樋口一葉「蓬生日記一」⑫
きょうは、明治24年10月10日の日記です。兄の虎之助の負債について記されています。
十日 晴天。湯島の天神(1)大祭也。母君、午前(ひるまへ)より所々遊覧に参らる。午後四時頃帰宅。「われも老ぬる哉(かな)。かう気楽に遊びありくこと」ゝて笑ひ給ふ。日没より国子と共に拝礼に行(ゆく)。山車(だし)は切通し坂に一ッ有(ある)のみ成けり。社内より新花町(しんはなしやう)(2)の方(かた)へ出んとて、吉田君の表(3)をよぎりしかば、国子立(たち)よる。しばらくにして、もろ共に帰る。家に帰りしは七時頃成し。しばし打ためらひて、机どももて出る程に郵便来る。「今朝兄君(4)に、時候伺ながら一書参らせたるまゝ、そが返事なめり」とおもひて封じめきるに、さまざま有て、「さて、こなたいといと春よりの不都合勝(がち)にて、いかんともいたしかたなく、負債の裁判などしばしばあり。到底せん方(かた)なければ、財産差(さし)おさへといふことに成ぬ。明日は日限ともなれば、ことごとく破産の不幸に立(たち)到れり。其頃(そのころ)参りてものがたらひてん」と成り。「金三円評(ばかり)あらば何とか成べきことながら、夫(それ)すら心にまかせず」など書(かき)給へり。いといたうおどろかれて、「何事ぞ、こは」とて母君ともどもはかる。「こゝに金四円はあり。これかしこへかさば、こゝに又難儀やはおこりなん。いかにせん」などの給へど、「只(ただ)なるかは、公権のはく奪(5)といふことは、人事に於ていと恥(はづ)べきことにはさふらはずや。家は又、我稽古衣(ぎ)の衣売(きぬうり)しろすともよし。これもて行(ゆき)て、故(ゆゑ)よし明らめ給(たまひ)て渡(わたり)させ給へ。くらう成にたれど、『明日』といふなれば、今宵は過(すご)しがたかるべし」とて、車ものして母君をやる。国子と共に案じくらす程に、十一時頃帰宅し給ふ。「大方かたの付(つく)べき成り」と聞(きく)に、少しむね安く(6)も成ぬ。此(この)夜中より国子俄(にはか)に腹痛をやむ。夜一夜(よひとよ)只(ただ)くるしみにくるしみて、はかなう明(あけ)ぬ。
(1)学問の神様である菅原道真を祀るので、学童や書家らの参詣が多い。梅花の名所としても知られる。
(2)湯島新花町。明治5年、本郷新町屋付近の武家地、真言律宗宝林山霊雲寺の寺地を合併してできた。本郷新町屋と江戸期の俗称「御花畑」の各1字を採って「新花」としたという。
(3)吉田家は、境内を出た近くにあったと考えられている。
(4)次兄の虎之助。当時は三田に住んでいたようだ。虎之助は勉強嫌いで素行も悪かったことから、父母と折り合いが悪く、15歳で勘当されて陶工成瀬誠至に弟子入りした。
(5)明治15年1月に施行された旧刑法の第31条では、受刑者に対して「剥奪公権ハ左ノ権ヲ剥奪ス」として次の9つの公権のはく奪・停止を規定している。 ①国民ノ特権②官吏ト為ルノ権③勲章年金位記貴号恩給ヲ有スルノ権④外国ノ勲章ヲ佩用スルノ権⑤兵籍ニ入ルノ権⑥裁判所ニ於テ証人ト為ルノ権但単ニ事実ヲ陳述スルハ此限ニ在ラス⑦後見人ト為ルノ権但親属ノ許可ヲ得テ子孫ノ為ニスルハ此限ニ在ラス⑧分散者ノ管財人ト為リ又ハ会社及ヒ共有財産ヲ管理スルノ権⑨学校長及ヒ教師学監ト為ルノ権。
(6)心が穏やかに。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
十日。晴。 湯島天神の大祭日。母上は午前中からあちこち見物を兼ねてお参りに行かれる。午後四時頃帰宅されて、
「私も年をとったことよ。こんなに遊んでばかりいて」
といって笑われる。夕方から邦子と一緒にお参りに行く。山車(だし)は切通し坂に一つあるだけでした。境内から新花町の方へ出ようとして吉田さんの家の前を通ったので、邦子だけ立ち寄る。一寸だけで、また一緒に帰る。帰宅は七時頃でした。どうしようかと迷ったあと、机など出したりしていると郵便が来た。今朝兄上に時候挨拶の手紙を出したので、その返事だろうと思って封を切る。色々なことを書いた後に、
さて、こちらは春以来いよいよ思い通りに行かず、どうにもしようがなく、借金の裁判などもしばしばあり、返済の方法もなく、財産差押えということになった。明日がその期限になっているので、それで、すべてが破産という事態に立ち至った。その時に参って、詳しくは申しあげます。今お金が三円ほどあれば、何とかなるのですが、それすら思うにまかせません。
と書いてある。全く驚いて、 これはどうした事かと母上と相談する。母上は、
「ここにお金が四円ある。しかしこれをあちらへ貸したら、こちらが困ることになろう。どうしたらよかろう」
とおっしゃる。
「こちらが困るといっても何のことがありましょう。先方が公民権を剥奪されるということは、人事の上から言って大変恥ずかしいことですよ。こちらはまた私のお稽古行きの着物を売って生活費とすればよいでしょう。このお金を持って行って、はっきり訳を言ってお渡しなさいよ。もう暗くなろうとしているのに、明日が期限というのだから、今夜を過ごすことは出来ないでしょう」
と言って、車を頼んで母上をやる。邦子と心配していると、母上は十一時頃に戻って見えた。大方これでかたがつくだろうと聞いて、少し気が安らぐ。夜中に邦子が急に腹痛を起こし、 一晩中苦しみに苦しんで 、不安のうちに夜があける。
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