樋口一葉「蓬生日記一」⑬

きょうは、明治24年10月12日から17日にかけて。「さしたることなし」とあっさりした記述も見られます。

十二日 国子なほおこたらず。「今日は本願寺のお取越し(1)とかやなり」とて、母君九時頃より参詣せらる。十時頃より稲葉の妻君、正朔殿と共に参らる。ひる飯参る。午後(ひるすぎ)より姉君参る。国子の見舞になり。四時頃、母君帰らる。秀太郎(2)参りしかば、到来の赤飯(あかのめし)などくわす。今日は法華宗にても十夜(じふや)とかにて(3)、こゝかしこより配物(くばりもの)貰ふ。今日もいたう怠(おこ)たりにけり。
(1)東京・築地にある浄土真宗の西本願寺(築地本願寺)。「お取越し」は、浄土真宗の門徒が、親鸞の忌日である11月28日に行われる親鸞忌を繰り上げて、陰暦10月に行う報恩講。
(2)姉藤子の子の久保木秀太郎と見られる。
(3)法華宗ではなく、浄土宗の寺院で行われる秋の念仏行事である十夜念仏のこと。

十三日 晴。兄君如何(いかが)なし給ひけん、只(ただ)案じに案ずれど、更にふみもおとづれもなし。沖なわ県より依頼の歌(4)、師の君に添刪(てんさく)乞はんとて、もて行(ゆく)。ものへ行(ゆき)給ひて留守成しこそ、いと詮(せん)なし。又こそ参らめとて帰る。
十四日 さしたることなし。晴。
十五日もおなじく。午後よりものへ行。
十六日 おなじく。
十七日 稽古日なり。晴天成し。題例(いつも)のふたつ。一題十点の一ッありけり。い夏子(5)君二ツ、鳥尾君ふたつあり。松井節哉(せつや)(6)君入門せらる。明治女学校(7)の学生にて、田辺君が知人(しるひと)なるよし。打みる所は、いとおとなしやかなる人なり。日没少し前帰宅す。岡田より仕立(したて)もの依頼せらる。母君、「断(ことわ)らん」などの給ふを、「遠路よりのなれば」とて、おのれうべなふ。

(4)「沖縄名所」と題する3首の歌。詠草『四季恋雑 園のわか艸』に見られる。
(5)伊東夏子。樋口夏子と区別して詠草の署名などに「いな子」と記したという。
(6)松居節哉か。
(7)明治18年に設立され、41年に廃校となった私立の女学校。巖本善治のキリスト教精神に基づく、自由な雰囲気に満ちた近代的な教育が行なわれた。島崎藤村や北村透谷も一時期教壇に立っている。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

十二日。邦子はまだよくならない。今日は築地本願寺のお取越しの忌日とかで、母上は九時頃からお参りされる。十時頃から稲葉の奥様が正朔さんと見える。お昼をさしあげる。午後から姉が邦子の見舞に見える。母上は四時頃に戻られ、日暮れ少し前に稲葉の奥様方は帰られる。甥の秀太郎が来たので戴きものの赤飯など食べさせる。今日は法華宗の方でもお十夜とかで、あちこちから配り物をもらう。今日もすっかり怠けてしまった。

十三日。晴。兄上はどうされた事であろう。こちらはただもう心配しているが、お便りもなければお見えにもならない。沖縄県より依頼の歌を、先生に添削をお願いしようと持参する。外出されてお留守だったのは残念。改めてお訪ねしようと思って帰る。
十四日。特別のことなし。晴。
十五日。おなじ。午後から外出。
十六日。おなじ。

十七日。萩の舎の稽古日。晴。題は例によって二題。一つの題で十点もらったのが一つでした。伊東夏子さんが二つ、鳥尾さんが二つでした。松井節哉さんが入門された。明治女学校の学生で田辺龍子さんのお友達とか。見たところ大変おとなしそうな人でした。日暮れ少し前に帰宅。岡田から仕立物を頼まれる。母上は断ろうなどと言われるが、遠くからわざわざ見えてのお頼みだからというので、 私が引き受ける。

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