樋口一葉「この子」②
結婚後3年目の若妻である「私」の独白がつづいていきます。
それですが、あの時分の私の地位に他《ほか》の人を置いて御覧《ごらう》じろ。それはどんなあきらめのよい悟つたお方にしたところが、是非この世の中は詰らない面白《おもしろ》くないもので、随分《ずゐぶん》ともむごい、つれない、天道《てんたう》さまは是《ぜ》か非《ひ》か(1)などゝいふ事が、私の生意気《なまいき》の心からばかりではありますまい、必らず、屹度《きつと》、誰様《どなた》のお口からも洩《も》れずにはおりますまい。私は自分に少しも悪い事はない、間違つた事はしてゐないと極《き》めてをりましたから、すべての衝突《しやうとつ》を旦那さまのお心一つから起《おこ》る事としてしまつて、遮二無二《しやにむに》旦那さまを恨みました。又こういふ旦那さまを態《わざ》と見たてゝ、私の一生を苦しませて下さるかと思ふと、実家の親、まあ親です、それは恩のある伯父《おぢ》さまですけれども、その人の事も恨めしいと思ひまするし、第一犯した罪もない私、人のいふなりに柔順《おとな》しう嫁入つて来た私を、自然とこんな運にこしらへて置いて、盲者《めくら》を谷へつき落す(2)やうな事を遊ばず、神様といふのですか、何《なん》ですか、そに方《かた》が実に実に恨めしい。だからこの世は厭《いや》なものとかう極《き》めました。
(1)『史記』の伯夷伝に基づく「天道是か非か」による。公平とされるこの世の道理は、果たして正しいものに味方していると言えるのだろうか。疑わしいかぎりだ、という意。
(2)抵抗することのできない弱い人をいじめることをさしている。「因果同士の悪縁が、殺すところも宇都谷峠、しがらむ蔦の細道で、血汐の紅葉血の涙、この引明けが命の終わり、許してくだされ文弥殿」の名科白で知られる歌舞伎『蔦紅葉宇都谷峠』(河竹黙阿弥)などのイメージにそってデフォルメされた表現とみられている。
負けない気といふは好い事で、あれでなくては六《む》づかしい事をやりのける事はならぬ、愚若《ぐにや》愚若とやわらかい根性ばかりでは、何時《いつ》も人が海鼠《なまこ》のやうだと、かう仰しやるお方もありまするけれど、それも時と場合によつた物で、延《のべ》つに勝気《かちき》を振廻してもなりますまい。そのうちにも女の勝気、中へつゝんで諸事を心得てゐたらよいかも知れませぬけれど、私のやうな表むきの負けるぎらひは、見る人の目からは浅ましくもありませう、つまらぬ妻を持つたものだといふ感は、良人《おつと》の方《はう》に却《かへ》つて多くあつたのでござりませう。でございますけれど、私にその時自分をかへり見る考へは出来ませぬ故(ゆゑ)、良人のこゝろを察する事は出来ませぬ。厭《い》やな顔を遊ばせば、それが直《す》ぐ気に障《さわ》りまするし、小言《こごと》の一つも言はれませうなら、火のやうになつて腹だゝしく、言葉返《ことばがへ》し(3)は遂(つ)ひしかしませんかつたけれど、物を言はず物を喰《た》べず、隨分《ずゐぶん》婢女《おなご》どもには八ツ当りもして、一日床《とこ》を敷いて臥《ふせ》つてゐた事も一度や二度ではござりませぬ。私は泣虫でございますから、その強情の割合に腑甲斐《ふがひ》ないほど、抱巻《かいまき》(4)の襟《えり》に喰ついて泣きました。唯々《たゞたゞ》口惜《くや》し涙なので、勝気のさせる、理由《わけ》もない口惜し涙なのでした。
(3)人の言葉に従わないで言い返すこと。口答え。
(4)着物の形をした広袖つきの寝具。からだに、かき巻くという意。夜着より小ぶりで綿も少ない。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2022.4)[訳・伊藤比呂美]から
それでも、あのころのあたしの立場にほかの人をおいてごらんなさい、どんなあきらめのいいさとった人にしたって、ぜったい、この世っていうのはつまらないおもしろくないもので、ほんとに残酷で情けなくて、天の神さまはなにかまちがってるっていうと思うんです、それってあたしが生意気だからそう思ってるんじゃありません、ぜったい、きっと、どんな人の口からも、もれずにはいないだろうと思うんです、あたしは自分に少しもわるいことはない、まちがったことはしていないと信じていましたから、すべての衝突を主人のきもち次第で起こることとして、むちゃくちゃ主人を恨みました。またそういう主人をわざと見立ててあたしの一生を苦しませてくれるのかと思うと、実家の親、まあ親です、ほんとは恩のある伯父なんですけれども、その人のことも恨めしいと思いますし、第一、あたしは今まで罪をおかしたこともない、ここへだって人のいいなりになっておとなしく嫁にきただけなのに、こんな運命をあたしにあたえて、まるで盲者を谷へつき落とすようにあたしをつき落とした、神様というのですか何ですか、その方が実に実にうらめしい、だからこの世はいやなものと、こう、思いこんでいました。
負けん気というのはいいことで、それでなくてはむずかしいことをやりとげることはできない、ぐにゃぐにゃとやわらかい根性ばかりじゃ人間だかナマコだかわからないという人もいますけれども、時と場合によりけりで、のべつに勝ち気をふりまわしてもだめなんです、その中でも女の勝ち気っていうのは、心の中につつみ隠しておいたらいいんでしょうけど、あたしみたいな、表にばんばん感情を出してしまう負けずぎらいは、人がみたら、あさましく見えるかもしれません、つまらない妻を持ったものだという思いは夫の方にかえって多くあったかもしれません、でも、あたしにはそのとき自分をかえりみる余裕がなかったんです、夫の心をそんなふうに察することもできなかったんです、夫がいやな顔をすればそれがすぐこっちの気にさわりますし、小言のひとつもいわれようものならあたしは火のようになって腹をたてて、ロごたえはしませんでしたが、ものをいわなくなりものを食べなくなり、ずいぶん女中たちにもやつあたりして、一日床をしいてねていたことも一度や二度じゃありません、あたしは泣き虫ですから、強情なとこを見せるわりには、ふがいないほど、ふとんにくいつくみたいにして泣きました、ただ、ただ、くやし涙です、あたしの勝ち気が流させる、理由もないくやし涙です。
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