樋口一葉「よもぎふ日記二」②
きょうは、明治24年11月24日の途中からです。
君まづの給ふ。「いかなる趣向かつきたまひし。承らまほしう」といふ。心に決しては来たりしものから、何となくはなじろみて、爪くはるゝ心地しけるぞわろき。「いとなめげなることなるに、『あからさまには』とも一度は思ひはべりしながら、文(ふみ)にはことに意を尽しかねて、みづから参り侍り」とてかたりいづ。「骨子は片恋(かたこひ)(1)といふことにて侍り」とて、其筋だてなどかたる。「そは、いとよかるべうこそ。其くだりはかくかくせばよからん。こゝはかくせば」などの給ふ。あやしうもの語りのロとけて、「いでや、この恋計(ばかり)あやしきものはなし。貴(たか)きも賤(いや)しきも賢(けん)なるも愚(ぐ)なるも、其わいだめなき物也けり。されども、今のよには其道をもて人をたぶらかし、世をくらますなんいと多き。城をかたむくる(2)は女のみにてはあらざりけり」などの給ふ。
奸譎(かんけつ)(3)なる美少年の貞淑(ていしゆく)なる良婦をたぶらかす談(はなし)、利根(りこん)の紳士が良家(りようけ)の処女(きむすめ)が操(みさを)をもて遊ぶ談(はなし)などあり。さていはく、「かゝる類(たぐ)ひはみな其人を愛すにはさふらはず(4)、害すにて候也。誠の愛といわんからには、其女が一生の大計を思ひはかりて、安全なる良人(をつと)を求め得させんことをこそ思ふべけれ。さて、其人を撰(え)らばんに、『世人が愛は猶(なほ)我が思ふ意に満たず、世人が敬(けい)は猶我が敬に過ぎず。世広しといへども、人多しといへども、かの女(をんな)を 敬愛することは我に過るの物はあらじ。さらば、かれが安全の極(きはま)り、幸福の生涯をすぐさんこと、我ならで誰かは』など思ひ致りたるこそ誠の愛なれ」などの給ふ。かくて十二時にも成ぬ。
ひる飯(めし)、本宅よりもて来たりぬ。辞しかねて、こゝにてたべぬ。「君は、など、さは打とけ給はぬ。おのれはかゝる粗野なるおの子なれど、恐れ給ふにはたらじを」などいふに、「などかはさること侍るべき。こはおのれが性(しやう)ねにこそ侍れ。年久しく相馴(あひなれ)たる友はみなしることにて、かくかたくなゝるが本色(ほんしよく)にさふらふ」といへば、君も少し打笑ひて、「さることにや。されば猶ぞかし。おのれもみる所こそかゝれ、心は君がの給ふごとなるものに侍るを。哀(あはれ)、友とし給ひて、隔てなくものし給へよ」といふ。「そは今はじまりたることかは。おのれはたゞ、師の君とも兄君とも思ふ(5)なるを」といふに、君また少しものいはず成ぬ。少しありて、「哀、我身こそ幸(さち)なきものなれ(6)」(以下散佚)
(3)よこしまで、いつわりの多い心。
(4)「たま襷」(中の二)の松野雪三の言葉「「かゝる心を持たんは、愛するならずして害するなり、・・・・・・」に用いられている。
(5)桃水の幼名は泉太郎で、一葉の亡き兄泉太郎と同じだった。
(6)このあとは散逸している。明治16年に朝鮮釜山で結婚し、翌年死別した最初の妻成瀬もと子を追憶する部分だが、破り棄てたのか散逸したのかは分かっていない。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
先生がまず口を開いておっしゃる。
「どんな構想が出来ましたか。お聞きしたいものです」
私は心の中には決めてはきたものの、何となく気おくれがして、恥ずかしくて爪を噛むような思いでしたのは情けないことでした。
「お訪ねしてお逢いすることは大変失礼なことですから、ほんの一寸だけでもと一度は思ったのですが、お手紙では充分に意を尽くして書くことも出来ませんので、こうして直接お訪ねした次第です」
と言って話し出しました。
「小説の主題は片想いの恋ということです」
と言って全体の構想などをお話する。先生は
「それは大変結構でしょう」
と言って、そこはこうしたらよかろう、ここはこうしたらなどとおっしゃる。そのうちに不思議に気楽に話がはずんで、先生は、
「さて、恋愛ほど不思議なものはありませんね。身分の高い人も賤しい人も、また賢い人も愚かな人も、全く区別のないものです。しかし現代にはこの色恋で人をだまし、世間をごまかす者も多いようです。城を傾け国を亡ぼすというのは決して女だけではなかったのですよ」
と言って、悪賢い美少年が操の固い良い女性をだました話、また利巧な紳士が良家の処女の操をもてあそんだ話などをなさる。また、さらに続けて、
「このような類は、みなその人を愛しているのではありません。むしろ害しているものです。誠の愛というからには、相手の女性の一生の計画を考えて、安全な夫を求めることが出来るようにしてやることを考えるべきです。さて、どうしてその人を選ぶかというと、世間の人のいう愛は、まだ私が考えている愛の意味には及びません。世間の人のいう敬も、私のいう意味の敬には及びません。世間がどんなに広くても、また世間に人がどんなに多くても、女の人を敬し愛することは、私が考えている敬と愛に過ぎるものはないでしょう。だから、その女性の安全を極めてやり幸福な生涯を過ごさせるのは、私以外の他の人には出来ないのだと思い到ることが、これが誠の愛というものですよ」などと話される。こうしているうちに十二時にもなった。昼飯が本宅から届けられる。お断り出来ずにここでいただく。
「あなたはどうしてそんなに打ちとけて下さらないのですか。私はこんな粗野な男ですが、 こわがりなさることは何もないのですよ 」
などとおっしゃる。
「どうしてこわがったりいたしましょうか。これは私の生まれつきなのです。長年つき合っている友達はみな知っていることで、こんなに固くなるのが私の本性なのです」
と言うと、 先生も少しお笑いになって、
「そうでしたか。それではなおさら楽になさって下さい。私も見た目には普通の人と違って粗野ですが、心はあなたがおっしゃるように裏も表もないものですよ。どうぞ私を友達と思って、何の気兼ねもなさらないで下さい」
とおっしゃる。
「私はただあなた様を先生とも思い、またお兄さまとも思っているのですよ。これは今に始まったことではありませんのに」
と言うと、先生はだまってしまわれた。しばらくして、「あゝ、本当に私は不幸な者です。 ・・・・・・
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