樋口一葉「よもぎふ日記二」③
せんとて書状を出したるよし(1)。其外には「いといひにくき事なり」などおびたゞしく前おきし給ひて、なにごとぞや、約束の妻君(さいくん)ことはりにしたりし家政改革の物がたり等(など)あり(2)。おのれは直(ただち)に暇乞(いとまごひ)してかへる。平河町より車。一時帰宅す。夫(それ)より母君神田の市(3)に趣き給ふ。夜食の奇談あり。其夜西村小三郎(4)、暇乞にとて常子(つねこ)と共に来る。十二時半床にいる。
(1)桃水の19日付書簡には「今明日の中もしお間(ひま)くり叶(破損)成下度夜分にてもよろしく」と訪問をうながしている。一葉は19日夜には訪れず、翌日以降に赴いたらしい。
(2)小学館全集の脚注には「婚約の女性。あるいは某氏の妻に家政上の事を頼もうとしたのかもしれない。幸を戸田家に嫁がせ、すでに手伝いにも暇を出していた桃水は、浩の問題で乱れた家庭を刷新するため、しばらくひとりで家政を切り回すことにしたと話した。夏子(一葉)は、謎めいた桃水の態度に、求婚を感じとった」とある。
(3)神田明神の歳の市か。
(4)樋口家と 親戚同然のつき合いをしていた西村釧之助の弟。
廿二日 曇天。あたゝけし。午後(ひるすぎ)より晴(は)る。無事(ことなし)。
廿三日 晴天。国会議事録一覧。海軍大臣の演説(5)に依りて、議会の紛擾(ふんぜう)事件あり。要するに本年の議会は、政府の決心、民党の決心、共に昨年の比にあらず。議会解散せられんか、内閣総辞職に至らんか(6)の傾き折々にみゆれど、如何(いかが)ならんか。午前(ひるまへ)吉田君老母及実君来る。「裁縫を依頼したし」といふ。ことはりかねて国子諾(だく)す。老母と共に母君、元町迄(まで)仕事之(の)品取に参り給ふ。国子もおのれも髪をあらふ。正午(ひる)頃母君帰宅。夕暮方(がた)中島おくら君来る。少時(しばらく)にて帰宅。 夫(それ)より三丁目へかひ物に行(ゆく)。「三枝(さえぐさ)にてち女子出産ありたる」よし、宮塚(7)より通知に付(つき)、其悦(よろこ)びものもとめになり。帰宅やがて、岩佐君(8)来る。十時頃まで談話(ものがたり)してかへる。十二時床にいる。
廿四日 暁(あかつき)頃、強震あり。戸外(こぐわい)に出んとす。少時(しばらく)にてやむ。晴天。午後より母君、三枝へ参る。日没前帰宅。外に無事(ことなし)。
廿五日 晴天。寒気ことに甚だし。午前に髪あげをなし、母君、安達(あだち)へ歳末に趣き給ふ。佐藤梅吉歳暮に来る。鮭の魚一尾到来。今日は、半井うし、約束の金持参し給ふべき約なれば(9)、其事となく心づかひす。庭前(にはさき)の梅一輪(以下散佚)。
(5)1891年12月22日、第2回帝国議会で行われた衆議院の予算審議における海相樺山資紀 (すけのり) の演説。薩摩藩出身の樺山は、民党の軍艦建造費削減要求に対して「薩長政府トカ何政府トカ言ッテモ、今日国ノ此安寧ヲ保チ、四千万ノ生霊ニ関係セズ、安全ヲ保ッタト云フコトハ、誰ノ功デアル」などと薩長藩閥政府擁護の演説を行い、議場は混乱した。「蛮勇演説」とも呼ばれている。
(7)父則義の時代からの縁戚の家で、三枝家とも関係があったようだ。
(8)蝉表内職の元締めだった人物とも見られている。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
(十二月二十一日)・・・・・・しようとして手紙を出されたとのこと。 (桃水先生は)その他には、大変言いにくいことだが、などとひどく長い前置きの言葉があって、どういう訳か約束の妻を断ったこと、また家政改革のことなど話された。私はすぐにおいとまして帰る。平河町から車をひろって、一時に帰宅する。それから母上は神田の歳の市に行かれる。夕食の折に面白い話があった 。夜、西村小三郎氏が妹の常子さんと一緒にお別れの挨拶に見える。十二時半に床に入る。
二十二日。曇。暖か い日。午後より晴れる。
二十三日。晴。新聞の国会議事録を見る。昨日海軍大臣の演説によって国会が混乱したとある。要するに本年の議会は政府の決心も野党の決心も、共に昨年以上に固いようだ。議会が解散するのか、内閣が総辞職するのか、どうなるのであろうか。午前、邦子の友人の吉田家の老母と実子さんが見える。裁縫を頼みたいと言う。邦子は断りかねて承知する。老母と一緒に母上は元町までその仕事の品を取りに行かれる。邦子も私も髪を洗う。正午頃母上は帰宅。夕方、歌子先生の妹の中島おくらさんが見える。しばらく話して帰られる。それから本郷三丁目まで買物に行く。 三枝の所で女の子が生まれたと、宮塚くにからの知らせで、そのお祝いの品を買いに行ったのでした。帰宅するとすぐに岩佐が来る。十時頃まで話して帰る。十二時床に入る。
二十四日。明け方に強い地震があった。外に出ようかと考えていると、しばらくして止む。晴。午後から母上は三枝のところへ行かれる。日暮れ前に帰宅される。他には何事もない。
二十五日。晴。寒さがことに厳しい。午前、母上は髪を結って安達盛貞氏のところへお歳暮を届けに行かれる。佐藤梅吉氏がお歳暮に来る。鮭一尾いただく。今日は半井先生がお約束のお金を持って来て下さる日なので、あれこれと心遣いをする。庭の梅が一輪・・・・・・
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