樋口一葉「につ記一」②
「につ記一」のつづき。きょうは、明治25年1月2日から7日まで。年賀や年頭状(年賀状)など、樋口家のお正月の様子がつづられていきます。
二日 曇天。早朝より年始始着(ねんしぎ)の「三ッ揃(ぞろ)(1)へ仕立にかゝる。訪人(とふひと)まれなる宿(やど)のならひ、「あら玉のとし」ともいわず、いといとものゝ静かなる、もとめねど閑(ひま)成けり。午後(びるすぎ)より小宮山来る。おぶんの物がたり四時頃までする。今日年頭にこし人は、 土田恒之助(こうのすけ)(2)、 ならびにもと師の君がり仕へたる玉とよぶ女(3)、今二人三人成けり。今宵も裁縫に夜をふかしたり。
三日 曇天。よべは雨少し降ためれど、今日の空は夫(それ)ほどにもあらず。午前(ひるまへ)綾部喜亮(きすけ)(4)参る。午後、上野伯父(をぢ)君、ならびに三枝新(5)君まいらる。三枝君、 母君と伯父君に年頭として金子を送らる。種々はなしあり。 一あし伯父君先にかへる。日没すこし前、新(しん)君帰宅。 この夜もよべにおなじく、ふけては雨に成りけり。
(1)長着(紋服)に、同じような仕立てをした下着を2枚重ねる三枚襲。
(2)この借家の差配人とみられる。
(3)一葉が図書館に行くときに途中で出会った今野はると姉妹関係らしい。
(4)綾部喜助。一葉の姉ふじの夫久保木長十郎の姉である綾部はまの夫で、旅館を経営していた。
(5)三枝信三郎。父則義の恩人で蛮書調所勤番筆頭だった真下専之丞の孫。銀行家だったようだ。
四日 曇天。年頭者は藤田君、 菊池(6)君のみ。野尻(7)君、 渋谷(8)君より年頭状着。野尻君にはすでに差出したればよし。渋谷ぬしは、こぞ赴任以来住家(すまひ)知れ難く、さりとて人にとはんも少し間(ま)のわるきに、思ひながら不沙汰なしたるに、先よりはこと更に年賀いわれたる、「答礼せずは」とて直(ただち)に返事を出す。午後、甲州後屋敷(ごやしき)村より(9)奇異なる年頭状つきたり。今日までに諸々(しよしよ)よりこし年頭状、熊ヶ谷より山下(10)君、甲府より伊庭(いば)(11)君、岐阜よりまき子君、音羽の前島君など成り。此方(こなた)よりさし出したるも十五通計(ばかり)はあるよし。「今よりも猶(なほ)四、五軒はくるべし」などみなみないふ。今日もひねもす裁縫。猶夜更るまでもなしたり。
(6)父則義が仕えていた菊池隆吉は明治22年に亡くなっている。その長男の菊池隆直、あるいは遺族の誰かと見られている。
(7)野尻理作。明治20年に一葉の父則義が保証人となって山梨から上京し、東京帝国大学文科大学和文科に入学。23年に中退して帰郷し、後に『甲陽新報』の主幹を務めた。
(8)一葉の婚約者とも目された渋谷三郎。当時は、新潟で検事をしていた。
(9)芹沢卯助。一葉の母たきの弟で、芹沢五左衛門の養子となっていた。
(10)山下信忠。樋口家の書生だった山下直一の父。
(11)樋口家と親しくしていた伊庭隆次。明治23年から甲府郵便電信局に勤めていた。
五日 曇天成しが、十時頃より晴になる。佐藤梅吉参る。一酌にて帰宅。午後より田部井参る。おなじくこの夜も裁縫にふかして、一番鳥の声聞てふしどに入たり。
六日 曇天。折々に雨さへふる。風いと寒かり。寒のいる日なりときけば、ことわり也。三ッぞろへの綿入物(わたいれもの)(12)をする。この夜もおなじく三時まで裁縫。
