樋口一葉「蓬生日記一」⑤

きょうは、明治24年9月24日の日記の後半部分です。ぶんの言い分は、上告書とは少し違うところがあるようです。

ぶんが答は、またことなれり。『そはあとかたもなきことにて、かの北の象次郎には、先に夫婦(めをと)に侍りし時、我(わが)衣装調度など曲物(まげもの)(1)せられしもの七種(ななくさ)も侍りしが、其後(そののち)こがねにて又廿金(2)計(ばかり)もかしぬ。合(あは)すれば百両あまりのものにて侍り。其こがねなん、かへさじとて、かゝるうたへは起されけん。誠に無実に侍るなり。また、かの伊藤寛作とやらん、更におもてをみしことも侍らぬものにこそ』とて陳じ申す。小官山はいづち行けん、かげだにみえねば、いとせんなし。伊藤寛作も、『ぶんなるものは更にしらず』といふ。さるものから、『其日かしこの宿帳には正(まさ)しく寛作の名前もしるされたるはいかにぞや』とて、つひに有罪とこと定まり、恐喝(きようかつ)さぎ取財(しゆざい)(3)と定められぬ。されどもぶんは更にうけず、『こは道違(たが)へり、道理(ことわり)ならず』とて、こゝに上告はせしなり」といふ。「にくきものから親族(みより)は親族に侍り。かゝるを見聞(みきく)にえもたえやらず、やがて都にしたがひのぼりて、弁護は守屋(もりや)此助君(このすけぎみ)(4)に依頼しつ。昨日さまざまに相談して、公判は今日発(ひら)かれ侍り。今日は事実の取しらべにのみ終りて、申渡しは明後(あさつて)廿六日となん聞ゆ。申さんもいと恥かゞやかしう」とて打なげきぬ。さはれ、此人も道徳明らかに、くらき所にも恥ずといふならねど(5)、さすがにまださる筋あしき罪はまだ得ず有けんかし。今宵はこゝに泊りて、夜すがら守屋君の申立(まうしたて)などもの語り明す。

 

(1)質入れして金銭に変えられてしまった品物。質だね。質ぐさ。
(2)二十円。
(3)詐欺取財。旧刑法の罪名。人をだましたり恐喝して、財物あるいは証書類をかたり取ること。ここでは、ぶん、小宮山庄司、伊藤寛作の3人について訴追され、有罪となった共犯的なことがら。ぶんは、取財だけが問われたとみられている。
(4)1861 - 1931。明治18年代言人、次いで弁護士として法律事務に従事。27年から衆院議員当選8回、国民党に属した。
(5)「暗闇の恥を明るみへ出す」(穏便にすれば人に知らせないですむ恥を、荒立ててかえって世間に広める)ともいわれる。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》
『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

ところがまた文の言い分はこれと違っている。すなわち、それは跡形もない嘘で、あの北野象次には、まだ夫婦でいた時、私の着物や調度品で質草として出したものが七点もあり、その後お金で二十円も貸している。合わせると百円あまりにもなるので、そのお金を返したくないので逆にこのような訴えを起こしたのであろう。全く無実である。また伊藤寛作とかいう男は一面識もないと申し述べているということだ。さて小宮山はどこへ行ったのか影さえ見せないので、全くどうにもしようのない事だ。

一方伊藤寛作も文という女は全然知らないと言っている。しかし、事件当日のその旅館の宿帳には間違いなく寛作の名前も記されているのはどういう訳だということで、遂に有罪ときまって、罪名は恐喝詐欺横領と定められた。しかし文はこれを承服せずに、これは間違いで道理に合わないとして今度は上告をしたということだ。憎い女だが、やはり親戚には違いないので、我慢できすについて来たのだが、弁護の方は守屋此助氏に頼んで来た。昨日色々と打合わせをして、公判は今日開かれ、今日は事実の取調べだけで終わって、申し渡しは明後二十六日と聞いている。こんな話をするのは全く恥ずかしい限りだ」

七重郎氏はこう言って嘆いておられた。しかしこの人も、道徳的にすぐれて人目のない所でも正しく立派な行いをするという人ではないと思われるが、今度のような悪質な罪はまだ犯したことがないからであろう。今夜はここに泊って、守屋氏の弁護のことなど一晩中語り明かそうというのでした。

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