樋口一葉「この子」⑤

夫にやさしい言葉もかけず、世話もしない。お客すらろくに接待もしない。そんな「私」に対して、夫はしだいに家をあけがちになっていきました。

そのやうな詰《つま》らぬ考へを持つて、詰らぬ仕向けを致しまする妻へ、どのやうな結構な人なればとて親切で対《むか》はれませうか。お役所から退《ひ》けてお帰り遊ばすに、お出むかへこそ規則通り致しまするけれど、さし向つては一ト言《ひとこと》の打《うち》とけたお話しも申上《まをしあげ》ず、怒《おこ》るならお怒りなされ、何も御随意《ごずいい》と、木で鼻をくゝる(1)やうな素振《そぶり》をしてゐますに、旦那さま堪《た》へかねて、不意と立つて家をば御出《おで》あそばさるゝ、行先《ゆくさき》はいづれも御神燈《ごじんとう》(2)の下をくぐるか、待合《まちあひ》(3)の小座敷《こざしき》、それをば口惜《くちを》しがつて私は恨みぬきましたけれど、真《しん》の処《ところ》を言へば、私の御機嫌《ごきげん》の取りやうが悪くて、家《うち》のうちには不愉快でゐたゝまれないからのお遊び、こんな事をして良人《おつと》を放蕩《はうとう》に仕あげてしまふたのです。良人は美《み》ごと、家《うち》を外にするといふ道楽ものになつてしまひました。

(1)冷たく冷淡な対応や無愛想で素っ気ない態度を取ること。
(2)芸人や職人の家あるいは芸者屋などで、縁起をかついで神仏の名を書き、戸口につるしたちょうちん。ここでは、花柳界。
(3)待合茶屋、つまり、男女の密会や、芸妓と客との遊興のための席を貸す茶屋のこと。

旦那さまだとて、金満家《きんまんか》の息子株《むすこかぶ》(4)が芸人たちに煽動《おだて》られて、無我夢中《むがむちう》に浮かれ立つとは事が違ふて、心底《しんそこ》おもしろく遊んだのではありますまい。いはゞ疳癪《かんしやく》抑へ、憂さ晴しといふ様《やう》な訳で、御酒《ごしゆ》をめし上つたからとて、快《こゝろよ》くお酔ひになるのではなく、いつも蒼《あを》ざめた顔を遊ばして、何時《いつ》も額際《ひたいぎわ》に青い筋が顕《あら》はれてをりました。
物いふ声が慳《けん》どん(5)で荒《あら》らかで、仮初《かりそめ》の事(6)にも婢女《おなご》たちを叱《しか》り飛ばし、私の顔をば尻目《しりめ》にお睨《にら》み遊ばして、小言《こごと》は仰しやらぬなれども、そのお気むづかしい事と言ふては、現在《いま》の旦那様が柔和の相《さう》とては少しもなく、恐ろしい凄《すご》い、にくらしいお顔つき、その方《かた》の傍《そば》に私が憤怒《ふんぬ》の相《さう》で控へてゐるのですから召使ひは堪(たま)りません。

(4)金持の息子の身分。いまだ親がかりの息子の身分。
(5)けちで欲が深く、無慈悲。思いやりがなく、冷淡なこと。「慳」は物惜しみをする、「どん(貪)」はむさぼることの意。 
(6)些細なこと。ちょっとしたさま。


