樋口一葉「蓬生日記一」⑧

きょうは、明治24年9月29日から10月1日まで。いろんな人が、一葉の家を訪ねてきます。

廿九日 晴天。母君、藤田屋の頼みに依りて、貸すべき金のこといひに行(ゆき)給ふ。家のとて有(ある)にはあらねど、三枝君(さえぐさぎみ)より借たる金少しあれば(1)、それかさんとてなり。帰路(かへりみち)に高野に立寄りて、こゝよりも少し計(ばかり)返金せらる。吉田君三人連(づつれ)にて参らる。『日本外史』三冊(2)かし給ふ。もの少し到来す。正午(ひる)少し前に帰る。母君は正午に帰宅し給ふ。稲葉君より又書状参る。則(すなはち)返事を出し、佐藤梅吉氏(3)に書状を出す。午後上野の伯父君(をぢぎみ)(4)参らる。藤林(5)のことに付(つき)物語り有けり。夕暮に帰らる。此夜は、さまでねぶたからねば、十二時頃ふしぬ。此頃(このころ)より大雨(たいう)盆をかへす様(やう)成し。

(1)「筆すさび一」によると、七日ごろ、親戚の三枝信三郎から、一葉の母たきが30円ほど借りたという。
(2)頼山陽の『日本外史』は、武家13氏の盛衰を家別・人物中心に記述しているが、『わか艸』覚書によると、ここで言っているのは、足利、北条の巻のようだ。
(3)一葉の父、則義の恩人である真下専之丞のもとで書生として働いていた人で、則義の生きていた時代から親交があったようだ。
(4)上野兵蔵(1832~1903)。則義の幼友達で、則義と同じように甲州の農民から幕臣になった。
(5)上野兵蔵の妻つるは、以前、藤林に嫁ぎ、離婚して兵蔵と再婚していた。

卅日 朝より空のけしきたゞならず。十時頃より強風大雨、誠の野分に成にけり。其最中(さなか)、広瀬七重郎来る。ぶん子のことに付種々(つきさまざま)依頼せらる。同人(どうんん)、午後帰国の途にのぼる。一時頃より風力次第に減じて、二時に鎮静す。差配人土田(6)来る。久保木の姉君、見舞に参らる。近来(ちかごろ)稀なる大風成き。されども吾家(わがや)は山後(やまうしろ)の(7)低所(ひくきところ)なれば、さまでつよからず、破損の場所もあらざりしが、所によりては屋根を吹(ふき)めくられ、塀垣(へいかき)などの仆(たふ)れたるは更(さら)也、丸つぶれに成たる家も少(すくな)からざりけらし。其夜は空いとよく晴ていとおだやか成し。稽古題(8)二週間分よみて、ふしどに入しは十二時成りき。
十月一日 早朝、師の君がり昨日(きのふ)の見舞に行(ゆく)。路次(ろじ)の樹木塀垣(へいかき)などの仆れたる、いとおびたゞし。師のもとにてはさもあらず。只此頃植(うゑ)かへ給し木どもの、二(ふた)もと三(み)もと打たふれたるのみ成りとなり。所々(とこうどころ)へ出すべきはがきしたゝめ、会計上の計算などしてかへる。大小の筆十本給ふ。此日(このひ)、山梨県野尻君(のじりぎみ)(9)より、ぶどう一籠(ひとかご)到来す。いと美(み)ごとなれば、母君、安達へも少し送り給ふ。礼状したゝめ出す。国子午後より吉田君へももて行(ゆく)。此夜は早う打ふしぬ。

 

(6)土田恒之助。借家の保守管理をしていた。
(7)後ろは高台になっていた。
(8)稽古で毎週5題ずつ宿題が出ていたという。
(9)野尻理作(利作)と見られる。野尻は明治20年に則義が保証人となって山梨から上京し、東京帝国大学文科大学に入学するものの、23年には中退し帰郷していた。



朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。







《現代語訳例》
『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


二十九日。晴。母上は藤田屋の頼みで貸すお金のことを言いに行かれる。家のお金ではないが三枝(さいぐさ)信三郎氏から借りたお金がまだ少しあるのでそれを貸そうというのです。 帰りに高野に寄って、ここから少し返金してもらう。吉田さんがお友達と三人連れで見える。日本外史三冊を貸して下さる。少し到来物をいただく。昼少し前に帰られる。母上は正午に帰宅。稲葉さんから手紙あり、すぐ返事を出し、また佐藤梅吉氏にも手紙を出す。午後、上野の伯父が見える。藤林家のことで話があった。夕方帰られる。今夜はそれほど眠くないので、十二時頃に寝る。その頃から盆をひっくり返したような大雨となる。

三十日。朝から空模様がおかしく、十時頃からは強風大雨で、本当の台風になった。その最中に広瀬七重郎氏が来る。文(ぶん)子のことで色々と頼まれる。午後に帰られる。一時頃から台風はしだいに弱まり、二時には納まる。家主の土田が心配して見に来る。久保木の姉も見舞に見える。近ごろ稀な台風であった。しかし家は山を背にした低い所なので、風当たりはそれ程強くなく、破損の被害もなかった。場所によっては屋根を吹き剥がされ、塀や垣などが倒れたのは勿論、丸つぶれになってしまった家も少なくはなかったようだ。夜は空がよく晴れて、おだやかでした。稽古のお題二週間分を詠んで、床に人ったのは十二時でした。

十月一日。早朝、歌子先生の所へ昨日の台風のお見舞に行く。途中、樹木や垣根など倒れたのは非常に多い。先生のお宅は大したこともなく、ただ最近植え替えた庭木が二、三本倒れただけだったとのこと。先生のお宅で、あちこちへ出すはがきを書いたり、塾の会計の計算の仕事などして帰る。大小の筆を十本戴く。今日、山梨県の野尻理作氏からぶどう一籠とどく。あまり立派なので、母上は安達氏へも少し届けられる。野尻氏へ礼状を書く。邦子は午後から吉田さんへも持って行く。夜は早く寝る。

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