樋口一葉「この子」③
3年前に「私」が嫁いだのは、山口昇という裁判官でした。当座は仲が良かったようですが、なれるににつれて次第に・・・・・・。
嫁入つたは三年の前、その当座は極《ごく》仲もようございましたし、双方《さうはう》に苦情はなかつたのでございますけれど、馴《な》れるといふは好い事の悪い事で、お互ひ我《わが》まゝの生地《きぢ》(1)が出て参ります。諸欲が沸くほど出て参りますから、それはそれは不足だらけで、それに私が生意気《なまいき》ですものだから、遂(つ)ひ遂ひ心安《こゝろやす》だてに旦那さまが家外《そと》で遊ばす事にまで口を出して、『どうも貴郎《あなた》は私《わたくし》にかくし立《だて》を遊ばして、家外《そと》の事といふと少しも聞かせては下さらぬ。それはお隔て心(2)だ』と言つて恨《うらみ》ますると、『何《なに》そんな水臭い事はしない。何も彼《か》も聞かせるではないか』と仰しやつて、相手にせずに笑つていらつしやるのです。現前(ありあり)(3)かくしてお出遊《いであそ》ばすのは見えすいてをりますし、さあ私の心はたまりません、一つを疑ひ出すと十も二十も疑はしくなつて、朝夕旦暮《あけくれあけくれ》、あれ又《また》あんな嘘《うそ》と思ふやうになり、何だか其処《そこ》が可笑《をか》しくこぐらかり(4)まして、どうしても上手《じやうづ》に思ひとく(5)事が出来ませんかつた。
(1)手をくわえていない、もともとの性質。
(2)打ち解けない心。相手に気がねする気持ち。
(3)現前たり。目の前にまざまざと現れる、ありありと見えること。ここでは「現前」の意味である「ありあり」と読ませている。この小説で一葉は、概念を漢語で捉えながらも語り口調を生かそうと努めていることがわかる。「朝夕旦暮《あけくれあけくれ》」や「価値《しんしよう》」も同様。
(4)こんがらかる。もつれる。糸などがからまってとけなくなる。
(5)理解する。悟る。
今おもふて見ると、なるほど隠しだても遊ばしましたらう。何《なん》と言つても女ですもの、口が早い(6)に依《よ》つて、お務め向きの事などは話してお聞かせ下さるわけには行きますまい。現《げん》に今でも隠していらつしやる事は夥《おびた》だしくあります、それは承知で、たしかにさうと知つてをりまするけれど、今は少しも恨む事をいたしません。なるほど、この話しを聞かして下さらぬが旦那様《だんなさま》の価値《しんしよう》で、あれ位私が泣いても恨んでも取合つて下さらなかつたは、旦那様のお豪《えら》いので、あの時代のやうな蓮葉《はすは》(7)な私に、万一お役処《やくしよ》の事でも聞かして下さらうなら、どのやうの詰《つま》らぬ事を仕出来《しでか》すか、それでなくてさへ、随分《ずゐぶん》出入のものゝの手などを借りて、私の手もとまで怪しい遣《つか》ひ物などを遣《よこ》して(8)、こういう事情で酷《ひど》く難義をしてをります、この裁判の判決次第で生死《しやうし》の分け目になりますなどゝ言つて、原告だの被告だのといふ人が頼み込んで来たも多くあつたれど、それを私が一切《いつさい》うけ付けなかつたは、山口昇《やまぐちのぼる》といふ裁判官の妻として(9)、公明正大に断《ことは》つた(10)のではなく、家内《うちうち》の紛雑《もめ》てゐるに、そのやうの事を言ひ出す余地もなく、言つて面白《おもしろ》くない御挨拶《ごあいさつ》を聞くよりか、黙つてゐた方が余《よつ》ぽど洒落《しやれ》てゐるといふ位な考へで、幸ひに賄賂《わいろ》の汚《けが》れは受けないで済んだけれど、隔ては次第に重《かさな》るばかり、雲霧《くもきり》がだんだんと深くなつて、お互ひ心の分らない物になりました。今思へばそれは私から仕向けたので、私のしやうが悪るかつたに相違なく、旦那様《だんなさま》のお心を何時《いつ》とはなしにぐれ(11)させましたは、私が心の行《ゆき》かたが違つた故《ゆゑ》と、今ではつくづく後悔の涙がこぼれまする。
