樋口一葉「蓬生日記一」⑩
きょうは、明治24年10月5日から8日まで。机に向って書きものをつづけても思うようにかけず、破り捨てることもたびたびあったようです。
五日 晴天。日ねもす机に寄て、例のよしなしごと書つゞくる。西村君(1)参らる。近日出店の都合成りといふ。小田病院の怪事(くわいじ)(2)をかたる。午飯(ひるめし)をすゝめて、帰宅せしは三時頃成し。滝野君(ぎみ)より庭前(にはさき)の栗を到来す。今日は甲子(きのえね)なればとて、母君いさゝかものとゝのへなどして大黒天に奉る。日没後、母君の揉療治(もみれうぢ)、国子と共に少しして、今宵はいたうなまけにたり。
六日 快晴。母君、朝来(あさより)はり物をなし給ふ。姉君一寸(ちよつと)参らる。午前(ひるまへ)より、ひとへ衣三四(ぎぬみつよ)ッ洗ふ。午後(ひるすぎ)よりは例の文机(ふづくゑ)に打むかひぬ。
(1)西村釧之助。樋口家とは. 親戚同然のつき合いで、文房具店を出した。
(2)小田耕作が院長の桜木病院で、盗難事件があった。
七日 快晴。午前、髪すましぬ。午後より文机に打むかひて文(ふみ)ども(3)そこはかとかいつゞくるに、心ゆかぬことのみ多くて、引さき捨て捨てすることはや十度(とたび)にも成ぬ。いまだに一篇の文をもつゞり出ぬぞ、いとあやしき。早うものし初(そめ)たるなむ、師の君に一回丈(だけ)添刪(てんさく)を乞いたるあり。そがつゞきをつゞらばやと思ふに、我ながらおもしろからで、かうは引やりつるなれど、さてしはつべきならねば、別に趣向をもうけなどして、又つゞり出(いづ)るに、夫(それ)もこれもいとつたなし。昔し今の名高き物語も小説も、みる度(たび)にわ我筆(わがふで)我ながらかなしう成て、はて はてはう打(うち)もす捨まほしけれど、中々に思ひ初(そめ)つることえやむまじきひが′心に、をこがましけれど又つゞり出ぬ。「あさて迄にはかならず作りはてん、これ作りはてねば死なん」とおもふも、「心ちいさし」と笑ふ人はわらひねかし。
八日 快晴。午前清書、午後作文。『十八史略』(4)及び『小学』(5)を読む。お鉱様参る。明日のか各評景物を作る。日暮て後、母君と共に薬師(6)に参詣す。勧工場を見物す。植木店(だな)に菊少し見え初(そめ)ぬ。露店六丁目辺(へん)までたてり。帰路(かへりみち)、途上にて姉君に逢ふ。帰宅後、土産(みやげ)の粟餅(あはもち)を食す。母君ふした給て後、姉君一寸(ちよつと)立よらる。これよりも土産にあわもちをもらふ。同道の人ありとて直(すぐ)帰る。風荒う吹出(ふきいで)て、空のけしきいとすさまじ。十一時寐(ねむり)につく。
(3)一般に文書、記録、日記など類をいうが、ここでは雅文による小説。このころ「かれ尾花」や「棚なし小舟」の習作に挑んでいた。
(4)太古から宋代に至る歴史を「史記」から「新五代史」までの17の正史と宋関係の史料によって記述されている。現行のものは明の陳殷が注解をつけて7巻にまとめたもので、明治期には漢文教科書として用いられた。
(5)劉子澄が朱子の指導で編集した初学者用の書。1187年成立。6巻から成り、洒掃、応対、進退などの作法、修身・道徳の格言などを集めている。
(6)本郷薬師。戦災で世田谷に移転する前の真光寺境内にあった。縁日の夜は、植木、雑貨、骨董などが並び、大いににぎわったという。「勧工場」はこの近くにあった本郷勧業場のこと。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
五日。晴。一日中机に向かい例の如くつまらないものを書く。西村釧之助氏が見える。近日中に店を出す都合がついたという。上野桜木町の小田病院の不思議な盗難事件のことなど話す。昼食を出し、帰られたのは三時頃でした。瀧野さんから庭にとれた栗を戴く。今日は甲子の日なので、母上は少しお供えなどして大黒天をお参りする。夜、母上の按摩を邦子と一緒に少しする。今日はすっかり怠けてしまった。
六日。快晴。母上は朝から張物をなさる。姉がちょっと見える。午前から単衣物を三、四枚洗う。午後からは例の如く机に向かう。
七日。快晴。午前、髪を結う。午後、机に向かい書きものをつづけるが、思うように書けず、破り捨てることが十回にもなった。それでもまだ一つの作品も出来ないのは情けない。以前に書いたものを歌子先生に一度だけ添削してもらったのがある。その続きを書こうと思うのだが、我ながらうまく書けず、こんなに破り捨てたりしているのです。これではいけないので、別に小説の構想を考え直して書き出してみたのですが、どれもこれもつまらない 。古今の有名な物語や小説を見る度に、自分の文章のまずさが我ながら悲しくなり、最後には皆やめてしまいたいと思うのですが、なかなか思いをかけてきた文学のことは断ち切ることが出来ないのです。才能もないくせに、身の程知らぬおろかな事ですが、またまた物を書き続けているのです。あさってまでには必ず書きあげよう。これを書きあげる事が出来ないなら、いっそ死んでしまおうと思うのです。こんなことを気が小さいといって笑う人は、どうぞ笑って下さい。
八日。快晴。午前中は清書、午後は書きもの。十八史略と小学を読む。稲葉のお鉱様が見える。明日の会のための各評の賞品を作る。日が暮れてから母上と一緒に薬師様にお参りする。物産陳列場を見て廻る。植木屋には菊が少し出はじめた。露店商の出店が六丁目あたりまで続く。途中で久保木の姉に逢う。帰ってから買ってきた粟餅を食べる。母上が床に入られたあとに姉が一寸立ち寄って行く。姉からも土産に粟餅をもらう。連れがあるからといってすぐに帰って行った。風がひどくなり、空模様が悪くなる。十一時寝る。
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