樋口一葉「よもぎふ日記二」①

「蓬生日記一」から10日ほど空けて、明治24年11月22日から「よもぎふ日記二」として日記がつづられます。きょうはその11月22日から24日の中ほどまでです。

十一月廿二日(1) 書(ふみ)を半井君(なからゐぎみ)によす。明日在宅の有無をとふ成けり。此夜したゝめものいと多くて、三時過る頃まで執筆す。
廿三日 半井君より書状来る。「幸閑(さいはひひま)に付(つき)来訪され度し」となり。「午後(ひるすぎ)より行かまし」の心にて其かまへなしつるに、正午(ひる)より空俄(にはか)に に暗く成て、大雨只(たいうただ)盆を覆す様也。母君も、「心地なやまし」とて打ふしなどし給ひしに、「路もいと難儀なめり。彼方(あちら)にてもかゝる折に人の来訪するはいたく迷惑のものなれば、今日はやめにせずや」などの給ふ。例(いつも)の怠惰心(なまけごころ)に制せられて、行(ゆか)ず成ぬ。雨、 日暮て後も降にふる。今宵も三時に床へは入ぬ。
(1)「蓬生日記一」は、明治24年11月10日で終っている。その後10日余り間をあけて、平仮名の題で「よもぎふ日記二」とある。「二」は「一」に続くことを示している。表書きには「廿四年霜月より」、署名は「樋口」となっている。

廿四日 起出てみるに空高く澄(すみ)のぼりて、朝日のかげ花々とさし昇りて、 ぬれたる梢(こずゑ)軒ばなどに照り渡れる、いと嬉(うれ)し。昨日違約(ゐやく)しまつれるに、今日だに時おくれさせじとて、母君しきりに 、「朝飯(あさげ)おはらば訪(とひ)参らすべし」との給ふ。九時卅分家を出ぬ。 かしこへ行しは十一時成けん。本宅の方とひ参らせしに、 「例(いつも)の隠れ家に」といふ。「まだ目覚(めざめ)給はじ。起し参らせん」といふに、「いな、さてはちと早過(はやすぎ)にたることよ。今しばしこゝに置給へ。例覚(いつもさめ)給はんころにこそ」といへど、「いないな」といひて下婢(はした)(2)は出で去りぬ。 しばしして立帰りて、「早(はや)、とくに覚(さめ)給へり。 かなたへ」といふ。「なるべくんば此方(こなた)にて」といはまほしけれど、いひかねてしたがふ。君は木綿のふるびたる綿入(わたいれ)の上にどてら(3)といふものはふりて、白か鼠(ねずみ)かしごき帯(4)し給へる打とけ姿にさしむかふなん、おのづから汗あゆるこゝちす。下婢(はした)も帰り行ぬ。例(いつも)の人なき小室(こべや)の内に、長火桶(ながひをけ)一ッ間(あひだ)に置(おき)てものがたりすることよ。我が学びの友達、あるは親戚(しんせき)の人々などに聞かせ奉らんに、何とかはそしられん。あやしかるべき身にも有哉(あるかな)。まして、かたみに語り合ふことなどいとまばゆしかし。新作せんとおもふ小説の趣向筋立(すぢだて)などかたりて、おしへを乞はんとてのすさび成けり。

(2)はしため。召使、下女。
(3)褞袍。長着よりも大きめに仕立てた厚綿入れ。広袖、襟に黒繻子、綿ビロードの掛襟をする。労働用の短いじゅばん、ててらが転化した。
(4)女性が、身長に合わせて着物をはしょり上げるのに用いる帯。一幅 (ひとはば) の布を適当な長さに切り、そのまましごいて使う。薩摩藩士が筒袖股引の軍装に白木綿のしごき帯を締めて帯刀したため、兵児帯と呼ばれた。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》
『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


十一月二十二 日。半井先生にお手紙をあげる。明日のご在宅の有無をお尋ねしたのです。今夜は書きものが大変多く、三時過ぎまで書く。
二十三日。半井先生からお手紙が来る。幸い暇なのでおいで下さいとの事。午後からお訪ねしようと思って心用意していると、正午から空が急に暗くなって盆をくつがえすほどの大雨になった。母上も気分が悪いといって寝ておられたが、
「途中の道も困難だし、また先方でも、こんな時に人が来るのは大変迷惑なので、今日はやめにしては」などとおっしゃる。いつもの怠け心に負けてとうとう行かないで終わった。雨は日が暮れてからもどんどん降る。今夜も三時に床に入る。

二十四日。起きてみると空は高く澄んで、朝日が華やかに昇り、雨に濡れた梢や軒端などに照り輝いていて、大変嬉しい。昨日は約束を破ったのだから、今日は時間も遅れさせまいと、母上は、
「朝食がすんだらすぐお訪ねなさい」と、何度も何度もおっしゃる。九時三十分に家を出て、先方へ着いたのは十一時頃でしたでしょう。本宅の方をお訪ねすると、女中が出て来て、
「例の隠れ家の方です。まだお起きでないでしょう。起こして参りましょう」 と言う。
「いえ、いけません。私が少し早過ぎたようです。もうしばらくここで待たせて下さい。いつものお目覚めの頃に」と言っても、
「いいえ、かまいませんよ」
と言って女中は出ていった。しばらくして戻って来て、
「とっくにお目覚めですから、あちらへ」
と言う。 なるべくならこちらでと言いたかったが、言いかねて後について行く。

桃水先生は木綿の古くなった綿入れの上に、どてらというものを着て、白か鼠色のしごき帯というくつろいだ姿でした。二人だけでさし向かいで坐るのは恥ずかしくて冷や汗が流れる思いでした。女中も帰ってしまった。いつものように、他に人のいない小部屋の中で、長火鉢一つだけを間に置いてお話をするのです。私のお友達や親戚の人たちにこのことを話したら、どんなにか非難されるでしょう。私はなんと悪い女でしょう。まして互いに語り合うなどとは恥ずかしい限りです。然しこれも、新しく書こうと思っている小説の構想などをお話して教えを受けるためのことです。

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