一葉日記「わか草」③

きょうは、明治24年8月2日から7日までの日記です。

二日 晴天。母君、山下の見舞に行(ゆき)給ふ。九時頃稲葉君来る。午後山下信忠君(ぎみ)参らる。直一君病気に付(つき)、母君に相談にてもあるやと思われたれど、留守なれば、しばしば依頼して帰らる。母君は四時頃帰宅さる。
三日 晴天。稲葉君参らる。姉君来る。母君、岩佐(いはさ)(1)へ参らる。午後(ひるすぎ)、母君近辺(かいわい)の子供に物をやる。大悦(おほよろこび)の事。国子、当時、蟬表(せみおもて)(2)職中一の手利(てきき)に成たりと風説(うはさ)あり。「今宵は例(いつも)より酒甘し」とて、母君大ひにひ酔(ゑひ)給ひぬ。国子と両人(ふたり)湯島へ買ものに参る。山鹿(やまか)(3)に切(きれ)を買ひ、中島屋(4)に紙を求め、かね安(やす)(5)にて小間ものをとゝのふ。日暮てかへる。
四日 早朝、稲葉君押かけに正朔君(しやうさくぎみ)を伴ひ来たりて、「預りくれよ」といふ。「されば今日一日は」とて、あづかる。午後、母君、山下氏(うぢ)の見舞に参らる。

(1)内職の元締と考えられている。
(2)籐で編んだ駒下駄の表。蝉の羽に似ているのによる。
(3)呉服太物商の山加屋のこととみられる。明治7年10月に、本鄕区湯島切通坂町8(当時)で大場利八がはじめた。
(4)下谷区池ノ端仲町にあった紙屋、金清堂中島屋。一葉の用いた原稿用紙、半紙、罫紙はここで買うことが多かった。
(5)江戸・享保年間(1716年ごろ)に、兼康(かねやす)祐悦という口中医師(歯医者)が本郷三丁目に開いたといわれる薬種・小間物屋。「本郷も兼康までは江戸の内」の川柳で有名になったという。

五日 朝、小雨ふる。やがて晴天。稲葉君来る。「正朔を今タ迄(まで)預りくれ度(た)し」とて依頼す。午後、江崎牧子(6)君(ぎみ)より郵書(はがき)来る。国子と共に安達(7)君へ暑中見舞に行(ゆく)。脳病の物語りをなしたるに、伯父君(をぢぎみ)は、「くれぐれ読書作文等をなさゞる様に」と物語らる。「脳は神経の集合する所なれば、患(うれへ)はこゝに止(とど)まらで、余病を引出すこともあり。又は充血して不測の禍(わざはひ)を生ずることも有(ある)べければ、小患(せうくわん)の中(うち)によく養へよ」とて、自身(みづから)をたとへに引て諫(いさ)めらる。承りて帰る。「タ飯(ゆふげ)したゝめゆけ」などいひつれど、「しのばずの蓮見ばや」とて早く帰る。しのばずの記は別にしるす。帰路は池の端をめぐりて大学を通抜てかへる。五時過(すぎ)成し。此夜(このよ)稲葉氏(うぢ)又来たる。明朝(あすあさ)まで正朔置貰度(おきもらひたき)よしいふ。
六日 晴天。早朝より運動にとて、近辺を散歩す。帰りて家の廻りを掃除す。
七日 昼晴、夜に入(いり)てより雷雨す。土用明(どようあけ)といふ。


(6)
乙骨まき。萩の舎の先輩の乙骨牧子がこの年の6月に結婚して「江崎」と改め、岐阜に住んでいた。
(7)安達盛貞。もともと菊池家に仕え、父の則義の代から親しくしていた。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

二日。晴。母上は山下の家にお見舞に行かれる。九時頃、稲葉のさんが見える。子供の直一の病気のことで母に相談がさありそうに思われたが、留守なので、しきりによろしくと頼んで帰られた。母上は四時頃帰宅される。

三日。晴。稲葉さんが見え、また藤子姉が来る。母上は内職のこと岩佐の所へ行かれる。午後、母上が近所の子供に物をやると、子供たちは大喜びする。邦子は近頃、内職の蟬表(せみおもて)では一番の上手者になったとの噂である。母上は今宵はいつもよりも酒がおいしいといって大いに酔われる。邦子と二人で湯島へ買物に行く。山加屋で布地を、中島屋で紙を、兼安で小間物を買い、日が暮れてから帰る。

四日。早朝から稲葉さんが押しかけて来る。息子の正朔君をつれてきて、預かってくれとのこと。「それでは、今日一日だけは」といって預かる。午後、母上は山下の家にお見舞に行かれる。

五日。朝のうち小雨、のち晴。稲葉さんがまた来る。正朔君を今日もタ方まで預かってくれと頼む。午後、江崎牧子さんから手紙が来る。邦子と一緒に安達盛貞さんのお宅へ暑中見舞に行く。頭痛のことなどを話すと、安達の伯父は、決して読書や作文をしないようにと話される。頭は神経が集まる所なので、病気はここだけで終わらないで、他の病気を併発することもあり、また、 充血して不測の事態が起こることもあるので、軽いうちに十分養生しなさいといって、自分の経験を例に引いて、忠告して下さる。心からお聞きして帰る。夕食を食べて帰るように言われたが、 不忍(しのばず)の池の蓮の花を見たいのでと言って、急いでお暇する。不忍池の蓮のことは別に書くことにする。帰路は、池の端を廻って、大学を通り抜けて帰る。五時過ぎに帰宅。夜また稲葉さんが来て、明日の朝まで正朔君を置いてもらいたいと言う。

六日。晴。朝早くから運動のために近所を散歩する。帰ってから身の周りを掃除する。

七日。昼間は晴、夜になってから雷雨。今日は土用明けとのこと。今夜は徹夜する。

コメント

人気の投稿