大方《おほかた》一ト月《つき》に二人づつは婢女《はした》(7)は替《かは》りまして、その都度紛失物《ふんじつもの》が出来ますやら、品物の破損などは夥《おび》たゞしい事で、どうすればこんなに不人情の者ばかり集合《よりあ》ふのか、世間一躰《いつたい》がこの様《やう》に不人情な物か、それとも私一人を歎かせやうといふので、私の身に近い者となると悉《ことごと》く不人情になるのであらうか、右を向ひても左を向ひても頼母《たのも》しい顔をしてゐるは一人《ひとり》もない、あゝ厭《い》やな事だと捨《す》て撥《ばち》になりまして、逢《あ》ふほどの人に愛想《あいさう》をしようでもなく、旦那様の御同僚などがお出《いで》になつた時分も、御馳走《ごちそう》はすべて旦那さまのお指図ないうちは手出しをもした事はなく、座敷へは婢女《おなご》ばかり出して、私は歯が痛いの頭痛のと言つて、お客の有無《あるなし》にかゝはらず勝手気儘《きまゝ》の身持をして、呼ばれましたからとて返事をしようでもない、あれをば他人《ひと》は何《なん》と見ましたか、定《さだ》めし山口は百年の不作(8)だとでも評して、妻たる者の風上《かざかみ》へも置かれぬ女と言はれましてしよう。

(7)婢女は、通常は「ひじょ」と読まれ、召使の女、下女、はじためのことをいう。ここで引用した樋口一葉全集(小学館)では「はした」「おなご」などとルビをふっている。
(8)「不作」は、できの悪いことで、生涯にわたって悔やまれる失敗、特に結婚相手に失敗したと愚痴を言ったり後悔したりするときに使う。ここでは、こんな妻をもったのは生涯の失敗だった、という意。

朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2022.4)[訳・伊藤比呂美]から

そんなつまらないことを考えなから、つまらないことしかしない妻にたいしては、どんなすてきな人だって、愛情のあふれたきもちで向かいあったりできませんよね、主人が仕事から帰ってくる、出迎えだけはします、それはするものと思いこんでましたから、でも、顔をあわせてうちとけたなごやかな話なんてちっともしません、怒るなら怒ってください、なんでもご随意にどうぞと木で鼻をくくるようなそぶりをしてますから、主人もこらえかねて、ぷいと立って家を出ていってしまう、行き先はいつだって商売女のいるような、ご神燈の下がってるようなところとか、待合の小座敷とか、あたしときたらまたそれをくやしがって、恨みぬきましたけれども、ほんとのところ、あたしのご機嫌の取り方がわるいから、主人は家の中が不愉快でいたたまれなくなって、あそびに出ていくわけですから、あたしが主人を、放蕩ものにしたてあげてしまったのです、主人はみごとに家にいつかない道楽ものになってしまったわけです。

主人だって、金持ちのむすこが芸人たちにおだてられて、われをわすれて浮かれ立ってあそぶのとはわけがちがって、心底おもしろくあそんでいたのではないと思います、いわば、癇癪をおさえて、うさばらしというようなわけで、お酒を飲んでも快く酔うわけではなく、 いつもあおざめた顔をして、いつもひたいに青い筋がうきでていました。 

ものをいう声がつっけんどんでとげとげしくって、ちょっとしたことにも女中たちを叱りとばして、わたしの顔を横目でにらんで、小言はあまりいわないんですが、その気むずかしいことといったら、いまの主人の顔の柔和なところなんてちっともなく、おそろしい、すごい、 にくにくしい顔つき、そのそばにあたしが憤怒の形相でひかえているんですから、召使はたまりません、だいたい月に二人ずつは女中がかわりまして、そのつど、ものはなくなるわ、ものはこわれるわ、損害もおびただしくって、どうすればこんなに不人情のものばかり寄りあつまれるのか、世間全体がこんなに不人情なものか、それともあたし一人をなげかせようというので、あたしの周囲の人間はことごとく不人情になるんだろうか、右をむいても左をむいてもたのもしい顔をしているのは一人もない、ああいやなことだとすてばちになりまして、他人に愛想よくしようなんてきもちもなく、主人の同僚が来たって、おもてなしなんて主人のさしずのないかぎりはなにもしたことがなく、座敷へは女中ばかり出して、あたしは歯がいたいの頭痛がするのといって、お客がいてもいなくってもちっともかわらない勝手きままをして、呼ばれたって返事をするでもなく、ああいうところを他人はどう見ていたのかしら、きっと山口は百年の不作だとかいわれて、妻というものの風上にもおけない女だなんていわれていたんだろうと思います。

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