行かれる。私はまだ床を離れことが出来ず今日は一日中寝ている。母上帰宅。ぶんの監視換えをした事。常総館の主人が替わる予定の事、などの話があった。私はどうしても食事が進まない。今夜も薬を飲んで寝る。浜田の妻と子が来て九時頃帰って行く。

二十二日。快晴。寒さが厳しい。明日は萩の舎の稽古だが、今日寝ていたら、母上は明日は行くのを止(と)められるだろうと思われるので、今朝は無理をして早く起きる。昼飯などは味はないがいつもの通りに食べた。宮中の御歌会始めの御製や予選の歌が今日の新聞に出ていた。夜は何もしないで寝る。

二十三日。天気は快晴。 ゆっくりと髪を結い、午前十時に家を出る。先生のお宅にはもう出席者は十人ほどあった。伊東夏子さんも風邪で欠席。小出粲先生と小笠原政徳先生が見えて、歌についてのお話があった。吉田かとり子さんが車から落ちて災難に遭われたとかいうことだ。今日は出席者が大変多かったので、会が終わったのは日が暮れてからでした。先生から鮭の甘酒漬けを一箱いただいて帰る。田中みの子さんから雑誌「新小説」 を借りる。帰ってから読むのに夜をふかした。

二十四日。天気は快晴。朝、手紙二通を書き、午前だけ習字をする。午後は小説を読む。

二十五日。変わったことなし。

二十六日。変わったことなし。

二十七日。曇。午前はいつものように習字、午後から小説の著述にかかる。夜は何もせすに寝る。

二十八日。早起き。曇っているが暖い。一日中小説を書く。

二十九日。 曇。

三十日。 萩の舎の稽古で歌合せがあった。家に帰ったのは日暮れでした。上野氏の奥様親子が見えたとのこと。

三十一日。特別に書くほどのことなし。

二月一日。 変わったことなし。

二日。 変わったことなし。

三日。 桃水先生へはがきを出す。明日お訪ねしようということです。しばらくすると先生からもはがきが来た。明日お会いしたいのでお越し願えないかとの文面でした。私が出したはがきよりも先にお出しになったのでしょう。こんなにまで心が通じ合うものかと、不思議に思われて嬉しくなるのでした。

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