樋口一葉「につ記一」⑤
きょうは、明治25年1月9日から。萩の舎の初稽古があり、早起きして出かけます。
九日 早起。小石川初稽古なれば、いそぎ出づ。「さるにても西村の伯母君はいかにぞ、帰国やし給ひけん。道筋なれはと訪奉(とひまつ)らばや」とて寄る。「今日はたゝんか、いかにせんか」など様にものがたらる。少時(しばし)にて師君のもとに行。「『昨日対面をこわざりし』とて師君大立腹也」と下女報す。先(まづ)、長(1)君来り給へり。師君に昨日の理由(わけ)をのべて詫をなす。来会者十名計(ばかり)なりし。諸君帰宅は四時少し前成けん。 夫(それ)より暫時(しばらく)二階にて、おのれが事に付て談話(ものがたる)。半井君一条をもものがたる(2)。夫につきての心得、かに角(かく)とをしへ給ふ。「小説みばや、われにも又考案あり(3)」など心切(しんせつ)にの給ふ。日没、暇(いとま)ごひして出ぬ。この夜より、おのれが平常(ふだん)ぎの綿衣(わたぎぬ)仕立にかゝる。 一時床にいる。
(1)萩の舎門人の長齢子。勤皇の志士で、漢学者、書家の長三洲の娘。
(2)小学館全集には「この記事あたりから歌子と桃水の間で義理関係にはさまれた夏子の葛藤が表される」とある。
(3)桃水の関係が進んで、一葉(夏子)が萩の舎から遠のいてしまうのではないかと、歌子は気にかかっていたようだ。
十日 晴天なれば、「今日は安達(あだち)(4)に年頭として行かばや」と、国子と共に支度をなす。「父君墓所にも年始に参らざらんなん心ぐるしきに、今日こそは」とて、まづ安達がり先に行(ゆき)、少時(しばし)にて築地に参り、墓参(5)。 夫(それ)より直(ただち)に帰宅。姉君のもとに年賀いひに行、帰宅。小宮山、おぶんの両人(ふたり)(6)参る。日没前迄居(ゐ)たり。この夜は、なすこといと多くて、ふしどにいりしは一時なりけん。
十一日 晴天、寒し。母君、四ッ谷上野君に参らる。半井君よりはがきつく。旅行にも何にもあらず、「以前(もと)の隠家(かくれが)にあり」といふ。「おもひしことよ」と打笑ふ。「さるにても文(ふみ)出さゞりしこそ心安かれ。よくも書そこねなしたること哉」と、我ながら嬉し。午後母君帰宅。その前に久保木及び田中君来訪ありたり。今日もひねもす何ごとなしに一日を終へぬ。床にいりしは十二時成けん。
十二日 早起。雪ちらちらと降いでぬ。みるまに一寸計(ばかり)も積りたるは、「極めて大雪になるべきなめり」などいひ合ふ程に、十時計の頃には名残なく晴わたりて、日のかげさへにもれ出ぬ。午後(ひるすぎ)よりは雪たゞ消(きえ)にきえて、雨だりのおと軒(のき)ばに繁(しげ)し。暮てよりは又雨に成ぬ。此夜より又、小説著作にかゝる(7)。ことの外になまけたり。
(4)安達盛貞。父の則義が、兄弟のように親しくしていた。
(5)樋口家の墓地は当時、築地の本願寺にあった。
(6)小宮山庄司と広瀬ぶん。二人は内縁関係にあり、上京して古道具屋を開いていた。
(7)片恋をテーマにした小説を当時構想していたようで、やがて「闇桜」が生まれる。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
九日。早起き。萩の舎の初稽古なので急いで出かける。それにしても西村の伯母様はどうなさったかしら、郷里へお発ちになったかしら、お宅は萩の舎への道筋なのでお訪ねしようと思って立寄ってみる。
「今日あたり は発とうかどうしようかと思っているのです」
などと話される。しばらくお邪魔してから歌子先生の所へ行く。女中が、
「昨日、お目にかかりたいとあなたがおっしゃらなかったので、先生は大変ご立腹ですよ」 と教えてくれる。私より前に長齢子さんが見えていた。先生には昨日お目にかからなかった訳を話してお詫びをする。今日の出席者は十名ばかり。皆さんが帰られたのは四時少し前のようでした。それから私は二階でしばらく個人的な事でお話をする。半井先生のことも話す。そのことについて交際上の心得などあれこれ教えて下さる。小説の添削指導についても考えがあるなどと親切におっしゃって下さる。日が暮れてからお暇をして帰る。今夜から自分の普段着の木綿の着物の仕立てにかかる。 一時床に入る。
十日。よい天気なので今日は安達盛貞氏の所へ年賀に行こうと邦子と一緒に支度をする。父上のお墓へも年始のお詣りをしていないのがむ苦しいので、今日こそはお詣りしようと、まず安達氏の所へ先に行き、しばらくお邪魔してその後築地の本願寺へ行きお詣りする。すぐに一度帰宅して姉の所に年賀に行き、帰ると、小宮山庄司と広瀬ぶんの二人が一緒に来る。日暮れ前までいる。今夜はすることが多くて床に入ったのは一時でしたか。
十一日。晴。そして寒い。母上は四谷の上野氏の所へ行かれる。半井先生からはがきが来る。旅行でも何でもなく前からの隠れ家にいるとある。私の思って通りだと嬉しくなる。それにしても八日の夜の手紙は出さないでよかったとほっとする。よくもまあ書き損じたことよと、今になって我ながら嬉しい気がする。午後母上帰宅。その前に久保木氏および田中みの子さんが来訪。今日は一日中特別のこともなく終わった。床に入ったのは十二時でしたか。
十二日。早起き。雪がちらちら降り出した。見る見るうちに一寸ばかり積もったので、きっと大雪になるだろうと話しあっていると、十時ごろにはすっかり晴れて陽の光さえ射して来た。午後になると雪はどんどん消えて行って、雪解け水の雨だれ音が軒端にしきりに聞こえる。日が暮れてからはまた雨になった。今夜からまた小説の著述にかかる。すっかり怠けてしまったことよ。
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