樋口一葉「につ記一」⑥

きょうは、明治24年1月13日から。図書館へ行って、『太平記』や『大和物語』を借ります。

十三日 晴天。図書館へ行く。九時頃より家をば出づ。『太平記』『大和物語』(1)をかりる。但し『大和ものがたり』はみずして『太平記』のみ閲覧(えつらん)す。三時頃出館(しゆつくわん)、家にかへる。母君の為(ため)に按摩(あんま)を雇ふ。旧(もと)幕臣也とて(2)、述懐(じゆつくわい)のはなしあり。日没後、母君なほよろしからずとて、おのれ又按摩をなす。十二時床にいる。
十四日 晴天也。母君、 神田辺へ年始に趣き給ふ。午前のうちに綿入(わたいれ)ものをなす。 午後(びるすぎ)より作文にかゝる。日没後より歌をよむ。宿題五ツ、十首を詠ず。十二時床にいる。この夜、浜田何某(なにがし)夜にげの奇談(3)
十五日 早起。小豆(あづき)がゆの節(せち)(4)行ふ。午前髪あげをす。午後より作文。夕刻、吉田君年頭として参らる。夜食を出す。八時頃まで談話(ものがたる)。国子附木(5)店(つけぎだな)まで送りて行。十二時床にいる。


(1)
一葉の「たま簾」は、大和物語147段「生田川」から着想をえている、いわれる。
(2)もとは幕臣(旗本か御家人)だったとかで。明治維新で没落した士族のひとり。
(3)菊坂に住んでいた近所の家族の出来事で、夫婦げんかからか妻子が夫をおいて家出した騒動のようだ。「にごりえ」の素材ともいわれる。
(4)小豆を入れて煮た粥で、1月15日の朝、餅を入れて食べる。悪鬼を避け、疫病を払うという風習。
(5)付木。ヒノキ、松、杉などの薄い木片の先に、硫黄を塗りつけた火つけ木。火を他へ移すときに使う。

十六日 小石川稽古也。早起行(ゆく)。みの子君すでにあり。「例(いつも)のかるた(6)、君入(いり)給はではいとさうざうしきに、是非をいわず来給へかし」などかへすがえすいふ。師君も、「行べし」などの給はするに、「さらば」とて、宅へは状(ふみ)をさし出して、こゝよりともなはる。来会者十七人計(ばかり)無礼講(ぶれいこう)の一座、中々にわづらはしかりし。終りしは三時計(ばかり)成し。この夜小震(せうしん)あり。この日、堤(つつみ)よし子君入門。
十七日 九時頃までねむる。朝飯(あさげ)を終るやがて、車給はりて帰宅す。「母君大立腹也」といふ。ひたすらに先非(せんぴ)を後悔す。母君は小林(7)君よりかけて、三枝(さえぐさ)(8)へ年頭にとて趣き給ひし留守也けり。山下直一(なほかず)参る。 昼飯(ひるめし)を出す。二時ごろ帰宅。広瀬ぶんへはがきを出す。三時頃母君帰宅。山下直一より借りたる『早稲田文学』通読。よべ夜更しをなしたるに風をや引けん、せき出てたえがたければ、わびていと早くふしどに入たり。三時頃大震(たいしん)。
十八日 天気晴朗。吉田君にはがきを出す。みの子君親戚(みより)の縁談一条につきて也。母君、望月へ趣きたまふ。広瀬ぶん参る。ひる飯(めし)を出す。種々談話(さまざまものがたる)。三時頃帰宅。この夜も早く打ふしたり。
十九日 天気快晴。母君、下谷辺(したやへん)年頭にとて午前より出かけ給ふ。風邪ことに甚だしければ打ふす。服薬などす。此夜ねつ甚だし。


(6)
歌がるた。小倉百人一首などの和歌を利用し、読み札には1首の全句、取り札には下の句だけが記してあり、読み札に一致する取り札を取り合う。小学館全集の脚注には、次のようにある。夏子は近視のため「歌がるたなどを取る時には、かるたに嚙みつくやうに眼を近づけてをりますから、樋口さんの頭が邪魔になって、私どもは取りにくうございました」(田辺夏子談「わが友樋口一葉のこと」)という。
(7)小林好愛(よしなる)とみられる。一葉の父則義の元上司。
(8)三枝信三郎とみられる。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。







《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


十三日。晴。図書館へ行く。九時頃から家を出る。太平記、大和物語を借りる。しかし大和物語は見ないで太平記ばかり読む。三時頃図書館を出て家に帰る。母上のために按摩を雇う。その按摩は旧幕臣だったとかで昔の思い出話をした。日が暮れてから母上はなお気分がよくないというので私がまた按摩をする。十二時に床に入る。

十四日。晴。母上は神田あたりに年始の挨拶に行かれる。午前のうちに綿入れの着物を縫う。午後から書き物にかかる。日が暮れてからは歌を詠む。宿題が五題あり、十首詠む。十二時床に入る。今夜、浜田某が夜逃げしたとの話を聞く。

十五日。小豆粥を炊いて今日の節句を祝う。午前に髪を結い、午後は作文。夕方吉田さんが年始の挨拶に見える。夜食を出す。八時頃まで話がはずむ。邦子が附木屋のところまで送って行く。十二時に床に入る。

十六日。萩の舎の稽古日。早起きして出かける。田中みの子さんが既に見えていた。
「前に話した今夜のかるた会のことですが、あなたが入らないととても寂しくなるので、あれこれ言わずに是非いらっしゃい」
と繰り返し繰り返しおっしゃる。先生も、行きなさいなどと言われるので、それではと言って、家の方へは手紙を出しておいて、ここから皆さんとご一緒する。来会者は十七人ばかりでした。会は無礼講でしたが、かえって私には気苦労でした。会が終わったのは夜中の三時頃でした。夜、小さな地震があった。今日、堤よし子さん入門。

十七日。九時頃まで眠る。朝食が終わってすぐ車をいただいて帰宅する。母上は私のことに大立腹しておられるという。私のあやまちをひたすら後悔する。母上は小林氏とついでに三枝氏の所へ年賀に出かけられて留守でした。山下直一氏が見える。お昼を出す。二時頃帰られる。広瀬ぶんへはがきを出す。三時頃母上帰宅される。山下直一氏から借りた早稲田文学を読む。昨夜の夜ふかしで風邪を引いたのか咳が出て苦しいので、お詫びして早く床に入る。夜中の三時頃大地震。

十八日。天気は晴朗。吉田かとり子さんにはがきを出す。田中みの子さんの親戚の縁談のことについて書く。母上は望月とくの所へ行かれる。広瀬ぶんが来る。お昼を出す。色々の話があって三時頃帰られる。今夜も早く寝る。

十九日。天気は快晴。母上は下谷あたりへ年始の挨拶に午前から出かけられる。私は風邪が特にひどくなったので床につく。薬を飲んだりする。夜は熱がひどい。

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