樋口一葉「蓬生日記一」⑭

きょうは、明治24年10月17日のつづき。お茶の水橋海橋などが話題になっていきます。
 

今宵は旧菊月十五日なり。空はたゞみ渡す限り雲もなくて、くずの葉のうらめづらしき夜也。「いでや、お茶の水橋(1)の開橋になりためるを、行(ゆき)みんは」など国子にいざなはれて、母君も、「みてこ」などの給ふに、家をば出ぬ。あぶみ坂(ざか)(2)登りはつる頃、月さしのぼりぬ。軒(のき)ばもつちも、たゞ霜のふりたる様にて、空はいまださむからず、袖にともなふぞおもしろし。行々(ゆきゆき)て橋のほとりに出ぬ。するが台のいとひきくみゆるもをかし。月遠(とほ)しろく水を照して、行かふ舟の火(ほ)かげもをかしく、金波銀波(きんぱぎんぱ)こもごもよせて、くだけてはまどかなるかげ、いとをかし。森はさかさまにかげをうかべて、水の上に計(ばかり)一村(ひとむら)の雲かゝれるもよし(3)。薄霧(うすぎり)立まよひて遠方(をちかた)はいとほのかなるに、電気のともし火かすかにみゆるもをかし。

(1) 明治24年10月に完成した、神田川沿いの駿河台と湯島の女子高等師範学校前との間の断崖に架設された鉄橋。長さ38間(約69m)・幅6間(約11m)。それまで神田川の神田と湯島の間は渡し舟で行き来していた。
(2)鐙坂。菊坂から真砂町の高台へとのぼる、片側に石垣の連なる細い坂道。馬に登るときに足を乗せる鐙(あぶみ)に形が似ているとされる。
(3)空にはないひとかたまりの雲が、水のうえにだけかかっているように見えるのも美しい。

「いざまからんまからん」と計(ばかり)いひて、かくもはなれ難きぞ、いとわりなき。「またかゝる夜(よ)いつかはみん」など語りつれつゝ、するが台より太田姫いなりの坂を下(お)りてくるほど(4)、下よりのぼりくる若人(わかうど)の四(よ)たり計(ばかり)、 衣はかん(5)にて出立(いでたち)さはやかに、折にふれたるからうたずんじくる。「哀(あはれ)、おの子ならましかば、我もえたえぬ夜のさまよ」とて国子のうら山しげにいふもをかし。馬車のいとろうがはしき(6)に、小路(こうぢ)につとはしり入(いり)て、「神田の森(7)に月みんよ」とて、坂のぼるほどいとくるし。のぼりはてゝふとみ返るに、月はいつしか空高う成て、二本(ふたもと)ある杉のかげにかくれて、さしのぞかざれば、みることうとし。 うたよまざらんはいとくちをしうて、さまざまにおもひめぐらせど、月のかげにやけをされけん、ふつに趣向もめぐらぬこそ、「猶(なほ)よむなてふこと成(なる)べし」とて、打笑ひつゝやみぬ。大路(おほぢ)をかへりくるほどいといとをしう覚ゆれど、母君のまたせ給はんなんいとうしろめたうて、いそぎかへる。八時前(まへ)成しかど、時計只(ただ)こゝもとに取寄(とりよせ)て、さしのぞきゐ給へりし。なほ遠く遊ぶは、いとあしきこと成けり。母君をふさせ奉りて、少しふみどもつくる。此日は秀太郎、小学の運動会(8)として、かま倉地方へ遠足成しかば、「さこそつかれつらめ」など案じくらす。

(4)神田川の駿河台側の河岸を紅梅河岸と呼ばれ、万世橋のほうへ下る坂道がついていた。その途中に、太田姫稲荷があった。
(5)簡。簡素。手軽。
(6)騒々しい。やかましい。「馬車」は万世橋を通る馬車。
(7)お茶の水橋の西側は、水道橋のほうにかけて森になっていた。
(8)小学館全集の注には、本郷区元富士町3の1の本郷小学校。その歩行会として遠足が行なわれた。スポーツや学校体育が発達していなかった当時は、身体をよく使うことや歩行・散歩が「運動」であった、とある。

朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

今夜は旧暦九月十五夜である。空は見渡す限り雲もなく、珍しく晴れ渡っている。お茶の水橋が開通になったらしいので、さあそれを見に行こうと邦子に誘われ、母上も「見ておいで」 とおっしゃったので、家を出た。 

鐙(あぶみ)坂を登り切る頃、月が出た。軒も大地も一面に霜が降りたように真白で、空気はまだ寒からず、月が一緒に連れだって歩くのも面白い。月光は白く川を照らし、 行き交う舟の灯が水に映り、金波銀波がよせてはくだけ、安らかな光も大そう美しい。森はさかさまに姿を映し、時々水の上だけ雲がかかるのもよい。薄霧が所々に立ち、遠方は電灯の灯がぼんやりとかすかに見えるのも面白い。もう帰ろうと言いながらも立ち去り難いのもやむをえない気がする。二度とこんな美しい夜景を見る折があるだろうかなどと、話しながら連れだって、駿河台から太田姫稲荷の坂をおりてくると、下から登ってくる青年四人ばかりに出逢う。着物は簡素でさっぱりとして、漢詩を吟じながら来るのがこの情景にぴったりした感じでした。

「あゝ、私も男だったらなあ。女であっても黙っていられない程の夜景ですよ」
と邦子が羨ましそうに言うのも面白い。馬車の音がうるさいので、横の小路に避けて行く。神田の森でまた月を見ようと、坂を登るのは苦しい。登り切って、ふと振り返ると、月はいつの間にか空高くなって二本の杉に隠れ、覗かないとよくは見えない。こんなよい景色に歌も詠めないのは残念とばかりに、色々に思いを巡らすが、月の光に圧倒されたのでしょうか、全く趣向が浮かばないのは、やはり歌を詠むなということだろうと、笑ってまぎらしたのでした。大通りを帰る時は、大変惜しい気がしたのですが、母上が待っておられるだろうと気になって急いで帰る。八時前でしたが、時計を身近に置いて、のぞくようにして待っておられた。やはり遠くへ出かけるのは悪いことだと思ったのでした。母上が床に入られてから少し書きものをする。今日は秀太郎の小学校では遠足旅行で、鎌倉行きだったので、さぞ疲れたことだろうと心配する。

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