樋口一葉「蓬生日記一」⑳

 きょうは、明治24年11月1日から。鳥尾家における難陳歌会の様子などが記されています。

十一月一日 朝来快晴。殊(こと)に時侯暖和(おだやか)にて、実(げ)に小春の日和(ひより)成り。 十時頃迄、判にかかる。夫(それ)より髪あげ、化粧などして、十二時半より家をば出ぬ。師の君がりとひ参らせしに、「今行(ゆか)ん、しばし待てよ」とて支度し給ふ。夫(それ)より諸共に参る。「帰るさは、我家(わがや)より車やらんに、そは返せよ」とて、我車は鳥尾君(1)より帰す。室内の模様も庭園の景も別に記(しる)すべし。師の君ぬき歌、「初冬紅葉(しよとうのもみぢ)」は鳥尾君、「隠家(かくれが)」にてはおのれ、「恋」も鳥尾君成けり。おのれは柿五ッ給はる。鳥尾君を辞したるは日暮て余程の後成し。師の君のもとへ帰りつきて後、「よき歌をよみたるに褒(はうび)美」などの給ひて、くわし給ふ。又、車をも給はりて、家に帰りしは六時成し。今日の来会者、水野君は親子、つや子君、齢子君、きく子君、みの子君、い夏子君、かとり子君、のぶ子君(2)の諸君成し。「来る十九日は前島君のもとにて難陳歌合せん」とて約す。此日、江崎牧子君に書(ふみ)を出す。さるは電信の全通したれば也。稲葉君来る。

(1)鳥尾小弥太(陸軍軍人、貴族院議員、子爵)の令嬢、鳥尾広子。鳥尾邸は旧関口町192番地にあった。 
(2)水野忠敬・銓子、小笠原艶子、長齢子、前島菊子、田中みの子、伊東夏子、吉田縑子、小川信子。歌合の番数は22番だった。

二日 快晴。裁縫をなす。何事もなし。日没後書見(しよけん)をなす。十首計(ばかり)歌をよむ。習字一時間。十二時床にいる。
三日 天長節なれば例によりて餅少し計つかす。山下君参る。しるこをとゝのへて参る。雑誌をかる。「『早稲田文学』(3)をからん」とて約束す。 午後(ひるすぎ)に君は帰る。午前(ひるまへ)のうちに裁縫上着(4)丈(だけ)なし、午後よりした着の裾直(すそなほ)しをする。 各評廻はる。田中君より滝の川(がわ)(5)の誘引状あり。断りを出す。日暮てより書見。

(3)この明治24年10月、坪内逍遥の編集で創刊された文芸誌。前年に新設された東京専門学校(早稲田大学の前身)文学科の機関誌的性格をもち、講義録風の内容でスタートした。
(4)二枚重ねの表着のこと。歌子から贈られた紋付の直しと見られている。
(5)現在の東京都北区南部にあたる、明治22年に成立した北豊島郡滝野川村を流れる石神井川南岸の台地の地名で、紅葉の名所として知られた。紅葉見物への招待らしい。

四日 晴天。 午前裁縫に従事す。午後より習字ならびに書見をす。今日より小説(6)一日一回ヅヽ書く事をつとめとす。 一回書ざる日は黒点を付せんと定む。但し我が心評成りけり。日没後国子と共に紙類(しるい)を中島屋にかふ。心正堂(しんせいどう)(7)に筆をかはゞやとせしかど、日没よりは門(かど)を〆(しめ)てうらず。止(やむ)を得ず帰る。久保木の姉君来る。稲葉氏(うぢ)にはがきを送る。十二時床に入る。
五日 曇天。朝来小雨、正午(ひる)より照る。安達へあづけ物取に行。女坂下(をんなざかした)、心正堂に筆をかふ。三河屋に洗張りを頼む。午前(ひるまへ)帰宅す。今日も一日することなしに終る。咄(とつ)、怠惰。本日、まき子ぬしよりはがき来る。先(まづ)は無事也。
(6)これまでの「作文」という言いかたから、ここで「小説」という言葉を用いるようになっている。
(7)当時の本郷区湯島天神にあった筆墨店。

 
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


十一月一日。朝から快晴。気候温和で本当に小春日和。十時頃まで歌稿を調べる。それから髪を結い化粧をして、 十二時半に家を出る。 歌子先生の所をお訪ねすると、

「今行きますから、しばらくお待ち」
といって支度をなさる。それから一緒に行く。
「帰りは私の家から車を出そうと思うので、その車はお返しなさい」
とおっしゃって此の車は鳥尾邸から帰す。鳥尾家の会場の様子も庭の情景も改めて別に記す予定。先生が選ばれた歌は、「初冬紅葉」 は鳥尾さんの歌、「隠家にて」 は私の歌、「恋」も鳥尾さんの歌でした。私は柿五つ戴く。鳥尾邸を辞したのは日が暮れてかなりたってからでした。歌子先生のお宅に帰りついてから、よい歌を詠んだ褒美などとおっしゃってお菓子を戴く。また車もいただいて、家に帰ったのは六時頃でした。今日の来会者は、水野忠敬さんとお嬢さん、小笠原艶子さん、長齢子さん、前島菊子さん、田中みの子さん、伊東夏子さん、吉田かとり子さん、小川信子さんの皆さんでした。
来る十九日は前島さんのお宅で難陳歌合せと決められた。
今日江崎牧子さんに手紙を出す。これは電信が全通したからです。稲葉様見える。

二日。快晴。裁縫をする。何事もなし。日暮れから読書。十首ほど歌を詠む。習字一時間。十二時寝る。
三日。天皇誕生日なので、例年のように餅を少しつかせる。山下直一さんが見える。お汁粉を作ってだす。雑誌を借りる。次は「早稲田文学」を借りる約束をする。午後に山下さん帰る。午前中に裁縫、上着だけを仕上げ、午後は下着の裾直しをする。各評の歌が廻ってくる。田中みの子さんから瀧の川へのお誘いの手紙が来る。お断りの返事を出す。暮れてから読書。
四日。晴。午前中裁縫をする。今日から小説を一日に一回分ずつ書くのを勤めとする。一回分書かない日は黒点をつけようと定める。しかしこれは私の心の中にきめただけの事です。日が暮れてから邦子と紙を中島屋で買う。心正堂で筆を買おうとしたが、日暮れからは門を閉めて売らない。しかたなく帰る。久保木の姉が来る。稲葉氏にはがきを出す。十二時床に入る。
五日。曇。朝から小雨。正午から晴れる。安達の家へ預け物を取りに行く。女坂下の心正堂で筆を買う。三河屋に洗張りを頼む。午前中に家に戻る。今日も一日中する事もなく終わる。あゝ、私の怠け本性よ。岐阜の江崎牧子さんからはがきが来る。まず無事のようでした。

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