樋口一葉「蓬生日記一」⑦
きょうの日記は明治24年9月26日の後半部分。桃水先生の不品行について思い悩む様子もうかがえます。
三時計(ばか)り成けん、雨少しこぼれ来ぬ。いたくふられなんわびしくて、館をば出ぬ。道にしてやみたるはロをしかりき。しのばずの池蓮(はす)かれて、浮草の花のたゞよふも淋し。「秋は草木の上のみならず、みとみるものゝ露けくも有哉(あるかな)」(1)とて、しばし立(たち)とゞまりぬ。うしろよりくる書生の、我(わが)うへなるべし、何ごとかさゝやくがつゝましうて、うつむきたるまゝいそぐもはづかし。家にかへれば、「いたうも早うおはしつる哉(かな)」とてみなみなよろこびぬ。国子は、「今日関場君(せきばぎみ)とひ参らせつ」とて、給はりつる栗など我にもくはす。「半井うしの事などをも聞て来ぬ。いでや猶(なほ)記者は記者也。朱にまじはるに、などかは赤うならせ給はらざらん。品行の不の字なること(2)、信用のなし難きこと、姉君が覚(おぼ)す様(やう)には侍らずとよ」とて、まめだちて聞えしらさるゝにもむねつぶれぬ。 我為(わがため)には良師にしてかつ「信友(しんいう)」と君もの給へり。我が一家のひ秘事(ひめごと)をも打明て頼み参らせ、「後来扶(こうらいたす)けにならん」などの約も有しを、そも偽り成けんかしらず、「誰が誠をか」とて、打(うち)もなげかれぬ。今日は稲葉の妻君も参らせ給へりとぞ。関場君より『日本外史』(3)及び『吉野拾遺』をかりて来る。日没後、母君に『よしの拾遺』(4) 読みて聞かせ奉る。十一時計(ばかり)成けん、ふしぬ。
(1)慈円の歌に「草木まで秋のあはれをしのべばや野にも山にも露こぼるらん(草木まで秋のしみじみとした風情に心を寄せているから、野にも山にも(涙の滴のような)露がこぼれているのだろうか)」(『千載集』)がある。
(2)桃水の家に下宿していた桃水の妹の同期生、鶴田たみ子が桃水の弟浩と間違いを起こして妊娠し、女の子を出産した。それを野々宮きく子が桃水の子だと誤解して邦子に話すなどして噂となった。この、いわゆる鶴田たみ子事件をのことか。関場悦子は、桃水が花柳界に出入りしていることも話した可能性がある。
(3)頼山陽が江戸時代後期に著した源平から徳川までの武家盛衰史。「外史」とは民間による史書であることを意味する。すべて漢文体で書かれている。
南北朝から室町時代の説話集。吉野朝廷を中心とした説話や逸話、天皇の歌、戦場の話などが集められている。作者未詳。
(4)南北朝から室町時代の説話集。吉野朝廷を中心とした説話や逸話、天皇の歌、戦場の話などが集められている。作者未詳。
廿七日 朝来(あさより)曇天。午前(ひるまへ)、久保木の姉君参らる。午後(ひるすぎ)より広瀬七重郎参る。「ぶん子公判、前裁判執行(しつかう)てふことに成き(5)」とて、いたく失望の体(てい)成し。おのれらも同じごとなげかれぬ。監視(かんし)のことにつき種々(さまざま)相談あり。「明日またこばや」とて日没前かへる。今日はことに打なまけて何ごともえせず。今宵もまた早うふしぬ。いとかひなしや。
廿八日 晴天。午前のうちに国子、吉田君に書物かへさんとて行(ゆく)。しばらくにしてかへる。午後、藤田(6)より目覚(めざ)まし時計を買ふ。家なる時計のいたく損じにたればなり。「価(あたひ)もいとれん(7)なり、品(しな)もよし」など、われ人(ひと)共におもへば、こゝなるのをかしこにうりて、いさゝかのたがひにて買入る。藤田屋(8)参る。稲葉氏(うぢ)より書状(ふみ)来る。返書を送る。今日も日ねもす何ごとせしといふこともなかりき。十一時半頃ふしぬ。
(5)けっきょく一審判決が支持されて上訴が棄却されたため、執行猶予で監視処分になった。
実刑を免除された際に適用された更生保護の措置で、警察官吏の監視下に置かれた。
(6)時計店。主人は藤田吟三郎。
(7)廉。安い。
(8)父の代から出入りしていた植木屋。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
三時頃に雨少し降り出す。ひどくなると困るので図書館を出る。途中で雨がやんだのは残念だった。不忍の池の蓮も枯れ、浮草の花が漂っているのも寂しい。秋は草木の上ばかりでなく、見るものすべてがしっとりと哀れなことよと、しばらく立ちどまったのでした。後から来る書生が、私のことでしょうか、何か小声で話しているのがきまり悪くて、うつむいたままで急いだのですが、恥ずかしい思いでした。家に帰ると、「ひどく早かったね」といって皆喜ぶ。邦子は今日関場えつ子さんが見えたといって戴いた栗などを出してくれた。彼女は半井桃水先生のことも聞いて来て話したという。
「半井先生はやはり新聞記者で、それだけの人ですよ。そんな人と交際なさると、朱に交われば赤くなるという諺のように、いつかは赤く染まらないとも限りませんよ。半井先生は品行の点も不品行で、信用のできない人です。お姉さんが思っているような立派な人ではなさそうですよ」
妹が真面目になって教えてくれるにつけても、私は胸がつぶれる思いでした。私にとっては本当に立派な先生であり、また信頼できる友でもあると先生もおっしゃったのに。私も家庭の秘密までも打ち明けて相談もし、先生も今後は助けてあげようとおっしゃったのに。それもみな嘘だったのだろうか。一体、どれが真実なのだろうか、わからなくなってしまった。 ただ嘆き悲しむばかりでした。
今日は稲葉の奥様もお見えになったとか。関場さんから日本外史と吉野拾遺を借りて来る。夜、母上に吉野拾遺を読んであげる。十一時頃だったでしょうか、寝る。
二十八日。晴。午前中、邦子は吉田さんに本を返しに行き、しばらくして帰る。午後、藤田時計店から目覚し時計を買う。家のがひどく傷んでいる為である。値段も大変安いと皆も思い、家のを下取りにしてもらい、僅かな差額で買い入れる。藤田屋が来る。稲葉氏から手紙あり、返事を出す。今日も一日中特に何をしたということも無く、十一時半頃寝る。
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