樋口一葉「蓬生日記一」⑲

きょうは、明治24年10月30日の日記。 萩の舎の稽古の日です。

卅一日 小石川稽古成り。朝風のいと寒かるに起出てみれば、霜ましろに置けり。「初霜にこそ」などいふ。八時頃家を出(いで)て、師の君がり行(ゆく)。「暮秋の霜」てふ題先(まづ)出ぬ。
   めづらしく朝霜みえて吹(ふく)風の
       寒き秋にも成にける哉
実景成り(1)」とて十点に成ぬ。次は「紅葉浮水(もみぢみづにうかぶ)」成し。「龍田(たつた)川紅葉みだれて流るめり(2)」てふを本歌に取(とり)て、
   いさゝ川渡らばにしきと計(ばかり)に
       散(ちり)こそうかべ岸のもみぢ葉
かくなんいひて、いたく師の君にしかられにき。「本歌を取て、そを受たる詞(ことば)なし」とて成り。「さもあらばあれ、小言にたゆまず猶かゝる歌もよむべし。其中(そのなか)には少しは聞ゆるのも出(いで)こん」などの給ふ。諸君の帰らせ給ひしは四時半成し。おのれ帰らんとする時、師の君、「少しまてよ」とて止(とど)め給ひつ。小紋ちりめん(3)三ッ紋(4)付の引返し(5)衣類(きもの)の、表丈(だけ)(6)給ふ。「これは歳暮(せいぼ)に参らせんとしたるなれど、早き方(かた)都合もよかるべし。新年など何某(なにがし)くれがし(7)の会に出るに紋付なくてもいかゞ」とて給ふ。かたじけなし(8)など中々なり。少し暗う成にたれば、途中まで母君迎ひに参り給ふ。諸共(もろとも)に帰りて、夕飯(ゆふげ)したゝめたる後、明日の景物かひにとて、本郷二丁めの信富館(しんぷくわん)てふ勧工場(くわんこうば)(9)へ行。ものとゝのへて帰りしは九時頃成し。夫(それ)より書物(かきもの)少しして、今宵は早う打ふしぬ。


(1)ほとんど写生に近いこの歌をこう評価した。「実情実景」は、歌子が強調した理念だった。
(2)古今集に「龍田川もみぢ乱れて流るめり渡らばにしき中や絶えなむ」(よみ人しらず)。
(3)小紋を染め出した縮緬。小紋は、星、霰、小花など種々の細かい模様を一面に染め出したもので、江戸時代には裃(かみしも)など、明治以降も晴着として用いられた。
(4)背中部分の背紋が一つ、両外袖に付く外紋が一つずつ入ったもの。色無地や江戸小紋に三つ紋を入れることで準礼装扱いになるという。
(5)女性の和服で、表と同じ布地を裾回しに用いる仕立て。
(6)二枚重ねの表着だけ。正装のときは二枚重ねが礼法であった。
(7)だれそれ。身分や地位が明らかで特定の固有の名前を問題にする必要のない際などに、名前を列挙する代わりに用いる。
(8)小学館の全集の脚注には「紋付を贈ることは強い愛顧のしるしと受取れる。内弟子になって住み込んだ当時、夏子は養女のような意識を持ちかけたことがあった」とある。
(9)本郷の新富勧工場。勧工場は、一つの建物の中に多くの店が入り、いろいろな商品を即売したところで、デパートの進出により衰えた。一葉は母や妹を伴い、この勧工場などへしばしば出かけた。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


三十一日。萩の舎の稽古の日。朝風が寒いので起きぬけに庭に出て見ると霜が真白におりていた。初霜だと皆で話す。八時頃家を出て歌子先生の所に行く。「暮秋の霜」 という題がまず出る。
  珍しく朝霜みえて吹く風の寒き秋にもなりにけるかな
 実景を詠んだ歌というので、十点を戴いた。次の題は「紅葉水に浮く」でした。「龍田川紅葉乱れて流るめり」という歌を本歌にして、
  いささ川渡らば錦とばかりに散りこそ浮かべ岸のもみぢ葉
 こう詠んで先生にひどく叱られました。本歌取りでありながら、それを受けた詞がないというのです。

 「しかし、それはそれとして、小言を言われてもへこたれないで、ますますこんな歌もお詠みなさい。そのうちには少しは聞きよい歌も出来るでしょう」
などとおっしゃる。皆さんが帰られたのは四時半でした。私が帰ろうとする時、先生が、しばらくといって引き止められた。小紋の縮緬の三つ紋付きの引返し仕立ての着物の表だけをくださる。
 「これはお歳暮にあげようと思ったのですが、早い方が都合がよいでしょう。新年のあれこれの会に出るのに紋付きがなくてはね」
とおっしゃってくださる。有難いことこの上もない。少し暗くなったので途中まで母上が迎えに見える。一緒に帰り、夕食の後に、明日の会のための賞品を買いに本郷二丁目の信富館という物産陳列場まで行く。買物を終えて帰ったのは九時頃でした。それから書きものを少しして、 今夜は早く寝る。

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