樋口一葉「蓬生日記一」⑮
きょうは明治24年10月18日から。一葉は、依頼された仕事をはじめます。
十八日 晴。午前、 母君他所へ参らる。 おのれは依頼の仕事をはしむ。 山下直一(なほかず)君参らる。「下宿がヘ昨日せし」と也。 少しもの語りて、家の新聞(1)など貸あたえてかへす。午後(ひるすぎ)より菊子ぬし参らる。卒業しけん終り給ひて(2)、いとよろこばしげ也。「一昨日(をとつひ)より半井(なからゐ)君のもとに遊びて、よべ帰りぬ。『夏子ぬしはいかゞし給ひしや』など、いといたう打案じての給へりし。参らせ給へよ」などの給ふ。こゝにもかねてより、参り寄らまほしく思ひながら、猶(なほ)なんさわる事ありてまかでぬを、常に心ぐるしうてのみなんある。かうねんごろにの給ふにも、猶いとはづかし。さま ざまもの語りありて帰り給ふ。此夜隣家中島にて、いとけふなること共(ども)ありたり。 くら子ぬしのもとにふみしたゝむ。十一時頃ふしどに入(いり)しかど、思ふこと多くて、 いもねず。一時計(ばかり)成けん、花(くわ)しよの国(3)には致りつきぬ。(1)「改進新聞」とみられる。開花新聞を改題して明治17年に創刊された改進党の機関紙。フランス人画家、ビゴーによる風刺漫画などが人気だった。27年終刊。
(2)野々宮菊子(1869 - 1922)。半井桃水の妹の同級生で、桃水を友人の一葉に紹介した。東京高等女学校に22年4月に入学しこの12月に卒業した。その後、盛岡女学校、宮城女子師範などの教師をつとめた。
(3)華胥 の国。『列子』黄帝篇にある故事から、中国古代の天子、黄帝が昼寝の夢に見たという理想郷。人々は自然に従って生き、物欲、愛憎なく、生死にも煩わされないで、よく治まっていたといい、黄帝はこの夢を見て悟るところがあり、国は自然に治まったといわれる。
十九日 晴天。何事もなし。
廿日 晴。何事もなし。図書館に行(ゆく)。
廿一日 晴。同(おなじく)。
廿二日 晴。あす半井(なからゐ)ぬしを問(とひ)参らせんとす。ふみかいしたゝめて出す。「さはれ、まだ約束の文章(4)は少しもしたゝめぬものを、いとおぼつかなしや」とおもへど、猶せめて出す。入湯(にふたう)などして用意す。空いとよく晴て塵計(ちりばかり)の雲もなきに、例(いつも)半井君へ参る折に雨降らぬ日なかりつれば、「いづら明日は」と国子をかへりみていふに、「頼むとも、やはか」とて打ほゝゑみぬ。夜に入てより、半井君より書状参る。孝子(かうこ)(5)君事(こと)、「廿七日嫁入らすべき」よし。「其(その)後参りくれ度(たし)」と也けり。俄かのことにて誠ともおぼえず。いとあやし。十二時ねぬ。
廿三日 早朝床(とこ)を出るに、雨降(ふり)にふる。「さは又降らるべき成し」などいふ程に、朝日のかげさしのぼる頃より、只(ただ)晴にはれ行(ゆく)もをかし。稽古題五題、各評(かくひやう)一題、難陳(なんちん)三題よみて、ひる飯をたうべぬ。午後(ひるすぎ)より、もち月(づき)来る。新平参る。「国子の蝉表(せみおもて)(6)えまほし」と切(せち)にいへば、やがて二ツ計(ばかり)うる。百足(そく)計(ばかり)もて来(きたり)し。「中々か計(ばかり)のは又なし」などいふ。我身の歌とくらべられんに、いかにせまし。穴にも入らまほしうこそ。十一時、床に入る。
(4)6月17日に桃水から助言を受けた原稿の書き直し。
(5)桃水の妹の幸子のこと。東京高等女学校に在学中だったが、卒業と同時に福岡県久留米市の医師戸田成年と結婚することになった。
(6)籐(とう)で編んだ駒下駄。蝉の羽に似ているところからこういう。新平のところで製造され、邦子のところへ運ばれる。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
十八日。晴。午前中母上は外出。私は頼まれた仕事を始める。山下直一君が見える。昨日、下宿を替えたとのこと。少し話した後、家の新聞を貸して帰す。午後、野々宮菊子さんが見える。卒業試験がすんで大変嬉しそうでした。一昨日から半井桃水先生のところへ遊びに行き、昨夜帰って来たとか。
「夏子さんはどうしているのかと、ひどく心配しておっしゃっていました。是非訪ねて来て下さいともおっしゃっいました」 と。
私も以前から一度はお訪ねしたいと思いながら、やはり、差し障る事があってお訪ねしないでいるのを、いつも心苦しく思っていたのに、こんなに親切におっしゃって下さるのも、恥ずかしい思いです。菊子さんはそのあと色々の話をして帰られた。夜、隣の中島の家で大変不思議な事があった。中島倉子さんに手紙を書く。十一時頃床に入ったが思うことが多くて眠れない。一時頃華胥(かしょ)の国(夢の国) に着く。
十九日。晴。何事もない。
二十日。晴。何事もない。図書館に行く。
二十一日。晴。同じ。
二十二日。晴。明日、半井桃水先生をお訪ねしようと思う。手紙を書いて出す。然し、約束の文章は少しも書いていないのにと思うと心もとないが、思い切って出す。入浴などして用意する。空はすっかり晴れて雲一つないが、いつも半井先生をお訪ねするのに雨の降らない日はなかったので、
「どうだろう、明日は」
と邦子の方を見ていうと、
「お祈りしても、駄目よ」
とにこにこ笑っている。夜になってから半井先生からお手紙が来る。妹の幸子(こうこ)さんを二十七日に嫁入りさせること、従ってその後に来てほしいということでした。突然の事なので本当とも思われない。どうも変な感じで落ちつかない。十二時に寝る。
二十三日。早朝、床を出た頃は雨。やはり降られるはずだったのだ、などと言っているうちに、朝日が昇る頃からどんどん晴れて行くのも面白い。歌の稽古題を五題、各評を一題、難陳を三題詠んで昼食にする。午後から望月が来る。また新平が来る。邦子が編んだ嬋表がほしいと言うので、すぐに二つほど売る。百足ほど持って来たなかに、これほどの出来のものはまたとないという。私の歌と比べられたらどうしようかと思うと、恥ずかしさに穴にも入りたい思いでした。十一時に床に入る。
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