七日 曇天、寒し。「明日はかならず降りなるべし」など国子などのいふは、おのれが年頭にまわらむと定めたる日なれば、いやがらせんとていふ也。今日は目に立たる来客もあらざりし。稲葉君親子(13)、おく田の老人の二組のみ。日没迄に裁縫は仕終へたり。国子と共に入湯(にふたう)す。半井(なからゐ)君に奉らむとし玉(だま)ものかひにとて本郷三丁めまで行(ゆく)。空いとよく晴て風少し吹初(ふきそめ)ぬ。山崎(14)君、横山君、雨宮(15)君より年頭状つく。この夜綾部喜亮(きすけ)、久保木一条に付(つき)ものがたりにくる。おのれらは、あすの仕度(したく)かれこれして、夜をふかしたり。
(12)綿入れの長着に白羽二重の下着などを用いて付け比翼にし、袖口と裾に綿を入れる。
(13)一葉の母たきが乳母奉公に行っていた旗本稲葉正方の養女、稲葉鉱とその子の正朔。
(14)山崎正助。一葉の父則義が東京府庁時にいたときの同僚。
(15)雨宮源吉。一葉の母たきの弟の子。たきの実家は古屋といい、そこから山梨県玉宮村の雨宮家の養子となっていた。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
二日。曇。朝早くから年始着の三ッ揃えの仕立てにかかる。来客の少ない我が家のこととて、正月とはいっても大変静かで、願わなくても閑静なものです。午後から小宮山が来てお文の話を四時頃までする。今日年始に来た人は土田恒之助、歌子先生の家のもとの女中の玉という人、その他二、三人でした。今夜も裁縫に夜を更かした。
三日。曇。昨夜は雨が少し降ったが、今日の空模様は降るとも見えない。午前に綾部喜亮(すけ)氏が見え、午後上野の伯父と三枝信三郎氏が見える。 三枝氏は母上と上野の伯父にお年玉としてお金を贈られる。色々の話があり、上野の伯父が一足さきに帰られ、日暮れ少し前に三枝氏は帰られた。今夜も昨夜と同じく更けてから雨になった。
四日。曇。年賀に見えた人は藤田氏、菊池氏だけ。野尻理作氏、渋谷三郎氏から年賀状が来る。野尻氏にはこちらからも出してあるのでよい。渋谷氏は去年赴任されて以来住所がわからず、人に尋ねるのも少しばつが悪いので、心にかけながらご無沙汰をしていたのですが、先方から年賀状をいただいたので、お礼状を出さずにはと思って、すぐにお返事を出す。 午後、山梨の後屋敷村の芦沢氏から奇妙な年賀状が来る。今日までにあちこちからいただいた年賀状は、熊谷から山下氏、甲府から伊庭氏、岐阜から江崎牧子さん、音羽の前島菊子さんなど。こちらから出したのも十五通ばかりはあったようだ。あと四、五軒からは来るはずだなどと皆で話す。今日も昼間はずっと裁縫、さらに夜のふけるまでする。
五日。曇っていたが十時頃から晴れる。佐藤梅吉氏が見える。お酒を少し飲んで帰られる。午後、田部井が来る。昨夜同様、今夜も裁縫で夜ふかしをして一番鶏の声を聞いてから床に入る。
六日。曇。時々は雨まで降る。風も大変寒い。今日は寒の入りだと聞いて、なるほど尤もだと思う。三ッ揃えの綿入れを縫う。今夜もおなじく三時まで裁縫。
七日。曇り空で寒い。明日はきっと雨か雪が降るだろうと邦子が言うのは、私が年始挨拶に廻ろうときめた日なので、いやがらせにいうのでしょう。今日は目立った来客もなかった。稲葉鉱さんと正朔さんの親子、それに奥田老人の二組だけ。日暮れまでに数日来の裁縫は仕終えてしまう。邦子と一緒に風呂に入る。桃水先生にさしあけるお年玉の品を買いに本郷三丁目まで行く。空はすっかりよく晴れて、風が少し吹き出した。山崎正助氏、横山氏、雨宮源吉氏から年賀状来る。夜、綾部喜亮氏が久保木の家のことで話に来る。私は明日の年始廻りの準備をあれこれとして夜をふかしてしまった。
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