樋口一葉「蓬生日記一」③
きょうは明治24年9月22日から。「婦女のふむべき道ふまばやとねがへど、そも成難く」などと思い悩む一葉の姿も描かれていきます。
廿二日 暁(あかっき)がたより雨やみて、朝日のかげの薄らかにさし昇る程、木々の稍小柴垣(こしばがき)(1)のひまなどに、玉をつらねたる様(やう)に露のみゆるもいとうつくし。稲葉君(2)参らる。伊勢利(いせり)(3)来たる。午後(ひるすぎ)、中島くら子ぬしより通運便(4)をもて書冊返却さる(5)。書状(ふみ)有けり。日没前までに師の君の仕立もの終る。たそがれより雨降出(ふりいで)て、今宵もいたう降(ふり)ぬ。閨へ入しは十二時也(なり)しものから、大方は居(ゐ)ねむりのみ成けんかし。なぞかう耐忍(たへしのぶ)の力に乏しきにや。勉(つと)めばやとおもふ心さすがに無(なき)にしもあらず。筆をとればものかゝんことを願ひ(6)、 ふみに向へば読明(よみあきら)めんことをしおもへど、こゝろざし浅く思ひ至らねばにや、几智凡慮いよいよくらく、しり難(がた)きことは日を追ひてしり難く、昨日覚えつることは今日は忘れぬ。婦女(をんな)のふむべき道(7)ふまばやとねがへど、そも成難(なりがた)く、さはとて、おの子のおこなふ道(8)まして伺ひしるべきにしもあらずかし。 かくて、はてはては何とかならん。老(おい)たる親おはします。此御上(このおんうへ)のいとなげかはしきに、よろしき程なる妹が身の有(あり)つきもいと不便(ふびん)也。とざまかうざまにおもへば、只(ただ)身のかひなきのみにぞ寄(より)ける。 いでや、過(あやまち)て改むれば(9)てふ古語もあるを、明日よりは、とおもふも今宵のみならざりけり。
廿三日 空は曇りたるものから、雨もまたふらざりけり。今日は秋季皇霊祭(しうきくわうれいさい)なるものからに、隣なる家より、こはいひふかすべきもの借り来たる。家にても牡丹(ぼた)もちなどとゝのへて先祖のみたまに奉る。例の仕立もの、師の君がりもて参る。帰りてみれば、稲葉のお鉱(くわう)(10)の君参られぬ。午後(ひるすぎ)より野々宮君来りとはる。一ツは旧門閥(もといへがら)の困衰、一ツは当時女学生の意気、物語りもまたいたくことならせ給へり。猶(なほ)うきよこそをかしくも、かなしくも、うくも、つらくも有けれとそ思はれ侍り。三時頃一(ひと)しきり雨降(ふり)にふる。野々宮君帰らるゝやがて、国子の、「吉田君に借たる書物かへさん」といふに伴ひて、湯島までいたる。雲たゞよひにたゞよひて、空のけしきいと覚束(おぼつか)なきものから、雨はふらざりき。家に帰りてのち、なすこといと多かり。今宵はさまでねぶたくもあらで、おもふこと少し成ぬる様(やう)也。閨(ねや)へ入(いり)しは十二時過(すぐ)る頃成し。
(1)小さな柴で作った、丈の低い柴垣。
(2)稲葉寛。一葉の母が乳母として仕えた稲葉家の入り婿。
(3)父の時代から付き合いのある石井利兵衛と見られている。
(4)荷物をはこぶ通運会社の託送便。貨物、小荷物、現金などさまざまなものを扱っていたという。
(5)小学館全集の注によると、源氏物語の注釈書『湖月抄』(北村季吟著)の「若紫」から「末摘花」まで。
(6)『徒然草』第157段の「筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。(筆を手に取れば自然と何かを書きはじめ、楽器を手にすれば音を出したくなる。)」を生かしたと考えられる。
(7)身を固めて家事に専念するというようなこと。
(8)学を積んで身を立て出世するといったこと。
(9)『論語』の「子曰、過而不改、是謂過矣」(過ちて改めざるをこれ過ちという)のことか。
(10)二千五百石の旗本だった稲葉正方の養女。
二十二日。夜明け前から雨はやみ、 朝日がほんのりとさし昇る頃、木々の梢や小柴垣の間に玉を連ねたように雫が光っているのも大そう美しい。稲葉寛氏が見える。伊勢利(いせり)氏も見える。午後、中島くら子さんから郵便で本を返してくる。手紙も入っていた。夕方までに先生の仕立物も出来上がる。暗くなる頃から雨が降り出し、今夜もひどく降る。床に入ったのは十二時でしたが、それまでは殆んど居眠りばかりしていたようだ。どうしてこんなに忍耐力が乏しいのだろう。努力しようという気持ちは大いにあるのですが。筆をとっては小説を書こうと思い、本を開いては読み極めようと思うのですが、努力が足りず思慮が至らないためか、頭の働きは暗く分からない事ばかりで、昨日覚えた事も今日は忘れてしまう程です。いっそのこと家庭婦人としての道を進もうと思っても、それも出来るとも思われず、かと言って、男のように世間に出て働く道は、出来る筈もない。こんな状態では、最後にはどうなるのだろう。私は老母をかかえているのです。母上のことを思っては悲しく、また年ごろの妹の結婚のことを思うと可哀相です。あれこれ思い考えると、すべて我が身の不甲斐なさが原因のようです。「過ちて改むるにはばかるなかれ」 という古い諺もあるので、明日から心機一転して、と思うのも、実は今夜ばかりではないのです。
二十三日。空は曇ってはいるが雨はまだ降らない。今日は秋分の日なので隣家からおこわをふかす蒸籠(せいろ)を借りに来る。家でも牡丹餅など作って先祖の霊に供える。例の仕立物を先生のところへ持参する。帰ってみると稲葉のお鉱さんが見えていた。午後からは野々宮菊子さんが見える。一人は旧門閥の哀れな末、一人は元気な現代女学生、という訳で、お二人の話の内容も全く違ったものでした。お聞きしていると、人生とは面白くも、嘆かわしくも、悲しくも、つらくもあるものよと思われるのでした。三時ごろ一しきり激しく雨降る。野々宮さんも帰って行った。その後、邦子が吉田さんへ本を返しに行くというので一緒に湯島まで出かける。雲がしきりに流れて空模様もおぼつかなかったが 、雨は降らなかった。家に帰ってから仕事が多かった。今夜はそれほど眠くもなく心配事も少なくなった。床に入ったのは十二時過ぎ頃でした。
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