(6)口のきき方がはやい。おしゃべり。
(7)蓮葉女、すなわち、浮気で軽薄な女の意。
(8)贈賄。つまり賄賂をおくることを指している。
(9)主人公を裁判官の妻としたのには、一葉の婚約者だった渋谷三郎(1867 - 1931)のイメージが下敷きになっているとも考えられる。渋谷は、検察官、裁判官、内務官僚などを歴任している。
(10)一葉にはめずらしく、ユーモアに富んだ表現を用いている。
(11)「ぐりはま」の転である「ぐれはま」の略。「はまぐり」の「はま」と「ぐり」を逆さにした語で、物事の手順、結果が食い違うこと、まともな道からそれることをいう。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2022.4)[訳・伊藤比呂美]から
嫁にきたのは三年前、当座はごく仲もよかったし、双方に苦情はなかったんですけれど、馴れるというのは、いいことみたいなわるいことで、おたがいわがままの生地が出てきます、いろんな欲がわいて出てくるにつれて出てきますから、それはそれは不足だらけで、それにあたしが生意気なものですから、ついつい、出しゃばって、主人が外でしていることにまでロを出して、どうもあなたはあたしに隠しだてをして家の外のことはなんにもきかせてくれない、それはヘだて心ですといって文句をいいますと、なにそんな水臭いことはしない、なにもかも話してきかせてるじゃないかといって、相手にせずに笑っているのです、なにか隠してるのはありありとみえすいていますし、さああたしの心はたまりません、ひとつを疑い出すと十も二十も疑わしくなって 、朝に晩に、ほらまたあんな嘘をと思うようになって、そうなるとなんだかおかしなぐあいにこんぐらかって、どうしても上手にすっきりとものごとを考えることができなくなって、今思ってみると、なるほど隠しだてもしていたでしょう、こちらは女ですから、ロはかるいかもしれませんから、仕事のことを話してきかせるわけにもいきません、げんに今だって主人が隠していることはおびただしくあります、それは承知で、たしかに隠していると知っていますけれども、今は少しも気になりません、なるほどこういうふうに、話をきかせてくれなくてよかったんです、あんなにあたしが泣いて文句をいっても取りあってくれなかったのは主人の意志が固かったので、あのころのような軽はずみなあたしに、もし仕事のことでも話してきかせていたら、どんなつまらないことをしでかしたか、それでなくても、すいぶん、あたしの手元にまで、出入りの者の手を借りたりして、へんなおつかいものをよこす人がいます、こういう事情でひどく難儀しておりますとか、この裁判の判決しだいで生死の分かれ目になりますとかいって、原告だの被告だの、そういう人が頼みこんできたことも多くありましたけど、それをあたしが一切受けつけなかったのは、山口昇という裁判官の妻として公明正大に断ったのではなくって、家庭がもめているからそんなことをいいだす余地もなく、なまじ主人にいっておもしろくない返事をされるよりは黙っていた方がよっぽどしゃれてるというていどの考えだったからで、さいわいにわいろなんか受けとらないですみましたけど、主人とあたしの心のギャップ はしだいに大きくなるばっかりで、あいだにかかる雲や霧もしだいに深くなって、おたがい相手の心の中もわからなくなってしまいました、今思えばそれはあたしからしむけたので、あたしの態度がわるかったのにちかいなく、主人の心を、いつとはなしにぐれさせたのは、あたしの心のもち方がいけなかったのだと、今ではつくづく後悔しています。
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