樋口一葉「蓬生日記一」⑪
きょうは、明治24年10月9日の日記です。萩の舎における歌の稽古の様子が語られていきます。
九日 早朝より支度(したく)をなす。小石川の稽古なればなり。九時頃より家をば出ぬ。風は只吹(ただふき)にふく。されども空はいと晴たり。師の君に約し参らせたる茄子を持参す。いたく喜び給ひて、「これひる飯(めし)の時、にてくはゞや」などの給ふ。春日まんぢう(1)ひとつやきて喰ひ給ふとて、おのれにも半(なかば)を分て給ふ。もの語りども少しする程に、やがてひるにも成ぬ。もてなしにあづかりて諸君の来(きた)らせ給ふを待程(まつほど)に、かとり子君先(まづ)参らる。今日は来会者廿二名計(ばかり)成し。点取題「秋烟(あきけむり)」 にて、小出君の乙はおのれ成しかば、短冊(たんざく)を給ふ。「あやしう我点(わがてん)は樋口君にのみとらるゝよ」などの給ふ。「猶(なほ)天性といふものこそ有けれ。つとめ給へ。進むはかたく、しりぞくはいと安きぞかし。我、後見(うしろみ)てん」などわらひわらひの給へば、師の君、「いでや、夏子ぬしよ、小出君に盃(さかづき)参らせ給へ。かうまでにの給はすは、うきたることにはあらじを」など打笑ひ給ふ。例(いつも)のひがものは(2)、いとつゝましうて、只(ただ)ものゝすみにのみひそまり居るも、「おこ成り」と笑ふ方々あるべし。人々帰後(かへりしのち)、小出君もかへる。みの子ぬしとをのれと、又少し物語りす。帰宅せしは日没少し過(すぎ)成し。母様(ははさま)むかひに出(いで)給ひて途(みち)にて行違ひぬ。奥田の老人参り居(を)りしかば、給はりつるくだものなど少しやりぬ。老人は国子、道まで送る。今宵和歌廿首計(ばかり)よむ。ふしど(3)に入ても更に寐(ね)むられねば、ふたゝび起て、ふみどもよむ。十二時ふしぬ。
(1)春日饅頭。厚めに作った皮でこしあんを包み、上面にヒノキの葉の模様を焼きつけた小判形をしたまんじゅう。
(2)僻者。ひねくれ者、変人のこと。全集の脚注には「「よもぎふ」期の基調をなす意識。入門した当時、夏子は歌会や稽古の席でも、下をこごみがちで、隣りにいた人に話もしないので、田中みの子は「今度お弟子入りした樋口さんと云ふ人は継子みたうだね」と言った。そのみの子は、後に恥ずかしがりやの夏子に対して、「ものづつみの君」とあだ名を付けた」とある。
(3)寝所。寝床。ねや。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
九日。今日は萩の舎の例会なので、早朝から支度する。九時頃から家を出る。風はひどく吹いているが空はよく晴れている。先生にお約束の茄子を持参する。ひどく喜ばれて、お昼に食べようなどとおっしゃる。春日饅頭を一つ焼いて、私にも半分をくださる。お話を少ししていると昼になり、ご馳走になって皆さんを待っていると、まず吉田かとり子さんが見える。 今日は出席は二十二名でした。点取りの題は 「秋の煙」 で、小出先生の選の第二位は私のでしたので、賞品に短冊を戴く。 先生は
「どうも変だ。私の点は樋口さんばかりにとられるよ」
と言って、また、
「歌道には天性というものがある。しっかり頑張りなさい。とにかく進歩するのはむずかしく、後退するのはやさしい。私が後見人になってあげよう」
とおっしゃる。歌子先生は、
「さあ夏子さん、小出先生に盃をさしあげなさい。こんなにおっしゃるのは決していいかげんな事ではないのですよ」
などと言って笑っていらっしゃる。偏屈な私は例によって遠慮ばかりして、ただ部屋の隅に小さくなっているので、愚かなことといって笑う人もあるでしょう。皆帰ってから小出先生も帰られる。私はみの子さんと少し話す。帰宅したのは日暮れ少し過ぎでした。母上が迎えに出られて、途中で行き違いになる。帰宅したら奥田老人が見えていたので、戴いた果物など少しあげる。老人は邦子が通りまで送って行く。夜、和歌二十首ばかり詠む。床に入っても眠れないので、再び起きて読書する。十二時に寝る。
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