樋口一葉「蓬生日記一」④

きょうは、明治24年9月24日の日記の前半部分です。山梨から来た遠い親戚にかかわる犯罪や裁判のようすが語られていきます。

廿四日 今日はみの子の君の家(や)移り(1)し給ふ日とおもふに、「空晴(はれ)よかし」など昨日より願ひしに、おもふがごとにていと嬉し。国子、家の障子の張かへをす。午後(ひるすぎ)お鉱君及(および)本所の千村礼三(ちむられいざう)君参らる(2)。種々(さまざま)もの語り有て、母君に是非同道いたしくれ度様打頼(たきやううちたの)まるゝに、「さは」とて伴ひて本所に参らる。

(1)ひっこし、転居。牛込区(現在の新宿区の一部)新小川町へ移った。
(2)小学館全集には「稲葉親子は、千村を頼って新しい計画に手を出そうとしたが、おそらく空約束のまま失敗したのであろう、翌年三月には小石川区柳町の寛の実家に戻ってしまった」とある。

甲州なる広瀬七重郎(ひろせしちぢゆうらう)(3)来る。同姓ぶんの犯罪に付上告(じやうこく)事件(4)の為成(ためなり)といふ。 おのれの為にも遠縁(とほえん)の親族(みより)なれば、いといたう心にかゝりて、「そはいかなる事にか」とて猶(なほ)とふに、「いはんもいとはづかしう、つゝましけれど、えいわではつべきにしもあらねば」とてかたる。「おのれがめひなるものから、文(ぶん)こそよの婬婦(いんぷ)(5)にては有けれ。夫(つま)をかゆることはや六、七人にも成ぬ。今相添ふは信州の種商人(たねあきんど )にて、小宮山庄司となんよぶおのこ成けり。此前(このまへ)にもてるは、同じ郡(こほり)の北野象次といふもの成き。相絶(あひたえ)てより、ことしは四とせにも成ぬる成(なる)べし。こたびの原告は則(すなはち)其おとこに侍り。其(その)上告書に依れば、
ぶんとかの北野とは、いつしかふたゝび寄糸(よりいと)の、むかしのゑにしを結びかへて、小宮山よりはさり状(じゃう)(6)受け、もとの夫(つま)と呼ばれんと大方ならず契りき
とか。さるを、ことしの四月半(なかば)、同郡市橋(いちはし)といふ所に、国内一の祭典(まつり)(7)侍りき。
(3)山梨県東山梨郡玉宮村(現甲州市に含まれる)在住の広瀬七重郎。一葉の父則義の従兄弟(いとこ)で、ぶんの伯父。則義とぶんは、また従兄弟の関係になる。
(4)恐喝詐欺により一審で有罪となり、執行猶予が付いて監視処分とされたが、その判決を不服として、ぶんが第二審(控訴審)を請求した。
(5)移り気で男女関係にだらしのない女。
(6)夫から妻に渡す離縁状。旧民法では、夫の意志だけの意思で離縁することができた。
(7)山梨では、明治24年8月に郡制施行、同年10月1日には全国的にも早く県制が施行されている。これらに際しての祭典が催されたのか。東山梨郡に市橋という地名は見当たらない。

此日(このひ)甲府の柳町(8)三丁めに、山がた屋となんよぶ旅店(りょてん)の二階に、彼等二人(ふたり)は酒打のみてたはぶれかはして居たりけるを、かの小宮山なん聞しりて、『おのれ、などかはみゆるすべき』とて、右手(めて)に一尺計(ばかり)の鎗(やり)の 穂先もたづさへ、左手(ゆんで)に麻のなはをもて、そこなる座敷におどり入(いり)ぬ。二人は心ぎもゝみにそはず、いかで命ひとつをたすからばやとて、ひたすらふし拝みて打詫(うちわび)たるに、折しも傍(かたはら)に北駒郡(こまぐん)(9)のそれがし村なる伊藤寛作(くわんさく)といふもの有(あり)て、『君たすからんとおぼすならば、金の外(ほか)にものは侍らじ。おのれ、よろしくあつかはん』とて取なすまゝに、『命にかゆるたからはあらず」とて、さはれ、 こゝにはこがねも持(もた)ねば、則(すなはち)百円の借用証をしたゝめてなん其場(そのば)はすましぬ。さるものから、後におもへば、こはまたくかのみたりのものゝ計りてなせるわざぞとおもふに、いきどほりいとゞ胸にみちて、則(すなはち)うたへ(10)をおこせる也
と也。

(8)近世以来、甲州街道の宿場、甲府柳町宿として栄えた。宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、問屋場1軒、旅籠21軒に及んだという。
(9)北巨摩郡。山梨県の北西部にあった郡。2006年に消滅した。
(10)訴へ。訴訟。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

二十四日。今日は田中みの子さんの引越しの日と思うと、晴れるようにと昨日から願っていたのがその通りになったので、大変嬉しい。邦子は家の障子の張り替えをする。午後稲葉のお鉱さんと本所の千村礼三氏とが見える。色々の話があり母上に是非一緒に来てほしいと頼まれ、母上も一緒に本所に行かれた。その後、山梨から広瀬七重郎氏が来る。広瀬文(ぶん)の犯罪に関係して被告となった為であるという。私にとっても遠縁の親戚なのでひどく気になって、どのような事件なのかと尋ねると、恥ずかしくてきまりが悪いが言わない訳にもいくまいと言って話された。

「文(ぶん)は私の姪だが大変なみだらな女で、今までに夫をかえたのが、六、七人にもなる。今の夫は信州の種子商人の小宮山庄司で、その前の夫は同じ村の北野象次だった。それと別れてからもう四年にもなるだろうか、今度の原告というのはその男なのだ。その控訴趣意書によると、文と北野は撚りを戻して、小宮山とは離縁してもとのとおり夫婦になろうと固く約束していたとか。それを今年の四月中頃、祭りの日に甲府柳町三丁目の山形屋という旅館の二階で、文と北野が酒を飲んで楽しんでいたのを、かの小宮山が聞き知って、おのれ、許すものかと言って、右手に一尺ほどの槍の穂先を持ち、左手に麻縄を持って座敷におどりこんだ。

二人はびっくり魂(たま)消(げ)て、命だけはとひたすら詫びたところ、たまたまその場に同じ村の伊藤寛作という男がして、助かりたいと思ったらお金以外には方法はない、私が話をつけてやろうと仲に人って来たので、命に替わる宝はない、 お金ですむことなら、とは言っても、ここには持ち合わせがないので、百円の借用証を書いてその場はすましたのだった。ところが北野としては後で思うと、これは全くあの三人 (小宮山と文と伊藤)の計画的なしわざだと思われ、その怒りが胸一杯にあふれて、それで訴訟を起こしたということだ。

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